部屋のすみで小さくうずくまる彼は、さながら動物園のおりのなかの小猿である。
おびえを隠すことなく、うずくまっている。
そしていつものように、ひざに接吻をしている。
しかし弱者ではない、断じてなみだはながさない。
「もしこの俺に時間を止める力があるとしたら、まず何をする?」
彼の思考は、具象を伴うのが常だ。
しかしそれは、抽象の産物としての具象に過ぎない。
陶淵明作の「飲酒」の一部を引用して、彼の思考を見よう。
結廬在人境 (粗末な家を作って、人里の中にいる)
而無車馬喧 (しかし車や馬のやかましさがない)
問君何能爾 (君に聞くが、どうしてそうしていることが出来るのか、と)
心遠地自偏(心が人里から遠く離れて、地が自然と辺鄙であるからだ)
採菊東離下 (菊の花を東のまがきのほとりで取り)
悠然見南山(悠然として南の山を見る)
山気日夕佳 (山の気配は夕暮れで美しく)
飛鳥相興還 (鳥が連れ立ってねじろへ帰って行く)
比中有真意 (この中に人生の真意がある)
欲辨己忘言 (説明しようとすると、もはや言葉を忘れてしまう)
*訳 Wikipedia より
sex を否定した俺だが、案外それかもしれない。
プラトニック・ラヴの存在を否定する者がいるが、俺は信じる。
幼少年期における思慕を、ラヴと見るか否かが出発点だ。
粗末な家を作って、人里の中にいる。
しかし車や馬のやかましさがない。
君に聞くが、どうしてそうしていることが出来るのか、と。
心が人里から遠く離れて、地が自然と辺鄙であるからだ。
菊の花を東の籬(まがき)のほとりで取り、
悠然として南の山を見る。
山氣日夕佳 山気 日夕に佳く
山の気配は夕暮れで美しく、
鳥が連れ立ってねじろへ帰って行く。
この中に人生の真意がある。
説明しようとすると、もはや言葉を忘れてしまう。
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