快読日記

日々の読書記録

「海馬の助走」若合春侑

2010年09月27日 | 日本の小説
《9/26読了 中央公論新社 2002年刊 【日本の小説】 わかい・すう(1958~)》

表題作と「掌の小石」の2編。
どちらも作者の父親がモデルになっているそうで、
特に「海馬」は「どてらい男」(花登筐)の東北版みたいな雰囲気もあって満足。

実際のエピソードが食材で、それを調理したのが小説だと仮定して、実話とフィクションの違いを考えると、
「どれだけ偶然に左右されてるか」ってのが一つの要因になるんじゃないかと思います。
「偶然なんてない。すべては必然なんだ」という言い方もできますが、「どのくらいのスケールで考えたときの必然か」が違う。
下手なフィクションほど「必然」のスケールが小さくて、単なる辻褄合わせで終わってしまうし、
上質なフィクションは、当事者目線で見たら偶然、ぐーっとカメラを引いてマクロで見たら必然、ってかんじになっているんだなあ…うまく言えないけどそんなことを感じました。
ある日突然、この世に丸裸で生まれ落ち、そのまま生かされる不思議に、どこか奥の方がつーんとするような小説でした。
モデルは一緒でも、短編「掌の小石」は、若合春侑の変態趣味が発揮されていて、しかもレトロ+マゾという香ばしさが素敵です。

→きたろう(シティボーイズ)の「脳病院へまゐります」(若合春侑)評を読む。