快読日記

日々の読書記録

「ウォルト・ディズニーの功罪」F・C・セイヤーズ

2013年10月18日 | アート・映画など
《10/17読了 C・M・ワイゼンバーグ/聞き手 山本まつよ/訳 子ども文庫の会 1967年刊 【総記 図書】 F・C・Sayers》

1965年の春、カリフォルニア州の教育長がウォルト・ディズニーを「偉大な教育者」と絶賛した文章がロサンゼルスタイムズ紙上に発表されました。
それを「笑うべきめがねちがい」と真っ向から批判したのがF・C・セイヤーズ。
同年、彼女をインタビューした記事が雑誌に掲載され、その全文を再録したのがこの本です。
20ページあまりの、冊子と言った方がふさわしいくらいの本です。

彼女が批判しているのは、もともとある児童文学作品をディズニーが改竄し、単純化・卑俗化していること。

「ディズニーは、傑作をとりあげて、ほしいままに縮めます。途方もない短かさにするために、とてつもない単純化を強行します。そこで、なにもかも、アッという間に起こってしまい、それも、実に陳腐なことばで表現されています。子どもたちに考えさせ、感じさせ、想像させるものはなにもありません」(7p)

「わたしが憤慨に耐えないのは、ディズニー版の本が、本の読めない子どもたちの想像力をこれっぽっちも尊重せず、また、本の読める子どもたちの能力に対しても、これっぽっちの配慮もしていないということなのです」(10p)

「つまるところウォルト・ディズニーは、これまで一度も子どもの方に向いて仕事をしたことはないのです」(14p)

とにかくえらいおかんむりです。
そんなに怒らなくても。

…と言いつつ、でも、共感してしまいました。

あらゆるものが甘ったるく薄っぺらく改竄されていく。
考える必要がないように想像しなくてもいいように。


今だって、例えば、テレビを見れば、うるさいほどのテロップと解説のつもりのイラスト画像。
「児童・生徒向け」という名目で、実際は子供に媚びている(ふりをして能力を奪っている?)だけの絵本みたいな教科書。
少し前から、国語の教科書から近代文学作品が徐々に消えています。
代わりにタレントのエッセイみたいなふやけた文章を載せるのは、歯が生えている子に流動食を与えるようなもの。
噛む力は永遠に身につかないでしょう。
みんながばかになる。

そんなわけで、セイヤーズさんのお怒りは痛いほどわかるんですが、残念ながらこの主張は受け入れられないまま50年が過ぎようとしています。

みんながばかになって得するのは、為政者と資本家くらいでしょうか。


/「ウォルト・ディズニーの功罪」F・C・セイヤーズ