短いトンネルを抜けると、真っ青な――どこまでも突き抜けるような、まさに青藍の空がありました。
なんだか空気が変わった気がしますよ、同じ地のはずなんですがねえ。
でも現代においても、都会から田舎へと移動すると、空気が変わる気がしませんか?
ほら、よく言うじゃないですか。「空気が美味い」って。
弥生時代なんですよ、ここは。
卑弥呼さまが統治された、地なんですよ。
現代でもそうなんですが、巫女さんて女性ですよね。
「なんでですかね」。そんな疑問を持ったことはありませんか、あなたは。
神さまは男と決まっている? そう考えると、納得できるんですが。
それとも、外をまもるのは男の仕事、内をまもるのは女のしごと、そういうことでしょうか。
もっとも現代では崩れていますよね。でも、わたしの両親はとも働きでした。
化粧品販売を中心とした雑貨店を開いていました。
郷里の伊万里市では、けっこうな存在だったみたいです。
「伊万里の佐倉惣五郎だと言われたもんだ」と、酒を飲んではうたっていましたから。
どうやら、おのれの行くすえと惣五郎が処刑されたことを結びつけていたのかもしれません。
店をたたんで郷里をあとにしたことにより、社会的に抹殺されたも同然の父親でしたから。
竪穴式住居の近くに、土葬用の瓶が見つかったらしいのですが、そこには幼子用の小さなかめが多数あったようです。
ふびんに思う親こごころでしょうか、そばに置いておきたいと考えたのでしょうね。
江戸時代あたりまでは、幼子の死亡率が高かったと聞きますから。
わたしにしても、九死に一生を得た者として、感慨深いものがありました。
そのことについては、後にということで。
いさんで吉野ヶ里公園を訪れたというのに、気持ち的には落ちこむばかりです。
いえいえ、もろもろの建物やら施設は素晴らしいものばかりでした。
竪穴式住居はもちろん、高床式の倉があり、大きな堀立柱建物が点在していました。
櫓門もありましたが、やはり外敵を想定してのことだったようです。
人びとが定住すると、どうしても食糧事情の関係からでしょうが争奪戦がおきるものなんですね。
どうしても多数の人がよりあえば、なんらかのもめ事は起きるでしょうし、そうなるとそれを仲裁すべき者が生まれ、その場としての建物がありましたし。
そこから権力者というものが生まれ、いわゆる階層ができてしまうものなんでしょうか。
現代における格差社会も、弥生時代には存在してしまったということでしょうか。
努力した者と怠けた者とのあいだに格差が生まれるのは仕方のないことだとしても、出自における格差・差別はなくしたいものですが。
もっとも出自がよくても没落するということもあるのですから、やはり不断の努力というか勤勉というか、個々人のもつ器量もあるとは思いますが。
というより、あってほしいと思いますけれどね。
でもわたしのような怠け者は、ねえ。
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