快読日記

日々の読書記録

「悪童殿下 愛して怒って闘って 寛仁親王の波瀾万丈」工藤美代子

2020年06月06日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
6月6日(土)

筆者が若い頃から個人的な親交がある三笠宮寛仁親王について書いた「悪童殿下 愛して怒って闘って 寛仁親王の波瀾万丈」工藤美代子(幻冬舎 2013年)を読了。


帯には「ヒゲの殿下の真実に迫るノンフィクション・オマージュ」とありますが、読んでみると「オマージュ」くらいしかなかったです。
真実に迫ろうという心意気よりは遠慮が勝り、
ノンフィクションを名乗るわりには周辺取材による斬り込みや深掘りはしない。

ワイドショーに出てくる皇室・王室ウォッチャーばりの敬語で「敬意」は伝わりますが、
それは例えば昭和43年のイギリス留学時の受け入れ先の対応に、日本のプリンスには特別な配慮があってもいいのでは?と考えるような種類の「敬意」です。

こういうタイプの「敬意」こそ寛仁親王を苦しめた原因のひとつだと思うんだけどなあ。

子供のころから人を欺くことに抵抗がない様子の信子妃を「型にはまらないお嬢様」と表現する「配慮」や、
二人の女王を「優秀でチャーミング」と評しながらも一度も会ったことはない、というのもよくわかりません。
充分会える立場なのに不思議ですが、地雷を踏みたくないという「配慮」か、と勘ぐります。
(特に信子妃に関しては配慮がありすぎて何が言いたいのかよくわからなかった。)

親王本人に何度も取材したからこそ聞けた発言は収穫だと思いました。
それは例えば、カミラ夫人を選んだチャールズ皇太子への共感や、信子妃の話題はNG・ツーショット写真を見せることもダメといった発言。


わたしが三笠宮寛仁親王関連の本を読むのは、大げさな言い方かもしれないけど“人間と運命”みたいなことを考えさせられるからです。
いや、そもそもノンフィクションの醍醐味・読む理由ってそこなんじゃないかと。
でも、この本は全体を覆う「配慮」のせいで、そこら辺がよく見えませんでした。