快読日記

日々の読書記録

「漢字と日本人」高島俊男

2012年08月15日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《8/5読了 文春新書 2001年刊 【漢字 日本語の表記】 たかしま・としお(1937~)》

“名門コーコーに合格したコーコー息子”と言えば無意識のうちに脳内で“高校・孝行”と変換しながら聞ける、
実は日本人というのはかなり高度なことをさらりとやってるんですね。
そう言えば“きしゃのきしゃがきしゃできしゃした”なんてフレーズもありました。
元々文字を持たなかった日本人が漢字という“外国語の文字”を輸入し、“山”は我々が言う“やま”だ、というところから日本語を当てていくというのは想像を超える大変な作業です。
“mountain”を“やま”と読めと言うのと同じだと言われるとよくわかります。
これじゃ自分たちの文字を考えた方が早いんじゃないかと思うくらいです。

そもそも母国語を表記するのに外国の文字を使うとはどういうことか、
それらをどう迎え、飼い慣らし、加工し、のちに改革しようとしてきたか、がすごく丁寧に説明されています。
呉智英の本で紹介されていたのを思い出して読んでみたんですが、もっと早く読めばよかったよ~!!という気持ちです。
わかりやすくて面白い講義を聞いてるみたいな本。

文字はその国の過去の人と密に繋がれるツールであるから決して軽んじてはならないし、捨てるなんてもってのほか。
文字を捨てるってことは歴史を捨てるってことだもんね。おそろしい。
明治時代から第二次大戦後まで続く漢字廃止論・国語改革の顛末は鳥肌もの。
今、うやむやになっていて、むしろ使える漢字を増やす傾向にあるのはよいことです。
喉元過ぎれば忘れちゃう国民でよかった。
この改革を徹底的にやられたら、わたしたちは自分のルーツや歴史から切り離され、心細い根無し草となることでしょう。
自国の言葉や文化を大事にすることは、他国のそれを尊重することにもつながるだろうし。

/「漢字と日本人」高島俊男
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