2000年に再演された時の記事です。
以前にも一回ご紹介しましたが、もう一回^^。
演出家 栗山さんとの対談です。
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栗山『僕はこの芝居はなにかを積み重ねて深めるという作品じゃないと思うんです。その場に本当に生きているキャラクターがいることを感じてもらう、そのライブ感というんでしょうか、それが新鮮なら新鮮なほど劇場も熱くなっていくような気がするんです。その意味では沢田さんほどの適役はいないと思います。「漂泊者のアリア」のときも、僕は本当に驚いたんですが、広い舞台に沢田さんがポンといるだけで、もう舞台が完成してしまう。その存在感がすごくて、やっぱり世の中にはスターはいるもんだと。今回も、それはまったく同じですね。ただ、モーゼというのはじつに情けない男なんですけど(笑)』
J『そう、情けない(笑)。でも栗山さんに言われて照れるしかないんですが、歌手というのは一人でやりますよね。本当はお膳立てしてくれる人なんかがいて、一人じゃないんだけれど、そういう気にさせられるわけです。そうなるとまな板の鯉じゃないですが、何もしないほうがいい。変なテクニックを使うと、逆にお客さんは引いちゃいますから、ただ一生懸命歌う。そういう経験がどこかに染みついているのかもしれないですね。』
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栗山『僕は沢田さんの魅力は「生活」じゃないかと思うんです。稽古場にいらっしゃるときとか、帰られるときとか、来る時と帰る時が魅力的というのもおかしな言い方なんですが(笑)。僕なんか稽古場に来るまでに思うのは、すれ違う人間がみな同じ顔に見えるわけです。たとえば信号待ちしていてパッと青に変わると向こうから、うわーっと歩いてくるんですが、スタイルや顔もみな同じ。そうじゃなくて、沢田さんは自分の顔を持っているし、自分の生き方もちゃんと持っている気がする。それがのまま舞台に出てくる。その自然体というのはいいなあと思うんです。本当、ご自宅なんかをちょっとのぞき見したいという感じがしますよ。(笑)きっと素敵な生活をしているんだろうなと。うちなんかひどいもんですから。』
J『そんなぁ(笑)。まぁ僕なんかはもとをただせば、ごく普通の人間だったのが、何か出会いみたいなことで、こういう世界にいることになってしまったわけです。それと話は違うかもしれませんが、ラクして、いいとこ取りするというのが、どうも性に合わないんですね。たとえば、商業演劇というと一週間も稽古をしないで本番という話を聞くと、商業演劇とはよく言ったもんだと思うんです。やっぱり今回のようにひと月稽古して、毎日顔を合わせてコツコツやって、そういう地道な作業の方が僕には合っているような気がします。それで汗だくになって、「よう頑張ってるな」と言わせないと気が済まない。だからできることは全部やらせてちょうだいという感じです。でも、やるからには、手柄は全部自分のものにしたいというところもあるんですよ。』
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ーースーパースター、ジュリーをずっと沢田さんは背負ってこられているような気がするんですが、ご自分では俳優業とのバランスをどうとっているんでしょう。
J『「背負っている」とかっていう言葉は僕は違うと思うんですよ。まぁ、保守的になっていないということだと思いますが、僕はこうでなければならない、とは決めてないんですね。おそらく、昔の点と点が結びついてそういう具合に言われるんでしょうが、僕にはそれより今日とか明日のほうが大切なんです。だから目の前の仕事を、汗を流して一生懸命にやる。それに俳優とのバランスということでは、そんなにコントロールできるものでもないですね。ただ、コンサートは僕の基盤にあって、それがあるからいろいろな仕事ができるということは言えます。』
栗山『舞台は民主主義なんですよ。だからもちろん沢田さんが主役なんですが、舞台の端っこにいる人も同等の力を持ってくれないと成立しないわけです。それを主役の人が分かっているか分かっていないかで、舞台は大きく変わってくるんです。だから沢田さんと仕事をしていて本当に楽しいですよ。舞台に立ってる人全部が一つの世界を共有できますから。そこがたんなるスターさんとの違いです。なかにはすごく偉そうな人もいて、僕なんかそれがいやで商業演劇はあまりやらないくらいなんです。』
J『周りから見ると熱狂的なファンがいると思われるかもしれませんが、僕が冷静に見ると、わりとみんな醒めているんですよ。自分たちは沢田とグルになっているという醒め方ですよね。でも、ステージや舞台があると毎日来てくれたりするんです。でも僕は「絶対に愛想よくしちゃだめ!」と出演者やスタッフに言ってます。そういうところばかりに向かっていると、僕はどんどん小さくなるしかない。僕は、もう少し遠くを見てるつもりですから(笑)。それより、この舞台にしても、男の人たちにもっと見に来てもらいたいですね。結構、面白がれると思うんです。』
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同じことを言い続けているジュリーだけど
実は、この同じことを言い続けることがどんなに大変なことなのか
ということは
年齢を重ねてきた人たちはみんなわかっていると思う。
何十年も同じように全力で舞台に向かうことができる人はこの世にはほとんどいないと思います。
そしてその原動力は家庭だったり、ファンの愛だったりするのでしょう。
すべてお見通しのジュリーの前では四の五の言わず楽しむだけですね^^v
2018年:ジュリーとファンの関係についてよくわかる記事なので再度アップしました。
以前にも一回ご紹介しましたが、もう一回^^。
演出家 栗山さんとの対談です。
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栗山『僕はこの芝居はなにかを積み重ねて深めるという作品じゃないと思うんです。その場に本当に生きているキャラクターがいることを感じてもらう、そのライブ感というんでしょうか、それが新鮮なら新鮮なほど劇場も熱くなっていくような気がするんです。その意味では沢田さんほどの適役はいないと思います。「漂泊者のアリア」のときも、僕は本当に驚いたんですが、広い舞台に沢田さんがポンといるだけで、もう舞台が完成してしまう。その存在感がすごくて、やっぱり世の中にはスターはいるもんだと。今回も、それはまったく同じですね。ただ、モーゼというのはじつに情けない男なんですけど(笑)』
J『そう、情けない(笑)。でも栗山さんに言われて照れるしかないんですが、歌手というのは一人でやりますよね。本当はお膳立てしてくれる人なんかがいて、一人じゃないんだけれど、そういう気にさせられるわけです。そうなるとまな板の鯉じゃないですが、何もしないほうがいい。変なテクニックを使うと、逆にお客さんは引いちゃいますから、ただ一生懸命歌う。そういう経験がどこかに染みついているのかもしれないですね。』
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栗山『僕は沢田さんの魅力は「生活」じゃないかと思うんです。稽古場にいらっしゃるときとか、帰られるときとか、来る時と帰る時が魅力的というのもおかしな言い方なんですが(笑)。僕なんか稽古場に来るまでに思うのは、すれ違う人間がみな同じ顔に見えるわけです。たとえば信号待ちしていてパッと青に変わると向こうから、うわーっと歩いてくるんですが、スタイルや顔もみな同じ。そうじゃなくて、沢田さんは自分の顔を持っているし、自分の生き方もちゃんと持っている気がする。それがのまま舞台に出てくる。その自然体というのはいいなあと思うんです。本当、ご自宅なんかをちょっとのぞき見したいという感じがしますよ。(笑)きっと素敵な生活をしているんだろうなと。うちなんかひどいもんですから。』
J『そんなぁ(笑)。まぁ僕なんかはもとをただせば、ごく普通の人間だったのが、何か出会いみたいなことで、こういう世界にいることになってしまったわけです。それと話は違うかもしれませんが、ラクして、いいとこ取りするというのが、どうも性に合わないんですね。たとえば、商業演劇というと一週間も稽古をしないで本番という話を聞くと、商業演劇とはよく言ったもんだと思うんです。やっぱり今回のようにひと月稽古して、毎日顔を合わせてコツコツやって、そういう地道な作業の方が僕には合っているような気がします。それで汗だくになって、「よう頑張ってるな」と言わせないと気が済まない。だからできることは全部やらせてちょうだいという感じです。でも、やるからには、手柄は全部自分のものにしたいというところもあるんですよ。』
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ーースーパースター、ジュリーをずっと沢田さんは背負ってこられているような気がするんですが、ご自分では俳優業とのバランスをどうとっているんでしょう。
J『「背負っている」とかっていう言葉は僕は違うと思うんですよ。まぁ、保守的になっていないということだと思いますが、僕はこうでなければならない、とは決めてないんですね。おそらく、昔の点と点が結びついてそういう具合に言われるんでしょうが、僕にはそれより今日とか明日のほうが大切なんです。だから目の前の仕事を、汗を流して一生懸命にやる。それに俳優とのバランスということでは、そんなにコントロールできるものでもないですね。ただ、コンサートは僕の基盤にあって、それがあるからいろいろな仕事ができるということは言えます。』
栗山『舞台は民主主義なんですよ。だからもちろん沢田さんが主役なんですが、舞台の端っこにいる人も同等の力を持ってくれないと成立しないわけです。それを主役の人が分かっているか分かっていないかで、舞台は大きく変わってくるんです。だから沢田さんと仕事をしていて本当に楽しいですよ。舞台に立ってる人全部が一つの世界を共有できますから。そこがたんなるスターさんとの違いです。なかにはすごく偉そうな人もいて、僕なんかそれがいやで商業演劇はあまりやらないくらいなんです。』
J『周りから見ると熱狂的なファンがいると思われるかもしれませんが、僕が冷静に見ると、わりとみんな醒めているんですよ。自分たちは沢田とグルになっているという醒め方ですよね。でも、ステージや舞台があると毎日来てくれたりするんです。でも僕は「絶対に愛想よくしちゃだめ!」と出演者やスタッフに言ってます。そういうところばかりに向かっていると、僕はどんどん小さくなるしかない。僕は、もう少し遠くを見てるつもりですから(笑)。それより、この舞台にしても、男の人たちにもっと見に来てもらいたいですね。結構、面白がれると思うんです。』
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同じことを言い続けているジュリーだけど
実は、この同じことを言い続けることがどんなに大変なことなのか
ということは
年齢を重ねてきた人たちはみんなわかっていると思う。
何十年も同じように全力で舞台に向かうことができる人はこの世にはほとんどいないと思います。
そしてその原動力は家庭だったり、ファンの愛だったりするのでしょう。
すべてお見通しのジュリーの前では四の五の言わず楽しむだけですね^^v
2018年:ジュリーとファンの関係についてよくわかる記事なので再度アップしました。
私はこのジュリーの不機嫌そうな顔も好きなんだなー。
ジュリーの様々な表情は見ていて飽きませんね^^v