それが、つい先月のことだった。もうしないからと謝って、まだ二週間と経っていない。
舌の根もかわかぬうちの所業では、いくらなんでもと武蔵自身が思ったのだ。
そして今夜、竹田をつれてのご帰還となった。
「小夜子奥さま、千勢さん。社長のおかえりです」
玄関先で、竹田が大声で呼ぶ。千勢が台所から、あわてて飛んできた。
「旦那さま、どうなさったので? お加減でもお悪いのですか?」
竹田が同伴などとは、体調をくずしたおりぐらいのものだ。千勢があわてるのも無理はない。
「なあに、どうしたの? 武蔵、帰ってきたの?」
小夜子が二階から声をかける。
「奥さま、奥さま。旦那さまが、、」。 千勢の悲痛な声がとぶと同時に
「社長は大丈夫です。飲みすぎられただけですから」と、竹田が声をかぶせた。
「いや、すまん。飲みすぎたみたいだ。今夜は、竹田ら若手と飲んだんだ。
将来の幹部社員たちの、いまの気持ちを聞いておこうと思ってな。
そろそろ跡継ぎもほしいし、こいつら若手に盛り立ててもらわなくちゃいかんしな。
万がいちあと継ぎに恵まれなかったら、だれかにあとを継がせなきゃいかなくなるしな。だから……」
そんな必死の弁解をつげる武蔵だったが、プイと横を向いたまま
「ご苦労さま、竹田。もう帰っていいわ」と、相変わらずの突っけんどんな口調で言った。
「はい。それでは、おやすみなさい」と、武蔵の顔を見つつ頭をさげる竹田だった。
その竹田を、通りまで千勢が見送った。
久しぶりの竹田だったが、こんな遅くにことばを交わすわけにもいかず、「おやすみなさい、気をつけて」と、タクシーに乗り込む竹田をなごり惜しげに見おくる千勢だった。
家内では、ソファに武蔵をすわらせ、小夜子は床に正座をした。
武蔵はソファに寝転ぶようにしていたが、小夜子の異様な雰囲気にきづき、あわてて床に正座しなおした。
「いや、悪かった。こんなに飲むつもりはなかったんだ。
なかったんだが、あいつらがあんまり嬉しいことを言ってくれるものだから、ついつい。
すまん。しかしふた晩つづけてはまずいよな。
しかも、小夜子の体調が悪かったのにな」
頭を床にこすり付けんばかりにする武蔵、機先を制したつもりだった。
「あなた、あとつぎぎが欲しいのよね」。思いもかけぬ小夜子の言葉に、けげんな顔付きで
「ああ、欲しい。欲しいけれども、俺の気持ちだけでは……」と返事をした。
小夜子の険しい顔つきに、ことばもとぎれてしまう。
「できました、赤ちゃん。きょう、病院で確かめてきました」
思いもかけぬ話に、武蔵の思考が停止した。
というより、小夜子の冷静な話しぶりでは、そのことば自体が伝わらなかった――いや、ことばは耳に届いたのだけれども、その意味が理解できない武蔵だった。
“赤ちゃんができた? なんだそれ”
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