萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第52話 露籠act.5―side story「陽はまた昇る」

2012-08-15 23:50:24 | 陽はまた昇るside story
夜来の雨に祈り、



第52話 露籠act.5―side story「陽はまた昇る」

雨が窓を叩く音が、やけに遠く聞こえる。
代わりに今、聞いたばかりの言葉が近くリフレインした。

“お父さん、自殺だったのかな、”

周太は「殉職」の意味に気づいた。
本当は気づかせたくなかった、けれどこれが現実。

―でも、どう対処するかで、まだ間にあう

気付いても構わない事実、それだけを示して止めてしまえばいい。
そして秘密は護られる、馨が望んでいた通りに。

―お父さん、あなたの想いを出来るだけ叶えられますように

祈り見つめる想いへと、書斎の写真立から馨が微笑む。
寂しげでも綺麗な笑顔を心に抱いて、黒目がちの瞳を覗きこんだ。
覗きこんだ瞳に写真の俤が映っている、なにか懐かしい想いと英二は微笑んだ。

「どうして周太、そう思ったんだ?」

どうして思ったのか、なぜ気付いたのか?

本当はどうして気付いたのかは、解っている。
自分が犯したミス、『春琴抄』を遺した扼殺事件を話した所為だと解かっている。
けれど、どうやって周太は辿り着いたのか?その想いを聴かせてほしい。
想い秘めたまま尋ねた先、黒目がちの瞳は少し微笑んで、真直ぐ英二を見つめた。

「ん…『春琴抄』のことを、藤岡と吉村先生に聴いたから、ね」

ほら、やっぱり君は辿りつこうとするんだ?

けれど君が辿りつくことは危険、だから止めてしまいたい。
それなのに、犯したミスに君は逃さず気がついて、見つけて掴まえようとする。
こんなふうに唯一度のミスに掴まえて、君は知らずに俺を追いつめ不安で殺そうとする。

―まるで、唯1回のミスで命を落とす「山」みたいだね、周太?

どんな「山」でも、ミスを犯せば危険に墜ちる。
それが山の掟、この峻厳は深い懐の温もりと表裏のままに、ただそこに佇む。
そんな姿は最愛の婚約者と似ているようで、この想起に山っ子の言葉が心過ぎった。

“神様に近いね。不可侵で不滅で、永遠だよ”

光一も周太に「山」を見つめている、その理由が少し今、解かったかもしれない。
そんな想い穏やかに見つめた英二に、微笑んで周太は続けてくれた。

「事例研究の授業で英二、扼殺事件のこと話してくれたでしょう?あのとき物証になった本は、ページが抜けていたんだよね?」

どうか正直に答えて?

そう黒目がちの瞳が願いに見つめてくれる。
この眼差しを信じさせるため、示して良い事実を脳裏に選んでいく。
今度こそ間違えないよう、ミスがないよう祈り微笑んで、英二は短く事実を告げた。

「うん、そうだよ、」

ほっと溜息が、周太の唇からこぼれ落ちる。
かすかな緊張と安堵を瞳に見せながら周太は、温かなボトルに口をつけた。
ふわり柑橘と蜂蜜が雨音に香る、この優しい香のなか落着いた声は話し始めた。

「ページを抜いた人の気持ちを、今日、吉村先生に聴いてみたんだ…先生、符号みたいだって教えてくれたよ。
本は喉布から切り落とされて、死因は扼殺でしょう?このどちらも首を示してるよね、それが殺されることを望む符号みたいって。
加害者が自殺幇助をするよう、被害者本人が仕向けたのかなって話してくれたよ…だから、お父さんも同じかなって思ったんだ…」

ひとつ言葉を切って周太はホットレモンを飲んだ、その貌は穏やかな冷静が微笑んでいる。
さっき雨のなか泣き叫んだ周太は、今は落着いて父の想いを見つめている。その瞳は深い純粋が美しい。
こんなふうに周太は勁い、だから自分は恋をした。

―周太、君はもう受け留めたんだね?泣き疲れて眠りながら

愛する父の自殺。

この苦しい現実に周太は、雨のなか崩れ落ちた。
独り屋上の雨に凍えて泣き叫んだ、それが薄赤い目から解ってしまう。
そして慟哭に泣いた瞳は今、静かに微笑んでいる。この凛冽を瞳映した人は静かに口を開いた。

「うちの書斎にある本、ページが抜けてるのあるでしょ?『オペラ座の怪人』って本…あれ、お父さんが切ったと思うんだ。
俺、お父さんがページを抜いた理由と気持ちを知りたかったんだ。それで吉村先生の『自殺幇助』って言葉が合うかなって思った…」

邦題『オペラ座の怪人』あの書斎に遺された『Le Fantome de l'Opera』
それだけしか周太には、父から遺されたものは無い。他にあるのは、父の記憶だけ。
たったそれだけ、けれど周太は父の想いに辿りつこうとしている。「ページが抜けた本」という共通点を見つめることで。

―周太、そんなにも知りたいんだね、お父さんの気持ち

それほどまでに周太の心の傷は深い?
もう14年が経っている「殉職」の瞬間、けれど周太のなかでは何も終わっていない。
そしてもう、英二自身のなかでも「殉職」は真実の姿に時を刻み始めている。いまも時の音を雨に聴く隣から、静かな声が告げた。

「お父さんは、自分から撃たれたのかなって、思ったんだ…お父さんが信じた理由のために、銃で、亡くなったのかな、って…」

父の「殉職」の意味に何を想い、考えているの?
どうか教えて?あなたが何を想い、何を見つめているのか?

ざあっ…はたた、はたたっ…さああ…

雨音の奏でる静かな夜に、問いかける黒い瞳を見つめる。
ふりしきる音と眼差しのなか、カーテン透かす街路灯が壁に雨の軌跡を映して見せる。
やさしいレモンの香とコーヒーが交わす甘く苦い空気、微かに聞えそうな隣の鼓動の音、そして自分の隠した拍動。
この安らかな静謐に潜む緊張を見つめながら、そっと英二は呟いた。

「お父さんが信じた理由、か…」

呟いてコーヒーを啜りこむ、その香がいつもより苦い。
ほろ苦い吐息こぼした掌が知らずボトルを握りこむ、そして想いが交錯する。

馨が「殉職」を選んだ理由、その2つを自分は知っている。
この2つとも周太は気づいたのだろうか?それとも「馨の息子」として気付いたものがあるだろうか?
この自分が知っている馨の想いは紺青色の日記帳、その想いから今、どのように応えるべきだろう?
ゆっくり振向いて、黒目がちの瞳に写真の俤を見つめて、穏やかに英二は微笑んだ。

「もし本当に自殺幇助だとしたら、お父さんは嘘を吐きたかったんじゃないかな」
「…嘘を?」

どういう意味だろう?

そう黒目がちの瞳が問いかける、この問いかけに馨なら何て応えたい?
この今も首から提げた合鍵が、カットソーの下で英二の胸に触れてくれる。
この合鍵に籠められた祈りを見つめて、英二は真直ぐ周太に微笑んだ。

「あの夜、お父さんが撃たれる事は、誰にも予想できない事だったろ?ラーメン屋のおやじさんだって、殺すつもりは無かったんだ。
それは、お父さんだって同じだ。あの夜に自分が撃たれる、そんな予想なんて出来る訳が無い。全てが偶然の廻り合せだったんだよ。
だから14年間、お父さんが『自分から撃たれた』なんて考えつかなかったんだろ?この『考えつかない』ことに嘘への願いがあると想う、」

馨が「殉職」に籠めた嘘、この願いを伝えたい。
この願いと見つめた先、馨の息子は真直ぐ見つめ合うまま問いかけた。

「…死ぬこと以外に、お父さんが願ったことがあるの?…銃殺されること以外に…英二?もう、知っているんでしょう?
お父さんが何をしていたか…SATの狙撃手で…人を殺したこと気づいているんでしょう?英二、初任教養のとき言ったよね?」

つぶやくよう問いかけが、周太の唇からこぼれだす。

「宿直室で、立籠り事件の前だよ、『SITかSATに行くんだろ?』って俺に言ったよね?
お父さんの任務を俺が追いかけてるの、知ってたから言ったんでしょ?お父さんがSATだったこと気付いてるから言ったんでしょ?
そんなこと確かに警察官なら誰でも解かると思う、射撃のオリンピック選手で警察に所属したら、狙撃手に指名されない筈がないから」

特殊急襲部隊 “Special Assault Team” 通称SAT。
そこは厳しい条件を満たした者が選ばれ、志願の誘いを掛けられる。
そして狙撃手に指名される者は、狙撃の腕は勿論のこと銃火器に詳しいことが求められる。
けれど、これだけの条件をクリアする人間は、現実には少ない。

―だから『Fantome』が、生まれたんだ

稀少な存在であるSAT狙撃手、その人数を揃えることは容易くは無い。
そうした現実のなか、ハイレベルな精度を求められる狙撃に耐える者がどれだけいるだろう?
だからこそ『Fantome』が就かされる任務が哀しい。心裡に溜息こぼし微笑んだ隣から、静かな声は続けた。

「でも本当に狙撃したのかなんて解からないよね、当番制だから…でも英二は気づいているんでしょ、お父さんは殺したろうって、
…俺ね、お父さんは殺していない可能性が高いって本当は思ってた…お父さんの在任期間には、何度かSATの出動はあったよ?
でも当番から外れていたら狙撃することは無いから…お父さんは優しいから、人殺しなんて無理だって思ってた。きっと違うって、」

告げていく声は、淡々と英二に問いかける。
黒目がちの瞳は視線を合わせたまま、写真の俤を映して見つめる。
いま馨は息子の言葉に何を想うだろう?そんな想いと見つめる真中で、周太は口を開いた。

「だけど本が壊されてるでしょう?なぜ、あの部分のページが抜かれているかは解からないけど、でも理由があるって事は解かるよね?
お父さん、すごく本を大切にする人だったから。それなのに本を壊すなんて、よっぽどの理由があるってしか想えないんだ、だから…」

ふわり香るホットレモンに、あの庭を想い出す。
庭の記憶から書斎の景色が映りだす、そして紺青色の背表紙がふれてくる。
あの本は「家」の連鎖を辿る扉だった、そして、同じものを書店で手に取り周太に渡した、あの夏の瞬間。

『Le Fantome de l'Opera』

あの本に廻っていく運命は、どこに辿り着けるだろう?
そんな想いに佇む隣から、落着いた声が英二に微笑んだ。

「あの本はね…たぶん、お祖父さんの本なんだ。お父さんは英文科だったし、出版年もお父さんが生まれる前だから。
だからあの本は、お父さんにとって、自分のお父さんの遺品なんだ。自分の父親から預かった、大切な本だったと想うんだ。
だからね…お父さんは親から与えられた大切なものを、壊したんだよ?壊しても手離せない位に大切な本を、お父さんは壊したんだ、」

“親から与えられた大切なものを、壊した”

この観点は自分に無かった?
その驚きと見つめた先で、周太は小さく微笑んだ。

「命も同じでしょう?体も心も、親から与えられたものでしょう?それを自分で壊すことが『自殺』なんだと想う。
だから、お父さんが大切な本を壊したことはね?自分の命を壊す覚悟の符号なのかな、って思うんだ…死んで償う覚悟なのかなって、」

書斎の『Le Fantome de l'Opera』が、なぜ壊されたのか?

この謎に周太が見つめた答えは「大切なものを壊す」符号。
親から与えられ預かった「大切なものを壊す」ことが「自ら命を絶つ」こと、そう言っている。
この言葉に籠る祈りが、そっと心に響きだす。その響きへと周太は言葉を続けてくれた。

「お父さんは優しくて正義感が強い人だから、任務だって言われても人殺しなんて嫌だと想う…自分を赦せないと思うんだ。
それを法律で罰せられ無いのなら、自分で自分を裁くと思う。お父さんは人に優しい分だけ、自分に厳しいところがあるから。
だから、お父さんは狙撃されて死ぬことを選んだのかな、って思うんだ…自分が犯した罪の償いの為に、自分を裁いたのかなって、」

告げて、周太は小さく微笑んだ。

「狙撃での自殺を見つめるために、大切な本を壊したのかもしれない…あの部分のページを抜いた理由は、まだ解からないけど。
抜かれたのは怪人が出てくるシーンで、残されたページに怪人は居ないから…怪人『Fantome』に、意味があるかもしれないけど、」

“自殺を見つめるために、大切な本を壊した”

告げられる周太の答えに、自分の心は静かに泣いている。
この答えから周太がどれだけ「命」の尊さを想うか解るから。
この答えに見える周太の、親から与えられた生命を大切したいと願う真心が、愛しくて。
そして切ない、こんなに「命」を大切と思いながら周太は、父の軌跡に命を懸けているのだから。

―それなのに俺は、周太を殺そうとしたんだ…自分勝手な孤独に負けて、

この自分が犯した罪の、周太との死を願った罪の重さが今、改めて悔しい。
自分の愚かさが悔しい、恋人の想いに向き合っていなかった自分の弱さが、忌まわしい。
この悔しさに熱が目の底をせりあげる、けれどコーヒーに口付けて涙ごと飲干すと英二は微笑んだ。

「そうだな、周太。親に与えられた、大切なものを壊すことで『自殺』を見つめる。そういう意味だって想うと、納得できるな?」

きっと、周太の答えは馨の想い。
きっと馨は生命を大切にする人だった、だからこそ自身の罪を赦せなかった。
いかなる理由でも「大切な生命を壊す」ことを赦せない、だから自分への裁きに死んだ。
そう気づかされる今、尚更に怒りと哀しみが同時に熱を発しだす。

―そんなにも任務が嫌だったんだ、お父さんは…それなのに、

それほど狙撃手の任務を忌んだ馨を、任務から離さなかった。
それは馨の尊厳を踏みにじる行為、それが哀しみと怒りになって肚の底を熱くする。

どうしてこんなことが赦される?
どうしてこんな連鎖が生まれ、今も苦しめていく?
こんな矛盾へ尊厳を沈めて人柱にされる、その想いはどこで眠ればいい?

この鎖を断ち切る為に馨が選んだ最期が哀しくて、悔しくて、涙あふれそうになる。
あの紺青色の日記に綴られている、馨の夢も哀しみも今、心響いて感情が渦を巻く。
けれど感情を秘めたまま、微笑んだ黒目がちの瞳に英二は「やさしい嘘」の意味に口を開いた。

「きっとね、周太?もし自殺だとしても、お父さんは気付かれたくなかったと想うよ。だから『殉職』を借りたんじゃないのかな?」
「…殉職を、借りる?」

どういう意味だろう?
そう見つめた周太に英二は、穏やかに言葉を続けた。

「自殺は、残された人が哀しむのは、亡くなった人が自分より死を選んだと想うからだ。それがお父さんは、嫌だったと想うよ?
だから『自殺じゃない』って嘘を吐きたかったと想う。愛する妻には、愛する息子には、自分が別離を望んだと思われたくないから、」

別離を望んだと思われたくない、だから「自殺じゃない」と馨は嘘を吐きたかった。
この嘘に籠めた馨の真実を代弁したい、祈る想いに英二は微笑んだ。

「自殺に見せない自殺、これは優しい嘘だ。お父さんは愛する人の時間を捨てたかった訳じゃない、だから優しい嘘を吐きたかったんだ。
本当は愛する家族と離れたくなかった、けれど理由があって亡くなったんだ。だから自殺だと思われたくなくて『殉職』で嘘を吐いたんだよ、」

『優しい嘘』の真実は『愛する家族と離れたくなかった』

これが馨の『殉職』を選んだ理由の1つ。
けれど本当は他にも理由は潜んでいる、それを告げることは出来ないけれど。
けれど馨が息子に伝えたい理由だけを伝えたら、それで良い。

この9カ月に英二は、幾つかの自殺に出遭った。
初めての現場は御岳の森だった、御岳小橋でも、他に幾つもの自殺遺体と向き合った。
その度ごとに、向き合った遺族の涙に見たのは『捨てられた』哀しみだった。

家族も何もかも捨てるほど、この世を厭うから人は自殺を選ぶ。
それは家族の存在が「一緒にいたい」と想えなくなったからだと、遺されたら想う。
この想いを馨は否定したかったから、だから『殉職』で自殺の真実を隠してしまいたかった。

馨の想いは、この胸に温める合鍵の祈りに想う。
あの紺青色の日記帳に綴られた、家族への祈りに想う。
そしてあの家に遺された、馨の作った家具たちの優しさに「一緒にいたい」本音が見えてしまう。

―お父さんは一緒にいたいから家具を作ったんだ、

あの庭のベンチは妻の為に作った、彼女と庭で寛ぐ時間の為に。
あの屋根裏部屋の家具たちは愛する父のため、それから息子の為に。
そんな優しい家具に充たした「家」を、どうして捨てたいと想えるだろう?捨てられるだろう?

『帰りたい、愛する人の待つもとへ』

この願いの結晶が「家」、この祈りが今も馨の家を温めている。
だから想う、自分も馨の温もりに包まれてきたのだと。

―お父さん?今、初めて解かった気がします…なぜあの家に帰りたくなるのか

生きて会ったことは無い人、けれどこんなに想いは優しい。
この想い籠る合鍵をくれた人、その懐かしさに温められて、覚悟が肚に落ちていく。
この覚悟に寄添う俤に心はもう誓っている、もう自分は二度と弱く逃げることはしない。

何があっても、必ず一緒に帰ろう。たとえ苦しくても泣いても一緒に生きよう、そして帰る。

この覚悟に温もりは今、ゆっくり全身を廻りだす。






(to be continued)

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