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見世物としての死

2011-02-27 | Japan 日常生活の冒険
以前このブログで莫言の長篇小説「白檀の刑」のことをずいぶん取り上げた。それはこの魅力的な小説で、史上稀にみる残酷刑「凌遅刑」が取り上げられていたせいであった。「猫腔」なる架空劇の主宰者であった主人公がこの劇的な刑に処せられ、見せしめとして「緩慢なる死」を与えられるという、いわばフィクションの中で「見世物の死」が延々と語られていたのである。

「凌遅刑」とは、つい百年ほど前まで現実に行われてきた極刑で、当時の中国に食指をのばしていた列強諸国にとってあまりにも劇的であったため、その一部始終はボストカードにされて流布された。カードの一部はジョルジュ・バタイユが「エロスの涙」に転載し、さらに写真に触発されたサルバドール・エリソンドが「ファラベウフ ― あるいはある瞬間の記録」という小説をものにしたことは既に触れたと思う。

ところが莫言が創作したと思われる「白檀刑」とは、そもそも「凌遅刑」のことではない。白檀の木を細く削って作った棒を受刑者の肛門から串刺しにしてそのまま磔刑にするというもので、莫言は「串刺し刑」と「磔刑」の複合技をかけられた主人公に、さらに「凌遅刑」を複合させて味あわせるというそら怖ろしいことを考えつくのである。

このうちの「磔刑」は、ゴルゴダの丘のキリストに代表されるように受刑者を衰弱させて「緩慢な死」に至らしめる類のものである。「凌遅刑」と比較してもその「緩慢」の度合いは緩いだろう。「串刺し刑」の方は、そもそも「緩慢」とはほど遠い、即効性の高い処刑方法だったのだろう。吸血鬼ドラキュラのモデルと言われるトランシルヴァニア(ルーマニア)の「串刺し公」ヴラド三世が採用した方法は、先を削った杭で人間を生きたまま貫き、肛門から口まで杭を通して死に至らしめるという残酷なものである。通例は受刑者がもがき苦しむことで意に反して体が自重で杭に突き刺さっていき、最終的に命を落とすことになるのだろうが、心臓や脳髄などの臓器に致命傷を与える前に杭を寸止めにしたり、「白檀刑」のように磔を複合させて体がずり下がらないように固定できれば、「串刺し刑」も即効性を失い「緩慢」の度合いを増すのだろう。

南米奥地の人食い族に探検隊が襲われ食べられてしまい、遺されたフィルムを編集して公開したという「食人族」という映画があった。私は未見だが、この映画で最もショッキングだったシーンが全裸女性の「串刺し」のシーンだったらしい。この残酷シーンは以下のように画像検索で容易に見つかるが、下半身に突き刺さっている杭の根元と口からはみ出した杭の先がどう見ても一直線上にないことは明らかである。フィクションをドキュメンタリーのように見せかけて話題作りをしたことは、今や周知の事実である。



「串刺し公」ヴラド三世については、たまたま同じ題名の二冊、故・種村季弘「吸血鬼幻想」と菊地秀行「吸血鬼幻想-ドラキュラ王国へ」に詳しい。特に前者は私が最初に読んだ種村氏の著作で懐かしい。氏の晩年の著作に「江戸東京<奇想>徘徊記」という東京ガイドがあり、死を見世物にするという主題の文学作品としてマンディアルグ「大理石」とカフカ「断食芸人」が紹介されている。マンディアルグの方は、偶然にも私が「白檀の刑」を読んでいる際に想起した作品であった。それより面白いのは、博覧強記の種村氏が、江戸を舞台にして死を見世物にした興味深い事例を紹介されていることである。


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