WHAT'S YOUR LIFE? (台湾留学・旅行・台湾生活&英語や中国語に関するブログ)

英語(TOEIC970点)中国語(2級)西語(初級)の筆者が台湾で天職に就いてます♪英語&日本語教育に関わってます☆

ネガティブが改善?! 

2009-10-26 23:38:46 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
こんばんは~今日はこれからデス酒鬼?!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今回の旅で、アモイの人たちに対するステレオタイプ的なイメージが少し変わりました。

この国の人たちに対する今までのイメージって、どっちかといえばネガティブな感じが多かったんです。もちろん、自分の経験談もあったりしましたが、あとは友人から聞いたりして、そういうイメージを作りあげていたんです

アモイで言葉を交わした人たちは、素朴で親切な人ばっかりだったかなぁ。もちろん、観光地ばかり訪れていたので、観光客慣れしていて、親切だったのかもしれませんが、道を聞けばちゃんと教えてくれるし、日本人だと知ると、うれしそうに話しかけてくれたり。

ひょっとして演技?お金が絡むから、優しいのか??

とか疑ったりもしましたが、実際はどうなんでしょうね~。




この土地でこの人たちと一緒に暮らさないと、本当の部分って言うのは見えてこないのは確かだと思います。表面だけでしたから、今回は。



でも、アモイの人たちに対するイメージは、100%ネガティブではなくなったので、これは収穫でした

悪い人はどこにでもいるし、いい人もどこにでもいるんですよね。国じゃありません(・・・と思いたい・・・)。

そんなこんなで、今回の欲張りな旅、無事に書き終えることができましたっちょびっとだけ、達成感を味わってます、とねっ

★両岸マタギの旅 BETWEEN 台湾 AND 中国★ 旅道中編~小金門島~ 

2009-10-24 06:29:48 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
今回でやっと最終回っ!!

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たぶん最初で最後の訪問小金門島。金門島の西に位置していて、フェリーで15分ほどでつきます。

まだ兵隊さんたちもいました。やっぱり迷彩柄を着てるんですね~


そしてこんな標識もまだまだ見られました。地雷が埋まっているところもあり、全てを撤去というところまではいっていないので、疑われる場所にはこの標識が立てられているんです。・・・恐ろしい・・・・


小金門島では鶏が守り神としてシンボルになっています。バイクに乗っていたので、島についてすぐの九宮埠頭にあった鶏のシンボルは撮らなかったみたい。。。残念

そして初めに訪れたのがこのお墓。


そしてガイドブックにも載ってたここ八達樓子。屋上には八達・八二三砲撃戦の兵士たちの銅像がたってます。


「とりでを模したこの建物は、烈嶼の軍人と人民が民国22年(1933年)の抗日戦争の際に長城古北口の八達子を守備して殉死した7人の勇士を記念して建てたものです。」(こちらから抜粋)

一緒に写真なんかのんきに撮っちゃって、少し罪悪感・・・ここで戦っていて人たちは、どんな気持だったんでしょうか・・・。考えるだけでやるせません・・・。


湖井頭戦史館


「湖井頭は東坑村にあり、烈嶼地区の軍事拠点です。鄭成功が初めて烈嶼に着いた時、この付近から上陸したと言い伝えられています。ここはかつて烈嶼から大陸へ対する心理作戦の前哨地だった所で、民国77年(1988年)に戦史館として改築されました。中には烈嶼の数々の戦役に関する文献史料と高倍率の望遠鏡が陳列されています。一般に開放されており、大陸を眺めることができます。」(こちらから抜粋)







この上のネットは、上空から基地を見えなくする働きがあるんですって。


この南北の長い島。


南から北に一人青年をメッセンジャー役として送ったそうです。で、その戦争中の絵がこれ。絵の真ん中の青年が見えますか??


自分だったら、こんな弾丸が飛びあう中行くなんて、できるかなぁ・・・。ちなみにこの青年は功績をたたえられ、金門島の莒光楼の名付け親に命名されたそうです。

次に島の外周りに作られた戦車でも通れる道をバイクでお散歩。人っ子一人いない・・・。ちょっとハンドル操作を誤ったら、地雷地帯に突っ込む恐れあり・・・と思うと恐ろしい・・・


女性が亡くなってたてられた烈女廟です。


「銅像又の名を「仙姑廟」と言います。千姑、俗名、王玉蘭を祭っています。対岸アモイの人です。民国43年(1954年)、海岸でカキを採っていた時に共産党軍に捕まりましたが、頑として貞操を守ったため恥をかかされたとして立腹した敵に全裸で海に投げ込まれ、溺れ死にました。死体は烈嶼まで漂流し、台湾側の劉という兵士が拾い上げて埋葬しました。人々は貞女の振る舞いにいたく感動し、廟を作って祭りました。霊験あらたかとの噂が広がり、多くの人が選考を上げに訪れます。見逃せない観光ポイントです。」(こちらから抜粋)

九宮坑道。軍事用として使われていました。


中はひんやりとしています。水はきれいです。




ヘルメットが置いてある小さな迷彩の小屋。


ここは西側の入り口。



小金門島の感想
小金門島には正味4時間くらいいました。バイクでちょこっと観光したくらいですが、戦争の爪痕たちがまだまだ残っていて、痛々しい感じがしました。台湾らしくのんびりとした雰囲気もありますが、人があまりにも少なくて、さみしい感じも受けました。。。。週末に行けば、もう少し活気があったのかもしれないですね。

★両岸マタギの旅 BETWEEN 台湾 AND 中国★ 旅道中編~金門島 2~ 

2009-10-23 23:30:09 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
やることがてんこ盛りなのに、毎日のブログアップに、お疲れ気味の最近です(笑)。・・・・4日間の旅行に、こんなにも記事が書けるなんて、自分でもあっぱれ・・・・・・・・・な~んて呑気なことを言っている場合ではないんですけど

今回を合わせて、あと2回で完結させます

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



水頭村の民宿にはこんな表記があります。


中へ入ると・・・


入ってすぐのテーブルに可愛いチェスを発見!!なんと、風獅爺たちだぁ~


あまりにも好みのデザインだったので、アップでも撮りまくり


読書室もありました。


寝室まで見せてもらう勇気はなく(というか、中にも勝手に入っちゃいました。でも、参観していいって電話では言われてたもんで)ここまで止まり。あぁ~、ここに泊まりたかったなぁ・・・値段は一部屋1400元です。なので、二人なら一人700元(2000円弱)。

この水頭村には、民宿だけじゃなくって、見どころがちょこちょこあります。こじんまりしてるので、すぐに見て周れちゃいますが、洋風と中華風がミックスした、不思議な空間です。

得月楼。1931年に建てられたそうです。


「得月楼と金水小学校付近の洋館群は清朝の末期から1930年頃にかけて、
南洋で商いによって財を成した村民の送金で建てられたものである。その
中で、黄輝煌の建てた得月楼には村全体を守るために銃器がしつらえてあり、
ここから地下道を通って隣接の建物に行く事が出来、緊急防禦の需要に対応
出来る。得月楼の命名は宋の詩人蘇麟の詩句「近水樓台先得月」に由来する。 」(ここから抜粋)

中へ入ると。。






2階


食卓に並ぶ料理の模型がずら~っとありました。




お隣のここで夜ごはんを食べました。


なかなか雰囲気が良いところで、白人さんの接待にも使ってました







ここではあの高梁コーヒーが飲めます。沢山の風獅爺にも会えますっ




これがメニュー。




2階からの庭の景色です。気にぶらさがってる風獅爺たちにはびっくりしましたが、このユーモアが台湾人らしいです


ここでひいたおみくじが最悪で、すべてが叶わないとでました・・・おいおいおい・・・。大丈夫かな、ワタシ。。。

そして夜は金城市内に戻って、酒盛りだぁ!!模範街のバーにてムフフ




そして10時には爆睡・・・

★両岸マタギの旅 BETWEEN 台湾 AND 中国★ 旅道中編~金門島1~ 

2009-10-22 21:22:01 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
旅行記を書き始めて早3週間・・・。肝心の金門島の記事のアップがまだでした。。。いつも旅行記は中途半端で終わってしまうので、この旅行記はなんとか完結させたいっ

ではでは、金門島観光へレッツゴー!

まずは金城市内からご案内~
邱良坊母節孝坊


「金城東門、霊済寺の傍らに四本柱三間式石造りの鳥居があります。清朝嘉慶17年(1812年)に建立されたこの鳥居は、台湾および福建地区では唯一完全な姿で現存するものであり、国の一級古跡に指定されています。鳥居には清朝浙江の水軍の司令長官、邱良坊の28年にわたって後家を通した母許氏の、苦しみに耐えぬき子供を出世させた苦労を讃える言葉が刻まれています。」(ここから抜粋)

この鳥居に似てる門みたいなのをくぐる前には廟があります。


廟の下には、金門島と小金門島の形土った、こんなのもありました。凝ってます!


この廟の近くに、何か怪しい標識を発見。。。


細い道を通りぬけると、まだ道が続いています。




そして、これがさっきの標識の正体でした。奎閣!!


「奎閣とは、魁星楼のことで、魁星(北斗七星の第1星から第四星までを言う。文運を司ると言われている)を祭る楼閣です。科挙の時代には、学生たちが試験前にここへやって来て文運の神、魁星に試験合格を祈願しました。後浦奎閣は清鎮総兵署の狭い路地の中にあり、清朝道光16年(1836年)に建てられた正六角形の楼閣です。」(こちらから抜粋)

少し戻ってさっきの鳥居を潜り抜けると、こんな風景が広がっています。


朝はいろんなものを売りに来る人&朝ごはんを買いに来る人でごったがえしてます。


鶏も売ってました。一羽、50元(150円弱)。や、安いっっ


この道をまっすぐ進んでいくと左側に模範街があります。


「明朝鄭時代に陸軍の訓練所がありました。民国14年(1925年)に金門商会の傅錫会長が華僑から資金を募り、この日本の大正時代の建築物が建ち並ぶ街道を作りました。アーチが連なった回廊式の洋館32棟がT字形に並んでいます。」(こちらから抜粋)

模範街には金門島で有名な包丁屋さんとか、お土産屋さん、甘いモノ屋さん、あとは唯一のバーがあります。

包丁屋さん。




この包丁の原料は、弾丸たちなんです。


金門島には沢山の弾丸が撃ち込まれたので、まだまだ材料には困らないそうです。・・・・でも、それもなんだか惨劇がまだ実物として残っている感じがして、痛々しかったです。

さて、市内を見たので、市内から少し離れたここ莒光楼に行ってみました。




最上階。


ベランダらしきところに出ると。。


こんな景色が見えます。


そうそう。ここでず~~~っと探していた赤いあれに出会えましたっ!!!じゃじゃーん!!!そう、公衆電話です!金門っていう漢字がぴったり電話ボックスにマッチしててグッドデザイン賞をあげたいくらい!このクリエイティブな考案者はいったい誰なんでしょう



そして、ここからバイクでの長旅の始まり、始まり~

海。うすーく見えるのが、アモイです。


海沿いのまっすぐの道をバイクで風を切って走ります。空がきれい~


さっきの金城の中心地からかなり北にきました。ここには北山古洋樓があります。


「古寧頭戦役の際、この中国と中洋折衷の洋館は道路の要所に建っていたため、共産党軍が指令所として使っていました。まもなく国軍が反撃し、双方はここで激戦を展開しました。洋館の壁には弾痕が無数に残っており、戦いの激しさを髣髴させています。」(ここから抜粋)


弾丸の跡が生々しい・・・。けっこう大きな穴もありました。


お次は古寧頭戰史館


「民国38年(1949年)、共産党軍は金門を夜襲し、国軍と西北の曨口、林厝、古寧頭一帯で三日三晩にわたる激戦を繰り広げました。国軍の勇ましい作戦で大勝を納め、「古寧頭大捷(古寧頭の大勝利)」と言われています。この決戦の地は「古寧頭戦場」と呼ばれています。民国73年(1984年)、人々は戦場の遺跡の上に古寧頭戦史館を建て、戦役の文物資料、武器配備などを陳列して、この聖戦を記念しています。」(こちらから抜粋)




館内。


そして、ここから今度は東に走ります。目指すは瓊林(chonglin)


「瓊林は、金門の重要な戦略ポイントで、村の家々は坑道で結ばれており、別名を「戦闘村」といいます。」(こちらから抜粋)





何を隠そう、このお方が風獅爺の性別の秘密を教えてくれた方です。このバッグをどうやったらもらえるのか、熱血に語ってくれましたははは。いらないような。。。


独特のとがった屋根をもった家屋がたくさん見られました。とがっている屋根は、身分の高い人のお家だそうです。


細い入り組んだ道。


おばあちゃんもお昼寝~

壁。お金が無かった時は、有るもので壁を作ったそうで、継ぎはぎのようだったと教えてもらいました。写真は新しいもので、つぎはぎからはかけ離れたイメージでした。


このあと、もっとたくさんの風獅爺に会いに東へ東へと向かったのですが、目的の米食い風獅爺は見つからず・・・。そして暗くなる前に坑道へ行かなくちゃってことで再び西へ戻り南下。

翟山坑道


坑道入り口。










坑道から出てきて、ここの小屋で一休み。


アイスに惹かれ・・・。


手に取ったのはパッションフルーツミルク味。


そして購入。意外とさっぱりしてておいしいっ


この坑道で気になったのが、このやけに柄が荒い迷彩柄。柄の幅がでかすぎやしないでしょうか??





ここで一休み。次回は水頭村へ続きます。

★両岸マタギの旅 BETWEEN 台湾 AND 中国★ 旅道中編~アモイ観光~ 

2009-10-21 20:45:36 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
アモイ市内観光は4時間のみ!!

これだけ予定を詰め詰めにしていたら、しょうがないよなぁ・・・、と思いつつ、それでも欲張りな私。有名どころだけピックアップして見てきました

胡里山砲台(こりさんほうだい)

「砲台は1891年(清の光緒17年)から建造が始まり、5年の歳月をかけてやっと完成したもので、現在も10門以上の大砲が残っています。
ドイツから2門の大砲を購入したものの、現存するのは1門のみです。砲口の直径は28センチ、砲身の全長は13.96メートル。射程距離が6460メートルと、当時としては最高の性能の大砲でした。大砲1門の金額は6万テール、支払に2.2トンの銀が用いられました。」(こちらより抜粋)

道にちゃんと標識が出てました。


入り口の飾りも可愛い~


ここが大砲までの道。上まで登っていきます。


ここでチケットを購入。確か25元だったと思います。


砲台が売りだとは思うのですが、私的には他のオブジェたちの方が必見!全く砲台とは関係のない、著作権も大丈夫?みたいなキャラを使ってるのもありました。

わにとキノコ。。。


椅子を支えているのはドナルド??


頭だけ?なしてわし?タカか??


手??仏さまの??


小さな大砲もありました。




そしてこれが一番の見どころ(とされている)大砲!


。。。。他のオブジェの衝撃がすごすぎて、肝心の大砲にはあまり感動せず。。。






・・・気を取り直して、次はお寺へゴー!!

南普陀寺(なんふだじ)

「五老峰一帯は南普陀観光旅游区になっており、多くの名所旧跡があります。五老峰の麓には南普陀寺が建っていて、石の上に「五老峰」「佛」という大きな文字が彫られているのはあまりにも有名です。
 その南普陀寺は、唐代創建の仏教寺院で、観音菩薩の主要道場の一つとされています。
 敷地面積は3万平方メートル以上あり、天王殿、大雄宝殿、大悲殿、蔵経閣などが並んでいます。天王殿の入り口前には池が二つあり、その池の間に仏像が安置されています。大雄宝殿内には過去・現在・未来を表す三世尊仏が祭られています。
」(こちらから抜粋)


入り口に標識発見!アモイでは観光スポットは茶色の標識なんですかねぇ~。


上記の入り口をすんどこすすんでいくと、ここに出ます。


入場料3元払って中へ。






上にあがっていくと。。。

ここでコインを投げている人たちに遭遇。大きな岩に彫ってある文字の中にコインを入れようとしてるみたい。泉にも投げてました。


これが有名な仏の文字です。


みんな本当に真剣にお祈りしてました。


お祈りの仕方はここ(大きな画像でアップしてます。アップが見たい方は写真をクリック!)。


ご利益はこちら(大きな画像でアップしてます。アップが見たい方は写真をクリック!)。



ちなみにこのお寺、これ「南普陀寺素餅」が有名なんです。一箱6つも入っていて、ばら売りしてくれないか頼んだのですが玉砕・・・噂によればサクサクしてておいしいそうですよ~


アモイ大学

「1921年創立。創立者は陳嘉庚 先生。福建省の教育文化のために寄付。16学院・33系、52本科・27博士課程がる。職員数 約3100人、学生数 15,000人。面積 146k平方メートル。図書館蔵書約235万冊。(陳嘉庚 先生は集美学村、華僑博物館も寄付している。)国立の総合大学で留学生も多い。(アジア諸国、アメリカ、ヨーロッパ、もちろん日本人も数多く在学している。)中国国内では最も美しい大学と言われ、『海上の花園』と称されている。校内は美しい公園があり、目の前は海というすばらしい景観に建っているので散歩を楽しむのもよい。校内にはカフェ、ファーストフード店、スーパーなどもある。」(こちらから抜粋)

大学前でパチリ


大学の前はこんな風景が広がってます。


残念ながら、インフルエンザの関係で中に入ることはできませんでした



アモイ観光を終えて
アモイを見て思ったことは、すごく近代的!!ビルとか、街並みが、自分が想像していたアモイとはだいぶギャップがありました。自分が生まれ育った日本の某都市よりも、台湾よりも、ずっと発達してるなって。見かけだけですが、そう感じました。人も思ってたより親切で、そこにもびっくりしました。(←いったい、どんなイメージだったんだって感じですが(笑)。)アモイの人たちは、どことなく台湾人と似てるような、いないような。。。もとは同じ民族ですし、距離的にも近いからかもしれませんが、そこは本当に意外中の意外でありました


★両岸マタギの旅 BETWEEN 台湾 AND 中国★ 旅道中編~コロンス島~ 

2009-10-20 21:27:43 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
アモイからフェリーで15分足らずの距離にあるコロンス島(中国名は 「鼓浪嶼gu2lang4yu3」。中国にありながら、島全体がヨーロッパの雰囲気を漂わせるオレンジ色の屋根の建物が連なっているという、なんとも魅力的な島らしいじゃないですか



こりゃ、楽しめそう!!
ということで、期待を胸に上陸してきました



アモイからフェリーでコロンス島へ渡ります。アモイからコロンス島へ向かうフェリー乗り場。


コロンス島のフェリー乗り場。


行きは料金は払わず、帰りに払います。8元なり。


コロンス島のフェリーチケット売り場はこんな感じです。




2階席はプラス1元ですが、座れますし、ゆったりとした気分で景色を楽しめるので、おススメです



あと、コロンス島はピアニスト率が高くて、朝からピアノの♪が風に乗って聞こえてきます。アジアにピアノの音で目が覚める、そんな島があったなんて新発見です。なので、こんな標識もコロンス島ならでは!可愛い~




コロンス島は、なんと自動車禁止なんですなので、すべて電気カートか、徒歩での観光となります。でも、小さな島なので、観光スポットは徒歩で十分行ける距離にあるのでご安心を

電気カート。


コロンス島の一番の見どころ、日光岩です。
「別名を晃岩、岩仔山ともいい、標高は92.68m、コロンス島最大の観光スポットです。
 明の正徳年間(1506-1521)、山腹に蓮花庵という名の尼寺がありました。その後、鄭成功は晃岩に上陸したときここから眺める景色がはるか日本の日光山に優るものだとして、「晃」の字を日と光の二つに分け日光山とし蓮花寺も日光寺と名を改めました。」(ここから抜粋)

日光厳。


行くまでの道は険しい。。。


頂上。


頂上から見える景色。天気が良ければもっときれいだっただろうなぁ・・・


遠くから見た日光岩。



次は菽荘花園(じそうかえん):
「1913年に造営され、園主の「林叔蔵」は自分の名の音にちなんで花園の名を「菽荘」としたといわれます。
 庭園は、海園、山園の二つに大きく分けられ、どちらからも美しい風景が広がっています。」(ここから抜粋)

ピアノ博物館が可愛かった☆




ピアノ博物館の説明「2000年にオープン。 オーストラリア在住の華僑 胡友義先生が個人コレクションのピアノをコロンス島に寄付した。中国唯一のピアノ博物館。約80台のアンティークピアノが展示されている。
ピアノ好きな方は特に必見。菽庄花園内の見晴らしのいい場所に立っている。
租界時代に外国人がピアノをコロンス島に持ち込んだのが始まり。
コロンス島は別名『ピアノ島』と呼ばれていた。
有名な音楽学校があり、卒業者には著名な音楽家がたくさんいる。現在は『音楽の島』と呼ばれている。」(ここから抜粋)



街歩きも楽しいっ



フェリー乗り場付近には、町にシンボル的なタコのオブジェがあります。


そうそう。行きたかったカフェにも行ってきました。NAYA CAFEです。


ネコちゃんたちが気持ちよさそうに寝てました


カフェの中はポップでカラフル!


町の人たちも親切でした。


最後にここが私たちが泊まった宿。


宿にもちびネコ発見!




最後にコロンス島についての感想
コロンス島について知ったのは、アモイに行こうって決めてからだったので、実はまだ2カ月経ってないくらいです。いやぁ~、こんなに近くに住んでいても、知らないもんなんですね~。。。と自分の無知具合にまたまたびっくりして始まったコロンス島上陸計画。

コロンス島の印象はネコが多くって、人も穏やかで、ピアノの♪があちらこちらにあって。ゆっくりとした島時間での観光となりました。目を見張る何かがあるか?って考えると???ですが、でもまったりと過ごすのには最適ではないかと思います

朝もやの中、ぽかぽか太陽が気持ち良い昼下がり、対岸のアモイのネオンにうっとりの夜、1日のどの時間でも、それぞれの表情が楽しめるコロンス島。大好きな人と手をつないでお散歩したい場所リストに追加しちゃいました

★両岸マタギの旅 BETWEEN 台湾 AND 中国★ 旅道中編~福建省の土楼~ 

2009-10-15 19:13:30 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
今回の旅のハイライトの一つ、世界文化遺産の・・・・

福建省の「土楼」 へ(^^へ)))))(((((ノ^^)ノ うほほーい



で、今でこそ土楼って、イメージとともにわかりますが、初めてこの土楼の存在を知った時は、


「土楼って何??!!


でした。


いくつか文献を読んでわかったことですが、この土楼、客家の人たちの住居なんです。他の民族たちから煙たがられて、自分たちの身を守るために山奥に移り住んで、外からの敵の侵入を防ぐのに絶好の、この防衛効果の高い土楼を築いたそうです。この土楼は、外からの侵入は難しいのですが、ひとたび中に入れば、とても温かい雰囲気するコミュニティーになってます。

形としては、円形、方形、楕円形、八卦、半月、多辺形で平面的なもの、屋根の庇の高さが異なる多層的な五鳳楼もあるそうです。

「土楼は一般に2-6階に分かれています。1階には基本的に窓はなく、2階以上に小窓が多少開かれているなど、軍事防衛的な色彩が濃厚です。建築上の機能的配置を見ますと、通常は1階が厨房に食事する場所、2階が倉庫、3階以上が寝室。外壁の基礎の厚さは通常3メートル。底層の厚さは1.5メートルで、高くなればなるほど薄くなっています。外壁の内部は木板で幾つかの部屋に仕切られており、さらに中に進むと回廊があり、中心部は宗祠、私塾あるいは舞台となっています。土楼は外部に対して極めて閉鎖的ですが、内部に入るとまったく別天地です。すべての部屋は連なる廊下を通して内側に開かれており、非常に人情味に溢れた「中庭」となっています。土楼内をゆっくり歩くと、対聯や文字、絵画がよく目に飛び込んできます。ですから、土楼を「文武重視・外剛内柔」という言葉で形容しても、その名に恥じることはないでしょう。」(ここから抜粋)

この土楼たち、2008年7月に世界遺産に登録されました。だから、まだ湯気がでるほどニューなわけです

さてさて、まずはベストショットから!

これは円楼の中でも状態が良く残っている「承啓楼」の一角です。

下の写真が外から撮ったものです。そとはまるで砦みたいでしょ?


そしてここが入り口。


入り口入ったところ左に、恒例の世界遺産のマーク発見


いつもはこの世界遺産のマークを探すのに苦労するのですが、今回はすんなり見つかっちゃった幸先が良いスタートになりそう♪

ここが一階部分のキッチン。沢山部屋があるので、これはその沢山ある中の一つ。


今でも普通に客家の人たちが住んでいるので、こんな風景も見られます。


階段を上がっていくと・・・

4階に高くなっているこんなところがあります。


そこからの風景は・・・

大きすぎてカメラに収めきらず、部分部分になってしまいましたが、こんな感じ!!



真ん中は祠堂で、重大な活動を行ったりする公共の場となっているそうです。


そして、次に八卦楼「振成楼」へ。




「これは簡単な8辺形をなしているのではなく、奥の深い中国伝統文化の符号とも言っていいでしょう。福建省西部では、土楼の設置場所や位置づけ、厄除けなどで八卦と深いかかわりがありますが、八卦そのものの形を直接採り入れた土楼も見られ、これらが「八卦楼」の由来です。」(ここから抜粋)

この土楼の良いところは、各角が石で造られているので、もし火災があった時に唯一の通り道のドアを閉めてしまえば、一角だけで火を止めることができるところだそうです

そしてこの土楼の一階部分で昼食をいただきました。


この土楼は林さん一家が住んでいるそうですが、こんなご先祖様の写真たちが飾ってありました。




土楼によっては、歩いていける距離にあるものもあって、こんな標識がありました。


日本語では、土楼=やぐら、で訳してるみたいです。やぐら?ホント??

次の土楼に向かう途中に、お土産らしきものも売ってました。


そしてこれが五鳳楼「福裕楼」


説明文はここから抜粋:
「五鳳楼は福建省西部の土楼のなかでも特殊な存在です。中原の住宅形態に最も近いものは、ハッカ文化の中心をなしている地域に数多く見られます。中原の礼儀・道徳文化の影響をかなりの程度反映しており、中原の民居である四合院(庭をはさんで4つの棟が並ぶ家)が福建省という特殊な環境の下で変遷した産物と言えるでしょう。イメージ的には、威厳があって整然とし、高低の落差があり、正面から受ける迫力は北京故宮の午門を彷彿させます。五鳳楼のあるところでは、礼儀・道徳がことのほか重視されており、民族の大半が子どもたちに学問で功名を立て、民族に栄誉をもたらすよう大きな期待を寄せています。楼の大門によく「大夫第」の3文字の扁額が掲げられていることから、五鳳楼は「大夫梯(階段)式」土楼と呼ばれるようになりました。こうした扁額は彼らの身分を鮮明に示しているだけでなく、土楼に住む主人たちの期待が暗に込められているのです。子どもたちがこの「大夫梯」を通して一歩、一歩向上して人に抜きん出る存在になるように――。永定県湖坑鎮洪坑村にある「富裕楼」はまさにその典型的な五鳳楼です。」

・・・と説明は載っているのですが、ちゃんとした写真は撮らなかったみたい。(→この土楼を見るころは、もう土楼でおなかいっぱい状態だったので。。。

いやぁ~もう幸せです。だって・・・・

世界遺産でおなかいっぱい 

だなんて

あ~、LIFE IS BEAUTIFUL!!!幸せすぎますっ

★両岸マタギの旅 BETWEEN 台湾 AND 中国★ 旅道中編~ご当地グルメ~ 

2009-10-14 19:02:20 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
実は食べ物には執着心があまりないのですが(笑)、ご当地グルメも行ったからには堪能したい!!

金門島
 広東粥 


 牡蠣麺線 


 馬家麺線 


 貢糖 
画像無・・・。

 高梁酒 (写真はコーヒーにこの高梁酒が入ってます、もといお酒にコーヒーが入ってます、笑)


アモイ市内
 海鮮 



 肉まん系 (これはここだけのことではないですが・・・)


福建省
 客家料理 


小吃(おやつ)


コロンス島
 海鮮 
画像無・・。

 食べたものなんでも  
おもちデス。


もっと豪勢な食べ物、食べても良かったかなぁ・・・と反省。旅のパートナーにも、かなりひもじい思いをさせてしまってたかもしれません。。。ごめんね~

★両岸マタギの旅 BETWEEN 台湾 AND 中国★ 旅道中編~風獅爺を探せっ~ 

2009-10-12 20:58:13 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
MR.ブサイク 風獅爺を探せっ!!

ということで、今回の旅の目的の一つである風獅爺を探せるだけ探してきました。金門島には、これだけの爺ちゃんたちがいるんです!!100体以上あるみたい!


この風獅爺は金門島に吹いてくる北西の風から民を守る、風除けの守り神としての位置づけのようです。なので、西側よりは東側で沢山出会えます。


風獅爺にはマントがついていることも多いんです。
前からの図:


横からの図:


このマント、お願いごとをしてかなえてくれたら、お礼参りの品として島の人たちがつけるそうです。だから、ボロボロになっても自然に風化されてとれるまで、とっちゃだめなんだそう!何重ものマントをつけられているヒーローたちもいましたっ

手には旗や筆、印や玉などを持っています。

それにしても、いろんな形、色、大きさの風獅爺がいるんです。


























ある村を訪れたときにおばちゃんが教えてくれた重大な秘密が!!実は男性のシンボル(?!)がちゃんとついてるんです!ひょうたんの形のが多くて、本物(?!)・・ホンモノ(;^_^A ?に近いモノもありました(笑)


そういえば、確かに名前には爺ってあるから、おじいちゃんですよね~。初めのうちはそんなこと全く気にしてなかったので、あるかどうかなんていうのもわからなかったのですが、実は多くの風獅爺にあるんです!この秘密(?!)を知ってからというもの、そこばかり視線が集中して見てしまい、時にはうれしそうにおさわりしながら記念撮影をしたりと、痴漢張りの怪しい旅人と化してました(笑)。


さてさて、私にとってのミスターブサイク風獅爺は、このおじいちゃんに決定っ



「・・・だべ。 ・・・だべ。」と、だべだべを語尾に付けそうな話し方をしそうな神様なのにちょいワルオヤジ的なところに、一票!!←意味不明??


金門島に来たら、バイクで風獅爺探し!!是非是非お試しください

★両岸マタギの旅 BETWEEN 台湾 AND 中国★ 旅道中編~小金門へのフェリー~

2009-10-11 06:29:56 | 金門島&小金門島&アモイ旅行
金門島と小金門は船で移動します。実はバイクごと船に載せられるので、バイクも一緒に載せちゃいました。

ここが乗り場(全体図を撮り忘れました。。。)。アモイ行きのフェリー乗り場の向かい側にあります。なので、金門島の西、水頭埠頭に位置します。


片道
一人:60元
バイク:50元

船の上のバイク置き場。


内部:


客席:


海:


大体10分くらいでつきます。

当たり前ですが、アモイ行のフェリーよりも小さかったです。人生で二度とはいくことが無いであろう小金門島、行っておいて良かったと思います。台湾にいるいまじゃないと、絶対に来ない場所でしょうしね・・・。

行けるときに行く!これが鉄則!!・・・ですよね?!