(舟島 三)
時折前髪を揺らす風を、小次郎は心地よく受け止めていた。
いら立っていた気持ちも、少しずつ穏やかさを取り戻した。
ギラギラと輝く太陽の下、海は凪いでいる。
時折立つ白波の中に、一艘の小舟が見えた。
船頭がゆっくりと櫓を漕いでいる。
「大方、漁師であろう」と囁き合う武士たちに対して
「この島を絵師に描いてもらうも一興よ。あの岩礁を背にして立つ我も良しか」
と、声をかけた。
さすがに小次郎殿だとうなずき合う武士たちに、薄ら笑いを見せる小次郎だった。
今の小次郎には、ムサシとの試合が遠い異国での話のように感じられる。
これから始まる死闘が、まるで他人事のように感じられた。
焦点の合わぬ小次郎の目に、死の床に伏せった恩師鐘巻自齋が浮かび上がった。
師である自齋を、大勢の門弟の前で、完膚なきまでに倒した小次郎だった。
それが因で床に伏した自齋、ひと月を経た後に
「お前は、お前を作り上げたものによって滅ぼされるのだ」
と、言葉を遺して息絶えた。
前髪が目に入り我に返った小次郎の口から
「ふっ、笑止な。こののちわたしは、天上天下一の剣神になるのだ」
と、誰に言うでもなくこぼれた。
浜辺に小舟が乗り上げると、むしろの下からムサシが飛び出した。
「 ムサシが来たぞお!」
どっとざわめく武士たちが、「おおーっ!」と、歓声をあげた。
小次郎は、その声を聞くや否や、弾かれたように立ち上がった。
太陽を背にしたムサシの姿は、頑強だった。誰からともなく、声が飛んだ。
「 鬼神だあ!」
小次郎は、舟から砂地に飛び降りたムサシに向かって、叫んだ。
「待ちかねたぞ、ムサシ! 吾は、巌流佐々木小次郎なり! ムサシ殿に…」
「いざいざ、いざあ!」
小次郎の声を遮って、ムサシの声が浜辺一帯に響いた。
およそ人の声とは思えぬ野太い声に、一瞬間小次郎はたじろいだ。
名乗り口上途中においての罵声など思いもかけぬことだった。
互いに名乗り合い、剣を構え、そして「始め!」の声でもって試合が始まる。
小次郎の仕儀は、様式に則るものだった。
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