昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (三百八十五)

2023-08-22 08:00:26 | 物語り

「ほんぎゃあ、ほんぎゃあ!」
 ひと際大きな泣きごえが分娩室にひびいたのは、入院翌日の夕方だった。
分娩室に入ってから、二十時間を超えるときが流れていた。
いくどとなく帝王切開の準備にはいったものの、踏みきれずにいた医師。大きくため息を吐いた。
「ふーっ。みんな、ご苦労さん。よく頑張ってくれた、上出来だ。
切らずに済んで、なによりだ。婦長、ありがとう。産婆さん、たすかったよ。
あんたの声がけが、功を奏したようだ。ありがとう」

 いっとき分娩室から出て休息をとった医師だったが、看護婦に産婆たちは誰も部屋から出ず、というより休息などとんでもない状態だった。
叫びつづけるかと思えば、意識をうしないかける状態におちいったりと、様態の安定しない小夜子だった。
そしてやっと出産を終え、思いもかけぬプライドの高い医師からねぎらいのことばを受けて、その場に泣き崩れる看護婦もいた。
そんな中、達成感とはほど遠い安堵感を感じる婦長、
「頼みますよ、婦長。なんとか、帝王切開だけは避けてください」という武蔵のことばが、ずっと耳をはなれなかった。

「御手洗さんですか? いま、ぶじに出産なさいました。
ええ、母子ともに健康です。ナスが、ぶら下がってますよ。
体重が、三千グラムを超えていました。ええ、おっきい、ほんとに大きい赤ちゃんです」
「でかした! でかしたぞ! おいっ、男だ、だんしを産んでくれたぞ!」。
武蔵をぐるりとかこんだ男たちにむかってさけんだ。
「いゃあ、おめでとうございます、社長」
「うお~お!」
 いっせいに歓声があがった。こぶしを突きあげて、声にならぬ雄たけびをあげる者もいた。
「ありがとお、ありがとお!」
 受話器をもったまま満面の笑みをたたえて、もう片方の手をはげしくなんども突きあげた。

「婦長さん、ご苦労さまでした。先生にもお礼を言っておいてください。
おふたりには、しっかりとお礼をさせてもらいます。いやいや、なにをおっしゃる。
遠慮はむようですって。わたしの気持ちなんですから。
規則? そんなもの、わたしには関係ないことです。感謝の気持ちですから。
自分だけ? 大丈夫ですって。ほかの看護婦さんにも、お礼はしますから。
婦長さんは、なん時までの勤務ですか? もう帰られる? すこし待っててもらえませんか。
先生にも待っててもらってくださいよ。これからすぐに出ますので」
 受話器を置くやいなや、
「行ってくる、きょうはもどらんぞ。専務、あとをたのむぞ」と、会社を飛びだした。



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