曲輪4の尾根から、その曲輪3への北尾根へ
宮坂氏の縄張り図では曲輪4の尾根を一つの曲輪として考えておられるようですが、精密に見ると幾つかの曲輪に分けられると私は思います。尾根を東に見ると、三段に見えます。
曲輪5を見下ろしています。
尾根の中間にある土塁、曲輪A
曲輪Aの北側にある瘤、二段に見えるのは下部が曲輪5
尾根を北に歩き岩が占めています。
岩に立って西を見ると西側斜面には三段の段曲輪
本丸城壁を見つつ北尾根に廻ります。
本丸1の西下の腰曲輪から北へ廻る道があります。縄張り図は「信濃の山城と館」佐久編
本丸西下曲輪、下方に曲輪4の尾根
西下曲輪から北尾根に廻り、曲輪3
曲輪3の中間にある岩
岩から北尾根を見下ろしています。縄張り図は曲輪3’としていますが、別の曲輪として見たほうが良いのではと思います。
曲輪3西方曲輪としておきます。
次回 本丸へ
宮坂氏の縄張り図では曲輪4の尾根を一つの曲輪として考えておられるようですが、精密に見ると幾つかの曲輪に分けられると私は思います。尾根を東に見ると、三段に見えます。
曲輪5を見下ろしています。
尾根の中間にある土塁、曲輪A
曲輪Aの北側にある瘤、二段に見えるのは下部が曲輪5
尾根を北に歩き岩が占めています。
岩に立って西を見ると西側斜面には三段の段曲輪
本丸城壁を見つつ北尾根に廻ります。
本丸1の西下の腰曲輪から北へ廻る道があります。縄張り図は「信濃の山城と館」佐久編
本丸西下曲輪、下方に曲輪4の尾根
西下曲輪から北尾根に廻り、曲輪3
曲輪3の中間にある岩
岩から北尾根を見下ろしています。縄張り図は曲輪3’としていますが、別の曲輪として見たほうが良いのではと思います。
曲輪3西方曲輪としておきます。
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