東北関東大震災が起きた時、私は仕事に追われていました。日本で地震があったらしいと同僚から聞いても、それほど気に留めていなかったのです。
仕事が一段落して、ふとテレビに目を向けると、津波が民家を飲み込んでいく様子が目に飛び込んできました。千葉での火災もすごいことになっていて、そこで心配の測りの針が振り切れました。
3月11日のこの日の仕事帰り、私のバイクはウンともスンとも言わず、バイクの修理屋さんにトラックで迎えに来てもらったのです。なんで、こんな日に!!??
すぐに、スカイプなどで連絡を取りたかった両親にも大切な人にも、バイク屋さんから携帯でしか連絡ができない状態が続きました。
そんな状況を見かねたバイク屋さんの夫婦が、
「インターネット使って良いよ」
「固定電話からの方が通じやすいかもしれないから」
と言って、パソコンや電話を貸してくれたのです。
温かかったなぁ~。
(ここのバイク屋さんから送った実家の近くに住んでいる日本の友人へのメール。実家の辺りは大丈夫らしいというメールを見ることができたのも、ここのバイク屋さんだったのです。あの時は、自分も大変な時だったのに、返信をくれてどうもありがとう、R!!!)
そして、私の携帯にも友人たちからひっきりなしに電話がかかってきました。どうやったら日本の家族に連絡を取りやすいか、方法を説明してくれたり、実際に友人の会社のテレフォンサービスみたいなものを使わせていただいたり、私の家族や友達は大丈夫か、心配の電話やメールがわんさかありました。
一番に私の家族のことを心配して連絡をくれたのは、ドイツにいる友人でした。ロシアにいる友人、アメリカにいる友人たちからも、メールが来ました。
1年くらいご無沙汰している台湾の友人からも、安否の確認の電話が来たのです。そのとき、例え会っていなくても、心のどこかで結ばれているものがあるんだなぁと、目に見えない絆があったのだと、とても嬉しく思ったのです。
あ~、つながってるなぁ~って思った瞬間でした。
そして、今でも至る所で、私の家族や友人の安否を心配してくれる台湾人が沢山います。
そんな台湾や海外の友人たちに、感謝してもしきれません。
謝謝您men的關心.我非常感謝!
今台湾で私が被災地の方々にできることは、これくらいでしょうか。
そうです、募金です。
台湾の方々も、日本の為にできることをしてくれています。
私も今自分ができることをしていきたいと思います。
そして、被災地の方々が安心して暮らせる日が一日も早く訪れますように。
祈りながら、残りの台湾生活を過ごしていきたいと思います。
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さて。
実は私も永久(?!)帰国間近です。
最後まで大切に、大好きな人たちと過ごしていきたいと思います。
本当に、本当にこれが台湾生活のフィナーレです。
台湾で築いてきたこの自分の今を台湾に全部置いていくような、そんな気がしていたのですが、実はそれは違っているということに気づかされました。
台湾で築いてきた全てのことって、自分のこの胸の中にもう存在しているのです。
だから、どこに行っても、ずっと私と一緒なのです。台湾での大好きになった物も大切な人たちも。
だから、台湾とは笑ってお別れしたいと思っています。
だって、これが最後じゃないですから。
ずっと続いていくのです、私がそうしたいと思う限り。
最後に。
本当に感謝の言葉しか見つかりませんが、本当に私という外国人をこころよく受け入れてくれた台湾に感謝すると共に、台湾がいつまでも平和で台湾の皆様が笑顔でいれるような、そんな素敵な場所であって欲しいと、心から、深く、深く願っています。
本当に、ありがとう。