小夜子が病院に着くと、陽が傾き建物やら木々やらの影がながくなっていた。
病院前のバス停には五、六人の人が立っていて、バスの到着を待っている。
みな一様に厳しい表情を見せている。
小さな五人掛けのベンチには、足にギブスをはめた男性と、おなかの大きな妊婦、目深にソフト帽をかぶったサラリーマン、そしてもう一人ヨレヨレになった麻地のスーツとパナマ帽の初老の男性がいた。
少し襟元をゆるくしている小料理屋の女将らしき女性が、そのベンチ横に立っていた。
ベンチに腰掛けようと思えばできるのだが、もう少し詰めてくれれば座らないでもないわよと言いたげに、横目でにらんでいる。
そこに腰の曲がったお婆さんが、バスはまだ来ていないというのに「もう来るかね」とこぼしながらせかせかと歩いてきた。
「おばあさん、こちらにお座りなさい」と、初老の男性が、隣のソフト帽のサラリーマンに少し詰めるように手で示しながら、声を掛けた。
「そりゃどうも。どうもねえ、六十をすぎるといけません。
いま六なんですがね、こしが、ごらんのとおりにまがりましてね、家はね、ここからふた駅のところなんですが、やはりとしですねえ、もうバスにのらなけりゃいけませんわ」と、句点のないしゃべり方で一気にかまびすしくなった。
「あたしのことは無視かい」と、小料理屋の女将風の女が、小声で舌打ちをした。
それを聞きとがめた初老の男性が、
「あんたはまだ若いんだ」と、声を荒げた。
と、そこへバスがやってきて、若い女性の車掌が
「お待たせしました、○○方面行きです」と軽やかに声をかけた。
「やあやあ、良いタイミングだ。さあさあ、お姉さん機嫌をなおして」と、サラリーマンが締めくくった。
そのあとを追いかけるようにタクシーが入り、バスを追い越して玄関口で停車した。
「あらまあ、あんな小娘ふぜいがタクシーだなんて。どんなお大尽なんですかね」
と、腹立ち任せに毒のあることばを吐いた。
ナースステーションに声をかけて、病室へと急いだ。
「ご一緒します」と、ふたりの看護婦がついてくる。
「大丈夫よ、あなたたちも忙しいでしょうから」
“心づけほしさね”と忌々しく思いながらも、案内人のつくことに、どこか特別待遇を受けているようで気持ちが高揚する。
思えばどの店に赴いても、かならず店員なりウェイターたちが先導してくれる。
小夜子自身ではなく、武蔵の妻だからだと言うことは分かっているが、それでもやはり気分が良い。
女王然と振る舞えるいまを、しっかりと享受している。
部屋に入ると、差し込む西日で、武蔵の顔がはっきり見えない。
顔色も分からず、その表情も読み取れない。
“どうしてひとりで来いなんて?”
そのことが気になってならない小夜子だ。
「なあに、あたしが欲しくなった?」
声にならない声で、唇を動かしてみた。
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