萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第53話 夏至act.1―side story「陽はまた昇る」

2012-08-25 23:30:30 | 陽はまた昇るside story
夏、至るときへ



第53話 夏至act.1―side story「陽はまた昇る」

空が青くなった。

昨日よりも今日の空は、青が濃い。
そして昨日より少しだけ光の時が短いのは、夏至が過ぎ去ったから。
空は梅雨の雫に洗われていく、雨の途切れに青空の濃さを見せて、夏の到来を告げていく。
そうして季は移ろって空も時間も色を変える、きっと自分の瞬間も変貌させて。

―それでも俺は、諦めない

見上げる空に笑って英二は、携帯電話を開いた。
窓辺の壁に凭れて発信履歴をリダイヤルさせる、コール2つで繋がって英二は笑った。

「おつかれ、光一。明日はごめんな、」
「おつかれさん、端っから謝っちゃうワケ?」

からりテノールが笑って答えてくれる。
その声の向こうに聞き慣れたエンジン音を感じて、光一に笑いかけた。

「うん、最初に謝るよ。今って移動中?」
「そ、署に帰るとこだよ。おまえは部活終わったトコだろ、明日、家に帰る準備できてんの?」

光一の声は、イヤホンマイクを通しても飄々と明るい。
この聴き慣れたトーンが懐かしい。数日前に会ったばかりだけれど「懐かしい」と想ってしまう。
こんなことに気付かされる。7カ月間を共に過ごした声はもう、当たり前のよう馴染んでしまった。
そんな馴染みへと英二は笑って答えた。

「このあと準備するよ、大した荷物は無いけどさ。ただ、心の準備は必要かなって思うよ、」

明日は安本に会う、きっと意味のある時間になる。

初めて会った11月、安本とは周太も一緒に呑む約束をしてきた。
けれど予定が難しくて先延ばして、それでも明日は何とか昼飯を一緒に出来る。
その2時間ほどの時間には意味があるだろう、安本は馨の同期で「最期の任務」のパートナーだったから。
きっと安本なら「警察官である馨」の素顔をまた教えてくれるはず、考えと空を見あげたときテノールが笑ってくれた。

「ふうん、武蔵野のひとだね。なにが出るかお楽しみ、ってトコだな、」

察しの良い相槌は、声が明るい。
この明るさが自分にとって救いになる、そんな感謝に微笑んで英二は頷いた。

「そうだよ。どんな話になるのか覚悟してるとこ、なにかヒントが貰えるかもしれないから、」
「だね、意識的にも無意識にも、教えてくれそうじゃない?ま、注意も必要かなって思うけどね、」

テノールの声が言ってくれる意味に、すこし不安が暗くなる。
それでも声の明るさに英二は微笑んだ。

「正直なとこさ、周太が一緒だと緊張するよ?でも、周太がいるからこそ引き出せる事も多くなると思う、」
「そりゃそうだね?頑張んな、」

からっと光一が笑った向こう側、エンジン音が響いていく。
もう日常になった音に安らぎながら、英二は綺麗に笑った。

「うん、頑張るよ。でも、明日はごめんな?畑とか忙しい時に、連続勤務にさせて、」

複数駐在所である御岳では常勤する駐在所長の岩崎と、英二と光一が交替性で勤務している。
だから初任総合の間も外泊日は青梅署に戻って光一に休暇を取らせたかった、兼業農家の光一は家業も忙しいから。
けれど今週末は川崎に帰らせて貰うから、光一は2週間ずっと勤務になってしまう。
それなのに光一はイヤホンマイクの向こうで笑ってくれた。

「気にしないでよね、おまえ戻ったら休み貰うしさ。それより、明日は色々よろしくね、」

安本との「明日」を光一も気に懸けている。
このパートナーに感謝しながら英二は素直に頷いた。

「そうだな、ありがとう。明日のことでさ、なんか気になることってあるか?」
「うん?そうだな、」

相槌にテノールが考え込んで、沈思にエンジン音が聞える。
どこか鼓動のような音がしばらく響くと、光一は口を開いた。

「たぶん周太、なんかしら質問するよね?それが何かに因っては、ちょっと危ないよね、」

光一の言う通りだろう、聡明な周太なら父の旧友から「事情聴取」出来る機会を逸さない。
この危惧は自分でも考えた、脳裏を纏めながら英二は口に開いた。

「うん、当日の様子とか訊くと思うよ。光一は、どんな質問だと思う?」
「当日の様子だろ?なら、装備じゃない?」

さらっと言われた答えは、頷けてしまう。
この「装備」が馨の「生存の意志」を確認する証拠ともなるから。
そのことを光一も示唆してくれている、そして「装備」で最も気にするだろう物が浮びだす。
その考えに微笑んで英二は、電話向うのパートナーに笑いかけた。

「そうだな、状況確認になるよな?あと、小説から何かあった?」
「ソレなんだけどさ、ちょっと話し合いたいコトあるんだよね。ま、来週までに読み直しとくよ、」
「わかった、よろしくな、」

話し合いたい事は何だろうか?考えながら外へ目を遣ると、雲に金色がかかりだす。
黄昏兆す雲の光彩は明るい、これなら明日は晴天だろう。
きっと奥多摩では山の客が多くなる、晴れた夏山は美しいから。

―山、行きたいな、

ふわっと起きあがる想いに、笑ってしまう。
こんなふうに山を恋うる自分を、一年前は考えられなかった。
この変化に時の流れたことを思い知らされる、そして訪れる瞬間への恐怖と覚悟が同時に座りこむ。
こんな自分は未練たらしい?それとも少しは強くなったろうか、そんな想い微笑んで英二はアンザイレンパートナーに言った。

「光一、そっち戻ったらさ、一緒に登ろうな、」
「おう、楽しみにしてるよ?…英二、」

気恥ずかしげなトーンに名前、呼んでくれる。
このトーンを何度もう聴いてきた?穏やかに微笑んで英二は、正直に頷いた。

「うん、楽しみにしてる。明日も気を付けろよ、光一、」
「ありがとね、」

電話に繋いだパートナーの無事を祈りながら、見た空は光芒が広がりだす。
蒼穹は薄紅と黄金へと彩を変貌させていく、窓ふる光も陽の終わりに夜を兆させる。
きっと今、山の黄昏は光彩あふれて、太陽の眠る壮麗を見せていく。

―あの世界に帰りたいな、

そして願っていいのなら、恋する人を連れて帰りたい。
この今すぐには出来ないと解っている、けれど、いつかを信じて願っていたい。
そう信じることでしか今、自分を押えることも出来ないから。
そんな想い佇んだ耳元へ、透明なテノールが問いかけた。

「周太の具合、その後どう?」
「うん、元気だよ。なるべく無理させないようにしてる、」

答えた向こうで、ほっと吐息の気配がゆれた。
やっぱり心配かけていたんだな?少し自嘲に笑った向こうから、率直に訊かれた。

「それって夜の色ゴトも、ってコトだよね?おまえ毎晩、周太の部屋にいるんだろ、」
「うん、いつも一緒に勉強してる。そのために俺、ここに来たんだしさ。あれからはベッドでも、眠るだけにしてるよ、」

ストレートな質問への答えに、電話向うで微かなが吐息こぼれた。
きっと、本当に光一は心配していたろう。英二の性格をよく知っている分だけ、光一には気遣わさせている。
そんな心配を大きくさせることを数日前に光一へと言ってしまった、自責に微笑んで英二は謝った。

「ごめんな、光一。こんな馬鹿な悪い男でさ、いつも心配かけてるよな?」
「まったくだね、この俺を心配する側にさせるって、マジ危険な男だよね、」

からっと言って、可笑しそうに笑ってくれる。
けれど光一は明瞭に言ってくれた。

「ちょっと嫌なこと言うよ。おまえは勝手な悪い男だから、ソレで幸せだろね?でも、周太の性格も考えてから、ヤってくんない?
えっちのことに口突っ込むの嫌いだけどさ、おまえマジで無理させすぎてるんじゃないの?だからこの間だって周太、倒れたんだろ?」

数日前、周太は低体温症で倒れた。

その日は吉村医師の特別講義があった、それで光一も補佐として警察学校を訪れている。
そのとき光一に周太を気遣うよう釘を刺されていた、吉村医師も周太を心配してくれた。
吉村医師は病理学的に周太の疲労を心配し、光一は英二の性癖から心配をして助言を聴かせてくれた。
それなのに見過ごして、周太をひとり屋上で雨に撃たれさせてしまった。そして疲労の溜った体は低体温症に斃れた。

あのとき、どうして周太の異変に気付けない?
あのとき、図書室に行くという言葉を真に受けて、目を離してしまった。
後にして思えば周太の行動は予想できたことだった、もっと注意深く見ているべきだった。
けれど全てに後悔しきれていない自分もいる、それに自責が痛みだす。あの雨の夜から見つめる想いに英二は正直に口を開いた。

「俺こそ酷いこと言うよ、光一?俺はね、いっそ周太が体を壊して、辞めてくれたら良いって思ってるんだ、」

電話の向こう、息を呑む。
想ったとおりの反応に英二は、静かに微笑んだ。

「もし、周太が体を壊して辞職すれば、あいつらも追いかけて来ないだろ?体がダメになった周太は用無しのはずだからさ。
あいつ等が欲しい能力を失えば周太は脱け出せる。そうしたら連鎖も終りだ、俺と周太には子供も生まれないから、次も無い。
そうしたらもう、全部終わりだ。あいつらの計画も目論見も、全部ぶち壊してやれる。そしたら俺は満足だ、いい気味だって笑うよ、」

連鎖の束縛が求めているのは「能力」だけ。
それなら周太から能力を奪ってしまえば良い、そうすれば周太を掴まえる動機は消滅する。
これが最も手っ取り早い「湯原家の連鎖」を絶ち切る方法、これで周太は完全に解放される。
けれどこれは最も残酷な方法。
それでも本当は選んでしまいたい自分がいる、そんな想い微笑んだ向こう、透明な声が問いかけた。

「おまえ、なに言ってるのか解ってんのか?…周太のこと、壊して良いって思ってるのか?」
「思ってるよ、」

迷わず即答して、微笑が口許を侵しだす。
穏やかに笑んだ唇から、本音そのままを英二は言葉に変えた。

「周太に死んでほしくない、傍にいて笑ってほしい。それが叶えられるなら周太の体、すこし壊れてもらって構わない。
それでも俺、周太を幸せにする自信あるから。それにさ、そうなったら周太のこと、完全に俺が独り占めできるだろ?好都合だよ、」

自分は残酷だ。

離れたくない独占したい、そんな理由で恋人の体を壊しても良いなんて想ってる。
こんな自分の恋愛は狂気だ、あの壊された本から消えた「異形の恋愛」と何も変わらない。
家の書斎に遺された『Le Fantome de l'Opera』あの恋愛小説から隠されたFantome「仮面の男」とは、自分こそが同類だ。

“ Fantome:化物、彷徨する、幻想 ”

切り落とされたキーワード『Fantome』の意味が自分に跳ね返る。
さまよう化物が見つめる幻想、その意味が自分にはよく解るから。
この『Fantome』を無理矢理に冠された人々よりも、自分こそがこの名に相応しい。

―本物の仮面の男が、『Fantome』の鎖を叩き潰すってことだな?

こんな考えが可笑しい、浅はかな人間たちの思惑が可笑しい。
きっと彼らは『Fantome』を手に入れたと喜んでいるのだろう、今も周太を見張りながら法の正義に酔っている。
けれど彼らは何も解っていない、本物の『Fantome』は恋愛に貪欲な化物じみた男なのに?
そして自分ほど「仮面」が得意な男もいない、自嘲と英二は綺麗に笑いかけた。

「でも俺、解ってるんだ。そんなことしても、周太を本当の意味で救けたことになんかならない。だからしない。
お父さんの真実を周太は自分で見つけたいんだ、それが終わるまでは14年前の夜は終わらない、周太は何も前に進めないんだ。
それが解かるから俺は、周太の体を傷つけない。だから安心して良いよ、光一?但し『夜のコト』は止めるつもり無いけどさ、許してよ?」

ほら、こんなに自分は身勝手だ?
けれどこれが正直な本音、身勝手な惨酷でも、これが自分。
こんな恋愛しか出来ない自分を、唯ひとりのアンザイレンパートナーはどう想うのだろう?

「ふん…マジ、危険な男だね、おまえ?」

透明なテノールが溜息にこぼした。
いま電話に繋がれながら、アンザイレンパートナーは応えに微笑んだ。

「周太のことだからね、ガッコでえっちするとかってストレスだと思うよ?おまえはヤバいの嫌いじゃないだろうけどね、
そういうの周太は本当は無理してる、だから周太に疲れが溜まるってことくらい、ホントはおまえなら気づいてるんだろ?
でも、おまえはヤりたいんだろ?奴らに肚立ってるから、余計に拍車が懸ってんだろ?でも、それだけで抱いてるんじゃないね?
この研修が終わったら、ちょっとすりゃ異動だ、もう『今』しかチャンスが無いってヤるんだろ?おまえの美しい笑顔か泣顔で迫ってさ、」

さすがに察しが良いな?
感心しながら英二は、きれいに笑いかけた。

「ぜんぶ当たり、」
「あーあ、マジ危険馬鹿男、」

呆れながらも可笑しそうにテノールが笑う。
仕方ないな?そんな寛容が困りながらも笑ってくれる、そんな相手だから「血の契」すら出来たとまた肚に落ちる。
この大らかな優しさが自分は好きだ、どこか山のような相手に笑って英二は、正直に言った。

「おまえなら解ってるだろうけど俺、ちょっと楽しんでるとこある。不謹慎だし軽蔑されるだろうけどさ、でも構わない。
正直に言うと今、苛々するくらい肚が立ってる。あいつらの正義と都合ってやつを全部を叩き壊したい、だから違反とか気持ち良いよ?
なにより今のチャンスを逃したら俺、ずっと後悔し続けると思う。この研修が終ったら夜も一緒にいられること、もう期待できないから」

法の正義、組織の都合。今、その全てに腹が立つ。

どうして馨は死んだ?
どうして馨は夢を諦めなくてはいけない?
どうして馨の家族は苦しみ続けてきたのか、重たい連鎖は何故生まれた?

50年前、川崎の住宅街で響いた一発の銃声。
そして放たれた一発の銃弾、生み出された2つの射殺遺体。
それを創りだした意図は何なのか、そこに偶発性なんか本当はもう、自分は見ていない。

なぜ敦の誕生日に家まで、解雇された男が尋ねてきたのだろう?
なぜ男は川崎の家を知っていた?まだ情報が今ほど流れていない時代なのに?
なぜ警視庁の男はあの瞬間すでに家にいたのだろう、まだ宴席は始まる前だったはずなのに?
そして銃撃事件にも関わらず全てがスムーズに「秘密裏」と出来た、これら全てのタイミングは本当に偶発?

あの事件の全てが「法の正義・組織の都合」なのではないか?

そう自分は疑い始めている。
そして確信は事実が見えるほどに、どす黒く変貌を見せていく。
あの古い写真たちに残された敦の血痕、あの色彩があざやいで、心の肚に怒りと哀しみを染めあげる。

―赦せない、俺は

恋する人と、その家族を踏み躙り続けることが赦せない。
本当は今すぐにでも滅茶苦茶にしてやりたいと思い始めている、けれど時を待っている。
いちばん相手を叩き潰せるチャンスを狙って見つめている、いろんな考えと計画を見張りながら。

なによりも「今」限られてしまった時間、それに向かう焦燥感は止まない。
だからこそ今を後悔しないよう生きていたい、自分の中の優先順位を間違えたくはない。
そんな想いと窓に佇んでいる向こうから、透明なテノールが笑ってくれた。

「今、止めるだけ野暮ってコトくらい解ってるよ?でも周太のこと傷つけないでよね、でないと俺がキレちゃうからさ、」
「うん、ありがとう光一、」

また受けとめて貰えた、こんなに惨酷で身勝手な自分なのに。
このパートナーへの信頼がまた深くなる、そして切ない罪悪感に英二は微笑んだ。

「ほんとにごめん、こんなこと光一に話すなんて酷いよな?でも、正直に話したかったんだ、聴いてほしかった、」

全てを聴いて、そして受けとめてほしい、唯ひとつの『血の契』に繋がれて。
そんな願いを唯ひとりのアンザイレンパートナーに想う、この想いへと光一も笑ってくれた。

「ホント酷い男だよ、オマエって。残酷なことばっかいう癖に、どうせ別嬪の笑顔でいるんだろ?」
「まあね、」

さらり短く答えて英二は微笑んだ。
そして素直な光一への想いを唇に載せて、綺麗に笑った。

「ありがとな。やっぱ光一じゃないと、俺のパートナーは無理だって思うよ、」
「なんだよ、俺まで誑しこむ気だろ?ま、嬉しいけどね、」

悪戯っ子なトーンで透明な声が笑う、こんなふうに明るく笑い飛ばされることが嬉しい。
あの雨に覚悟しても今、やっぱり心までは辛さも哀しみも誤魔化せないから。
だから笑ってくれると救いになる、こんなに救い求めるほど本音は苦しい。

けれど今の苦しみすらも恋人に繋がるのなら、それでいい。
いくら泣いても構わない、その分いつか笑えるのなら、それでいい。
幸せを掴みとる「いつか」を信じて今、なすべきことをなせばいい。

信じる瞬間を見つめて「今」を積み上げる、その向こうからほら、鎖が姿を見せる。
運命の瞬間は夏に化けて、鎖の思惑が凝視する。

けれど、鎖に曳きまわされ破壊に堕ちるのは、いったいどちらだろう?




デスクライトの灯りのなか、周太のペンが奔っていく。
ペンの滑るページは救急法の知識が詰められて、すでに沢山のメモたちが几帳面に並んでいる。
この初任総合が始まって2ヶ月ほど、その毎晩を学んだ軌跡が残されてある。

救命救急法、法医学、そして拳銃とライフルの狙撃データ。
周太に必要な知識を1つでも多く収集して、ファイルに綴じ込んだ。
もう2度目の異動後からは、英二が周太の傍にいることは出来ないだろう。
けれどファイルなら周太に付いていける、だから無事に周太が生還する援けをファイルに詰め込んだ。

たとえ0.1%でも多く、生還する可能性が増えてほしい。

その祈りと願いを籠めて7ヶ月間、このファイルを作りあげた。
このファイルがどうか救けになるように、そして心身とも無事に笑顔を見せてほしい。
この今も懸命に知識を心に映す、この体も心も想いの全てが、どうか自分の懐に帰ってきますように。
そんな想いと見つめるペン先が止められる、その隙を逃さす英二は、恋人の掌からペンを抜きとった。

「周太、今夜はここまでにしよう?」

微笑みながらファイルも閉じてしまう、その腕に花がふれる。
端正に活けられた青と白の花から清澄な香こぼれだす、この花は今日の華道部で活けた花。
それぞれ選んだ花を周太は、2つながら共に1つへ活けてくれた。

花すらも居場所を共にし、茎を合わせ共に咲く。
そんな姿に想ってしまう、人である自分も恋しい人と共にしたい。
ほらまた温もりの肌を求めてしまう、光一に釘をまた刺されたばかりなのに?
けれど自分のルールに今夜も従ってしまうだろう、そんな意図に英二は恋人へと笑顔ほころばせた。

「きれいに活けてくれたね、周太、」
「ん、ありがとう…気に入ってくれる?」

活けた花に気付いてもらえると嬉しいな?
そんなふう黒目がちの瞳は微笑んでくれる、この幸せ見つめながら英二は正直に笑いかけた。

「もちろんだよ、でも周太がいちばん綺麗だけどね、」

言った途端に周太の首筋へと紅さし初めていく。
こういう恥ずかしがりが可愛くて、血潮の紅が綺麗で見たくて、つい恥ずかしがらせてしまう。
そんな想いと首筋を眺めながら机を片づけて、英二は恋人の体を椅子から抱きかかえた。

「ほら周太、もう寝よう?」

この「寝る」の意味を、君は解かってくれる?
そんな想い籠めて見つめるけれど、純粋な瞳はきっと気づいていない。
こんな初心のままが愛しくて嬉しい、そんな想いと見つめる真中で周太は頷いてくれた。

「はい…寝るね?」
「素直で可愛いね、周太は、」

微笑んでベッドに抱き降ろすと、英二はデスクライトを消した。
ふっと夜の闇が部屋を満たして、視覚から静謐にとり囲まれる。
この闇に隠しこんで秘密に守られたい、願いを闇に見つめながらベッドに身を入れた。

この夜も、誰にも邪魔させない。

いつも自分が遵奉する規則、規律、そんなものは今どうでもいい。
あいつらの思惑が嫌いだ、あいつらが決めた都合に従うほどには、従順でもなければ善人でもない。
こんな自分を軽蔑するならすればいい、警察官らしくなくても自分らしければそれでいい。
ただ自分に正直なまま、本当に大切な記憶をこの掌に掴んで、後悔しない瞬間を重ねたい。

「周太、緊張してる?…かわいい、」

ほら、見つめる黒目がちの瞳が今も、途惑っている。
こんな純粋な瞳に見つめられたら黒い心まで侵略されて、こんな自分の愚かさも身勝手も浄化されそう?
こんなふうに誰にも想ったことが無かった、きっとこの先も他の誰にも想えない、この幸せな侵略の視線には出会えない。
この視線にもっと自分を侵略させたい、自分だけ見つめてほしい、恋する鎖で縛り上げられ曳きずられたい。
そんな願いに微笑んで英二は、恋人の肌に唇でふれた。

「あの、英二?…なにしてるの、寝るんじゃないの?」
「寝るよ、周太…もうひとつの意味でね、」
「もうひとつのいみってなに?…あ、」

問いかけに、唇で封印のキスをする。
これからの時間は言葉は要らない、お互いの温もりが想い交してくれるから。
この時間を誰にも邪魔させない、誰にも許可を願うつもりも無い、懺悔したい相手はいるけれど。

―明日、話さないといけないな

最後にそれだけを想って、深いキスに恋の主人を抱きしめる。
抱きしめてシャツのボタンをひとつ外す、夜の許しを強奪するために。
これは身勝手だと知っている、光一に言われた通り無理させると解っている、けれど赦しを奪いたい。

ただ幸せに攫いこみたい、この夜の帳を味方につけて、幸福の瞬間に今を染めあげて。




(to be continued)

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