鶉屋さんのつぶやきの中に大竹伸朗が香川県の直島に作った銭湯「I♥湯」のことが出ていて反応してしまった。
直島は長年に亘って三菱の銅精錬所が島内最大の産業で、そこから排出された亜硫酸ガスで木は枯れて今なお殺伐としている。かつては釣り客以外に観光客が訪れるような場所ではなかった。唯一の例外は、建築学科の学生が町役場など石井和紘設計の建築を目当てに訪れるくらいだった。
ところが1980年代にベネッセがその地に美術館を作り「直島文化村」を謳う。その後、ベネッセの文化活動は美術館に収まらず、直島島内の至るところへ広がることになる。2004年には文化村は「ベネッセアートサイト直島」と名を改めており、今や直島は美術ファンの巡礼地と化した感がある。
大竹伸朗は1994年に「アウト・オブ・バウンズ 海景のなかの現代美術展」に90年に発表済みの「シップヤード・ワークス」を出展、これが美術館に収蔵されて以来、2001年のスタンダード展で「落合商店」、02年に個展、06年スタンダード展2で「はいしゃ」「舌上夢/ボッコン覗」と、直島を制作・発表の場としてきた。直島銭湯「I♥湯」もこの延長の仕事であるが、「落合商店」や「はいしゃ」が古民家を用いたのと違って、更地に銭湯を建設するというもの。つまり銭湯が丸ごと新作。
「I♥湯」の様子は、雑誌「papyrus」の2009年10月号で詳しく取り上げられていた。銭湯というとまず巨大な彩色ペンキ絵を思いつくが、大竹はその代わりに白地に藍色の描線の巨大な(4.4m×2.0m)タイル絵を描いた。題材はうれしいことに「海女」。直島は「龍宮玉取姫」伝説の舞台にも近いのである。女湯と男湯に海女を題材にした別の絵が描かれていて、一方には中央に「大蛸」が描かれている(海女より蛸が主役のようにも見える)。女湯と男湯は定期的に入れ替えられるので、両方を体験することもできるらしい。

さらにうれしいことにタイル絵の下のガラス張りの向こうは温室になっていて、百種を超えるサボテンと、百種を超える観葉植物が育てられている。(ということで、前回の記事とはサボテン繋がりでもある)
直島は長年に亘って三菱の銅精錬所が島内最大の産業で、そこから排出された亜硫酸ガスで木は枯れて今なお殺伐としている。かつては釣り客以外に観光客が訪れるような場所ではなかった。唯一の例外は、建築学科の学生が町役場など石井和紘設計の建築を目当てに訪れるくらいだった。
ところが1980年代にベネッセがその地に美術館を作り「直島文化村」を謳う。その後、ベネッセの文化活動は美術館に収まらず、直島島内の至るところへ広がることになる。2004年には文化村は「ベネッセアートサイト直島」と名を改めており、今や直島は美術ファンの巡礼地と化した感がある。
大竹伸朗は1994年に「アウト・オブ・バウンズ 海景のなかの現代美術展」に90年に発表済みの「シップヤード・ワークス」を出展、これが美術館に収蔵されて以来、2001年のスタンダード展で「落合商店」、02年に個展、06年スタンダード展2で「はいしゃ」「舌上夢/ボッコン覗」と、直島を制作・発表の場としてきた。直島銭湯「I♥湯」もこの延長の仕事であるが、「落合商店」や「はいしゃ」が古民家を用いたのと違って、更地に銭湯を建設するというもの。つまり銭湯が丸ごと新作。
「I♥湯」の様子は、雑誌「papyrus」の2009年10月号で詳しく取り上げられていた。銭湯というとまず巨大な彩色ペンキ絵を思いつくが、大竹はその代わりに白地に藍色の描線の巨大な(4.4m×2.0m)タイル絵を描いた。題材はうれしいことに「海女」。直島は「龍宮玉取姫」伝説の舞台にも近いのである。女湯と男湯に海女を題材にした別の絵が描かれていて、一方には中央に「大蛸」が描かれている(海女より蛸が主役のようにも見える)。女湯と男湯は定期的に入れ替えられるので、両方を体験することもできるらしい。

さらにうれしいことにタイル絵の下のガラス張りの向こうは温室になっていて、百種を超えるサボテンと、百種を超える観葉植物が育てられている。(ということで、前回の記事とはサボテン繋がりでもある)