昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

ボク、みつけたよ! (四)

2021-09-25 08:00:45 | 物語り
 もう何年前になるでしょうか、生まれ故郷である伊万里市に帰ってみたいなと思い始めたのは。
きっかけは「まるで違う街みたいだったぞ」という兄のひと言でした。
兄の言葉がきっかけではありましたが、もう一つあります。
そしてそれが一番の動機なのです。
あることを確かめたくて――本人の口から直接聞くことができれば、それが一番なのですが。
今どこで何をしているやら。いや、おそらくはもうこの世には居ないでしょう。
そもそも小説を諸々の賞に応募しているのは、その人に気付いてもらいたいということなのですから。
あなたが捨てたわたしは、ここに居ます。
そしてこんなわたしになりました、と知らしめたいのですから。
そのためにも、わたしがわたし自身をより深く知らねばならぬと思っているのです。

 恥を晒すようですが、人間としての資質に疑問を抱いているのです。
失礼、誰のことなのかを説明していませんでした。
ああ、お分かりですか、もう。そうなのです、わたし自身のことなのです。
片端者じゃないかと、身体のことではなく精神的になのですが。
どうにも常識というものに欠けているのではないかと、考えてしまうのです。
反社会的な考え方をしているといったことではなく、感謝の心、協調性がない……、いや違うな。

 すみませんね、混乱の極み状態に陥ってしまいました、わたし。
いや、これもまた欺瞞だ。基本的に、わたしは嘘吐きなんです。
本心を明かすことが少なくー無論、本音を語るというか口を滑らせるというか、それは多々あります。
が、嘘を吐くのです。当たり障りのない答えを出してしまうのです。
相手が喜びそうな答えを口にしてしまうのです。
上滑りの言葉を口にしたり、文字にしたりします。
そう、そうなんです。文字が言葉が、嘘を吐くときのツールになるのです。

 それだけではありません。
自分の資質に疑問を感じるのは、他人が吐く嘘が許せないことなのです。
己の嘘吐きは棚に上げて、他人の嘘には拒否反応を示してしまうのです。
「後になってバレてしまうのに、どうして嘘を吐くんだ」と、他人を詰る自分がいるのです。
そして自分が吐いた嘘がバレたときには、「あの時は……」と、また言い訳として嘘を重ねてしまうのです。
そして、そんな自分は許してしまうのです。

「弱い人間なんだ、ぼくは」。そう自分に対して告白するわたしなのです。
そしてそんな自分が哀れで、自分に対して慈しみの気持ちを抱き、涙を流して許してしまうのです。
それどころか、そんな自分がたまらなく好きになってしまうのです。
ある意味、ナルシストということになるのでしょうか。
でも、そうでなければ、崩壊していたかもしれないのです、こころが。

 どうして? 当然の疑問ですね、お答えせねばならぬと思います。
でなければ、この後もわたしの話など聞いてもらえないでしょう。
が、しばらくお待ちください。
わたしの本質というか、この話の中核を為すべき事柄からのことですので。
いえ、決してごまかすつもりではありません。

必ずや後日にキチンとお話します。
ただ、これから話します、と大上段に構えることはしません。
それとなく、静かにそこに進みたいと思います。
大丈夫です、ああこういったことからか、と納得して頂けるようにしますので。 



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