快読日記

日々の読書記録

「ロボット小雪」業田良家

2013年08月14日 | 漫画とそれに関するもの
《7/25読了 竹書房文庫 2013年刊(単行本「新・自虐の詩 ロボット小雪」竹書房バンブーコミックス 2008年刊 改題して文庫化) 【漫画】 ごうだ・よしいえ(1958~)》

小雪はSOZY製のロボット。
開発者である園子の息子・拓郎(高校生)と暮らしていくうちに、ちょっとずつ改良が重ねられ、やがて感情を持ち、心を持つようになります。

「自虐の詩」と同じように基本四コマ漫画で展開するんですが、くすくす笑ってる間にすごい展開になっていきます。
それは…と言いたいところだけど、やめときます。
未読の方はぜひぜひ読んでみてください。
読後、脳天がしびれたようになり、しばらくぼーっとした後、そのまま最初のページに戻って2回めに突入したわたし。

.....以下、少し内容に触れます...............






拓郎たちが住んでいるのは、誰もがコンパニオンロボットを持ち、財テクに明け暮れ、なに不自由なく快適な生活を送る近未来の日本の某都市。
川を挟んだ「向こう岸」と呼ばれる地帯(その名も栄光地区!)には貧困層が暮らしています。
人々は沼のような劣悪な地盤に建つテントに住み、薬物や拳銃の密造をしたり、人や動物の死骸をエネルギーに変える「分子力発電所」で低賃金労働を強いられたり、犯罪に怯えたり、犯罪に走ったりしている。

こちら岸の裕福な住人には、「向こう岸」ってのがあるんだな、くらいの意識しかなく、川を隔てた先という近距離なのにその現状には無関心。
しかし、小雪はある事情から「向こう岸」の存在を知り、行動を起こします。

結末は、未来への希望と取るべきか、人間への絶望と解釈するべきか。
んー。わたしはどっちかっていうと後者かな。
作者の深い絶望と悲しみ(ラストのお母さんの目は業田自身の目だと思う)がにじんでいる、そこが「自虐の詩」(人生、それでよし!みたいなスケールのでかい終わり方だった)とは決定的に違います。

文庫化の際、「新・自虐の詩」という副題を外したのはそういう理由なのかなあとぼんやり思ってみたりする。

/「ロボット小雪」業田良家

「ペコロスの母に会いに行く」岡野雄一

2013年04月07日 | 漫画とそれに関するもの
《4/6読了 西日本新聞社 2012年刊 【漫画】 おかの・ゆういち(1950~)》

ペコロスとは小たまねぎのことで、つるっとまん丸にハゲた作者のニックネーム。
同じようにまん丸な母・みつえ(大正15年生まれ)は認知症を患い、脳梗塞に倒れ、グループホームで暮らしています。

本全体から“お母さん大好き!”っていう湯気がたっているような作品です。
夢と現実との間を行ったり来たりしながら生きるみつえさんですが、若い頃の苦労も含めたさまざまな思い出や被曝の記憶などが、ときに幻想的に、ときには生々しく、漫画ならではの手法で描かれます。
そう。もし漫画じゃなかったら、こんなに胸を打つ作品にはなってないかも。
認知症が出始めのちょいぼけエピソードや、亡き夫が何度も訪ねてくる話もいい。
子供時代には想像できなかった親の夫婦(男女)としての姿がじーんと来ます。



生きて、病を得て、死ぬ、っていうのは、当たり前の人間の姿であるのと同時に、それぞれの人生すべてが特別なひとつひとつであるというせつなさ。

帯に「映画化決定」とありますが、誰がみつえさんやるのかなあ、気になります。
やっぱり丸っこい人にしてもらいたい。

追記:
ペコロス→岩松了 みつえさん→赤木春恵 だそうです。おお。ナイスキャスティング。
ふさふさの岩松了がハゲヅラ、竹中直人がかつらをかぶり、温水さんは素頭。
原田貴和子もでるそうです。びっくり。


/「ペコロスの母に会いに行く」岡野雄一

「おろち-楳図かずおの世界-」

2012年07月07日 | 漫画とそれに関するもの
《7/6読了 小学館集英社プロダクション 2008年刊 【映画「おろち」 楳図かずお】》

「楳図かずおの傑作を、原作/映画の両サイドから徹底解説!」(帯より)

こんな本があったんですね~。知らなかった。2500円もする。
図書館で見つけ、後半の楳図インタビューと、楳図による「おろち」全話解説が目的で借りたんですが、
映画「おろち」の出演者・監督・脚本・美術・音楽の担当者へのインタビューが収められている前半も刺激的でよかったです。
この作品を映画にするんだ、セットを作るんだ、音楽をつけるんだ、とかいう立場から読むと、また数段深く濃く、そして多角的に読めるんですね。
映画は第1話「姉妹」と最終話「血」に基づいて作られているんだそうで、ちょっと見てみたくなりました。
木村佳乃好きだし。
(何かのドラマで男に絞殺される場面で彼女が発した「ぐへぇっ」という凄い声を聞いて以来)

「楳図作品の人間というのは、一つの独立した人格ではなく、外側に漂い出してしまう無意識みたいなものも含んだ上での存在だと思うんですよ」(41p 脚本家・高橋洋)

監督が決まる前にすでに脚本ができあがっていたという“楳図愛”なエピソードにもしびれますが、この脚本家が監督に言った「この作品はいびつで良いんですよ」というセリフも最高。
そりゃそうだ。だって人間ってのがそもそもいびつなんだもん。
そのいびつっぷりを、ときに爆発的におもしろく、ときに涙目になるほど恐ろしく、容赦なく描くのが楳図かずおなんだから。
人間を見つめる目が意外なほどクールで、情けや慈悲があまり感じられないところも特徴だと思います。

とりあえず「おろち」読み直してみなきゃ。

/「おろち-楳図かずおの世界-」
■ブログランキングに参加してます。一日一善、1日1クリック!■

「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」水木悦子 赤塚りえ子 手塚るみ子

2012年06月25日 | 漫画とそれに関するもの
《6/22読了 文春文庫 2012年刊(文藝春秋から2010年に刊行された単行本を文庫化) 【水木しげる 赤塚不二夫 手塚治虫 鼎談】 みずき・えつこ あかつか・りえこ てづか・るみこ》

3人の“父の娘”たちによる鼎談。

90歳の今も健在で、2人の娘と一緒に仕事をしている水木しげる、
放蕩や女性関係や離婚で娘と離れ離れになっていた期間も長い赤塚不二夫、
凄まじいまでの仕事づけの生活の果てに60歳という若さで世を去った手塚治虫、
父娘の関係も三者三様です。
父たちの共通点はその仕事へのひたむきさ、娘たちはみな父親を愛している。

「「お父ちゃん、『ヒットラー』(「劇画ヒットラー」)っていい漫画だよねえ」っていうと、「当たり前だ! だってお父ちゃんこれ、一生懸命描いたんだもん!」って言うんです」(水木悦子p28)

「子供のとき、パパのことがずっと恋しかったんですよ。(略)でも、永遠に自分のものにならない、自分だけを見てくれない。この人、わたしのために助けに来てくれないんだろうなって思ってた」(赤塚りえ子116p)

「漫画家同士で台湾に旅行に行ったことがあって、そのときに「みんなでお色気で有名な温泉に行こう」とかって盛り上がったらしいんですが、うちの父親だけは「いや、猿とニンゲンがまぐわっているやつがあるから、それを見に行こう」って。性的興奮のベクトルが違う」(手塚るみ子151p)


最後の項では、父親の仕事を引き継ぐものとしての自らの使命について3人が語っています。
たしかに巨匠の作品には「名作」というラベルがペタリと貼られて、書店に並ぶ数も減ってくるかもしれない。
たがら、娘たちが様々なアーティストとCDや本を作ったりするのはすばらしい。
でも、わたしはそこでつい、「いいなあ、娘がいて」と思ってしまうんです。
楳図信者なもので。
こういう「娘」がいたら頼もしいし、幸せだなあ、と。
楳図だけでなく、多くの女性漫画家にも、その仕事を守って、未来に渡って読み継がれていくようにがんばってくれる「娘」がいない。

この3人には「娘」によって作品の寿命をさらにのばせるという幸せがある。

→「お父ちゃんと私」水木悦子


/「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」水木悦子 赤塚不二夫りえ子 手塚るみ子
■ブログランキングに参加してます。一日一善、1日1クリック!■

「萩尾望都作品集 なのはな」萩尾望都

2012年04月09日 | 漫画とそれに関するもの
《4/6読了 小学館 2012年刊 【漫画 作品集】 はぎお・もと》

収録作品:なのはな/プルート夫人/雨の夜-ウラノス伯爵-/サロメ20××/なのはな-幻想『銀河鉄道の夜』

「なのはな」とその続編「なのはな-幻想」は、原発事故後の福島の話。
絶望的な話にはすまい、と作者が意図すればするほど、その透明度の高い明るさが目にしみて余計に悲しくなります。
その2つの間に収められている「プルート」「雨の夜」「サロメ」の3部作は、放射性物質と人間との関係を描いた寓話。
プルトニウムとウランの擬人化された姿はそれはそれは美しくて、だから怖いです。

人間に富を約束し、さらなる欲望をかき立てる彼らは華やかで蠱惑的な西洋人の姿で現れます。
対して、「なのはな-幻想」には仏が登場するのというのがとても象徴的。
果てしない欲望が、人間を苦しめ身を滅ぼす原因になるのだとすれば、
その欲をゼロに近づければ救われるんじゃないか。
そのために有効な方法は、欲を満たすことではない。
だって、欲が完全に満たされるなんてことはありえないから。
そうではなくて、“少欲知足”(欲望を少なくし、「これで充分だ」と知ること)しかないわけだ。
わたしたちに“未来”があるとしたら、そこらへんに入り口がありそうだ。
…っていうようなことをぼんやり思いました。うまく言えないけど。

/「萩尾望都作品集 なのはな」萩尾望都
■ブログランキングに参加してます。このブログに1票!■

「夢の中 悪夢の中」三原順

2011年10月04日 | 漫画とそれに関するもの
《10/4読了 白泉社文庫 2011年刊(主婦と生活社から刊行された同名のコミックスを文庫化) 【漫画 短編集】 みはら・じゅん》

収録作品:夢の中 悪夢の中/ベンジャミンを追って/彼女に翼を/帽子物語

「夢の中 悪夢の中」
血のつながった家族というのは意外と難しい。
そうは言っても別の人間なんだから、何を考え、どう感じているかはそれぞれのはずなのに、なまじ「親子だから」「きょうだいだから」すべてわかっている、私が好きなことは子供も好きに決まってるっていう何の根拠もない安心感が心を鈍くさせるので、かえって厄介です。
苦しんでいるのが子供だったら逃げ場もない。
普通ここで終わるよな、という場面から、さらに物語が続き、主人公の苦痛が絶望に変わるところまで徹底的に追っているところもすごいです。

“家族という他者”というテーマは例えば山岸凉子「恐怖の甘いもの一家」でもコミカルに描かれていますが、実はかなり深~い主題。
三原順の太い輪郭線は他者との境界線の厚みを、山岸凉子の細く尖った描線はその脆さを象徴しているような気がします。

あとの3編も傑作。
終盤にストーリーがクルッと回転する瞬間もたまらない。
寓話的要素が一番強く、唯一明るさがある(主人公の解放の予感で終わる)「帽子物語」は感動的でした。

/「夢の中 悪夢の中」三原順
このブログに投票する。

「週末、森で」益田ミリ

2011年09月15日 | 漫画とそれに関するもの
《9/14読了 幻冬舎 2009年刊 【漫画】 ますだ・みり(1969~)》

名作との誉れ高いこの作品、帯にも「共感度120%」「アラサー、アラフォーの胸をワシづかみ」と書いてあります。
それは楽しみじゃ。
でもこれ、心をワシづかみ、って言いたかったのかな。
ちょっと心配になるけど期待は高まります。

ある日突然、東京のアパートを引き払い(その理由が面白い)、都心からそんなに離れてなさそうな田舎に引っ越した早川さんと、そこへ遊びに来る都内在住の友達(せっちゃん、マユミちゃん)の話。
3人とも30代半ばの未婚女性で、仕事を持っています。
で、この早川さんの口から湧き出る名言・格言がいちいち素晴らしいんです。
たしかにそうだなあ、とは思うんですが、
早川さん、語りすぎじゃね?
そんなに達観しなくてもいいんじゃね?
自分だけ涼しそうな場所から言ってね?
と、わたしみたいなひねくれ者は思うわけです。

わたしが共感したのはむしろ、せっちゃんとマユミちゃん。
ああ、口に出すことはないけど、みんなこういうことで悩み、傷つき、心中で毒づいてるよね、と肩のひとつもたたきたい気持ちです。
2人は職場でムカついた後、早川さんのご神託を思い出し、「そうだよね」と切り替えて、自分を励まし、折り合いをつけていく。
この2人にはかなりシンパシーを覚えます。
そして、この作品の読み方としては、それでいいんじゃないか、と思うんです。
誰もが早川さんになれるわけじゃないんだから、結局みんな浮き世であちこちに頭をぶつけたり膝をすりむいたりしながら年を取っていくわけで。
そしてそれでいいわけで。

だから、共感度120%かどうかはともかく、友達の話を聞いてるようなリアリティと等身大っぷりがよかったです。
この作品、若い女の子や、50代以上の先輩女子、そして男性はどう読むのか、少し聞いてみたい気もします。

/「週末、森で」益田ミリ
このブログに投票してやるぞ。

「子連れ狼」小池一夫 小島剛夕

2011年08月30日 | 漫画とそれに関するもの
《8/28読了 新装幀改訂版・全14巻 双葉社 1982,1983年刊 【漫画】》

これを読んでいる途中(6巻めあたりか)、あまりに大五郎が好きになり過ぎて、興奮のあまり夜中に目覚めてしまうという事件が起き(多少の地震でも起きないわたしなのに)、
臨時の脳内会議が開かれた結果「3日間大五郎禁止」と「子連れ狼1冊読んだら必ず他の本を読んでクールダウンする」というおふれが出たため、全巻読破がちょっと遅くなりました。

それはさておき、
「子連れ狼」の主人公って、拝一刀ではなく、拝大五郎なんです、たぶん。
ストーリーに占める大五郎の重要性はもちろんですが、小島剛夕の描く大五郎がもう「生き生きとしている」というレベルを超え、まさに「生きている」し、そこに注がれる情(じょう)みたいなものが、読み手を巻き込まむほどの熱を持っている。ああ幸せ。
この「愛情」と「画力」が、拝大五郎という架空の人物に「生命」を与えています。
本当にこの絵はすごい。
一刀が闘う場面では、絵が動いて見えたし、大五郎の表情だけで、その声が聞こえてきたような気がするし、一刀が我が子を抱き上げる度にその重みを実感します。

…熱く語りすぎ?

途中から憎まれ役として登場する将軍の毒味役も最高です。
拝親子、柳生烈堂という「すごすぎる3人」に対抗して、リアルな人間というポジションを一手に引き受けたような愚かさ、滑稽さ、悲しさ。
この人がいなかったら、「子連れ狼」のおもしろさは半減したかもしれません。


北大路欣也版『子連れ狼』のDVD化を望む(夢と希望と笑いと涙の英語塾)


/「子連れ狼」小池一夫 小島剛夕
このブログに投票くださるか。かたじけない。

「街場のマンガ論」内田樹

2010年11月03日 | 漫画とそれに関するもの
《10/24読了 小学館 2010年刊 【評論 漫画】 うちだ・たつる(1950~)》

漫画論を通して、作品の背後に透けて見える日本そのものを論じています。
取り上げられているのは、井上雄彦・少女漫画・BL・「エースをねらえ!」・宮崎駿・手塚治虫 など。

「BLは反米ナショナリズムである」とか、
「少女漫画は女のビルドゥングスロマンだ」とか、
日米のヒーローものの違いとか、
相変わらず的の真ん中にストンストンと当たるようなご慧眼。
加えて、ブログにupされた文章ということもあってすごく読みやすい。

おもしろい指摘がいくつもありました。
例えば、佐々木倫子「Heaven?」の伊賀くんがオーナーに抱く感情の分析。
そういえば伊賀くんの母親とオーナーってそっくりでした。
たしかに、ウチダ氏の指摘は正しいかも。
あと、山岸凉子「恐怖の甘い物一家」と「天人唐草」が同じテーマだと言われると、すごく腑に落ちます、なるほど~。

「あしたも着物日和」近藤ようこ

2010年07月14日 | 漫画とそれに関するもの
《7/12読了 徳間文庫 2010年刊(2006年に徳間書店から刊行されたものに加筆) 【エッセイ漫画 着物】 こんどう・ようこ(1957~)》

わたしの亡くなった祖母(明治生まれ)は、いつも着物姿でした。
印象としては、洋服より機能的でかっこいい、しかもラク。
朝の身仕度もあっという間です。
でも上品なお婆さんを想像しないでください。
着崩した襟に日本手ぬぐいを引っ掛けて、くわえ煙草でガンガン毒を吐くので、かなりの嫌われ者でした。
青島幸男のいじわる婆さんのリアル版みたいなものです。

それはともかく、
昨今の女子(非ギャル)の着物ブームは、いわゆる「ていねいな暮らし」への憧れなのでしょうか。
辰巳芳子の本などにも感じることですが、
昔の人があたりまえにしてきたことが、今や「憧れの暮らし」なのかもしれません。

かくいうわたしも十数年前から、古着をポツポツ買い込んでいますが、
本当にたま~にしか着られないので、せめてもの楽しみに、こんな本をニコニコしながら読んでます。
しかも大好きな近藤ようこだしね。

そんなわたしをあの世から見てたら、婆さんはなんて言うでしょう。
聞いてみたい気もするけど、すごい毒舌女だったので、想像するのも怖いです。

「カフカ Classics in Comics」西岡兄妹

2010年06月12日 | 漫画とそれに関するもの
《6/12読了 構成・作画/西岡兄妹 著者/フランツ・カフカ ヴィレッジブックス 2010年刊 【漫画】》

買うんじゃなかったです、後悔してます。
カフカも漫画も大好きな人に聞いてみたい。

「どう思う? なんか不愉快じゃない?」と。

まず、これは「漫画化」になっていない。
漫画化ってのは「映像化」であってほしい。
これではただの挿絵です。
しかもひとりよがりな絵なので、
作品世界を狭く薄く小さくしてくれました。

妹さんが作画担当だそうですが、
カフカ作品に対する思い入れや"自分の血肉になるほどよ~く読み込んで消化した"みたいな気配が感じられず、
カフカに向き合う覚悟もないまま、お手軽に描かれたようで、
別にカフカじゃなくてもよかったの、なんて声まで聞こえてきそうで(←幻聴)、

読んでて、なんだか、ひどく傷つきました(←被害妄想)。

「バングラデシュで玉の輿(全3巻)」黒川あづさ

2010年04月07日 | 漫画とそれに関するもの
《4/6読了 「アジ玉。」を改題 中公文庫(中央公論新社) 2010年刊 【漫画】 くろかわ・あづさ》

「トルコで私も考えた」(高橋由佳利)のバングラデシュ版のようでもありますが、
同じ国際結婚ものでも「トルコ」は「国際」、「バングラ」は「結婚」に比重がかかっているような気がします。
クレバーで優等生的な「トルコ」は、その国の内情や歴史・文化・国民性などが詳しく解説してあって、実際にトルコを訪れる人の参考文献としても充分使える完成度の高さ。
一方、この「バングラ」はもっと人情的っていうか、人間くさいかんじです。
夫婦間のやり取りもそうだし(リアルなお金の話が多いから余計にそう思うのかな)、
何より夫・クリリン(仮名)の家族や周囲の人々がとても魅力的に描かれています、とくに義父(笑)

それにしても、結婚って大変そうですね。
価値観のギャップはむしろ外国人相手の方が、覚悟する分乗り越えやすいかもしれない。

「すーちゃん」益田ミリ

2010年03月16日 | 漫画とそれに関するもの
《3/13読了 幻冬舎文庫(幻冬舎から2006年に刊行された単行本を文庫化) 2009年刊 【漫画】 ますだ・みり》

30代独身上京組一人暮らしの すーちゃん と まいちゃんの話。
自分を変えたくて本を読んでみたり、米飯を玄米食に変えてみたりするすーちゃんにものすごい既視感。
まるで かずえちゃん(仮名)だわ!
さらに読み進むと、彼女たちの黒いつぶやきにも心当たりが。
まるで わたしだわ!
そう。これ、今の日本で仕事を持つ30代独身女子からとても共感を得ている作品なんですね、納得。
絵がかわいらしいので見えにくいけど、彼女たちの胸中の毒気もしっかり描かれているところに唸りました。

高野文子「るきさん」(1993年)も似た設定なんですが、両者を比べると「すーちゃん」はほとんどモノローグで展開するので、彼女たちの内外を覆う閉塞感が一層際立ちます。
閉塞感って「るきさん」には感じませんでした。
それから、すーちゃんの「正しさ」への指向。
これも、るきさんにはあまりありません。

つまるところ、すーちゃんは少し真面目すぎるかもしれない。
あと、自分と向き合い過ぎ。
そんなの適当に、見たり見なかったりすればいいのに~ と思いました。

「グレゴリ青山の もっさい中学生」グレゴリ青山

2009年06月02日 | 漫画とそれに関するもの
《5/31読了 メディアファクトリー 2008年刊 【日本の漫画】 ぐれごり・あおやま(1966~)》

小中学生時代のことをよく覚えている方ですか?
わたしは全然。
それでも象のような記憶力を持つ幼馴染みCちゃんの昔話を聞いていると、
たまにブワーっとその場面が甦り、当時の友達の顔や声、教室や中庭の匂いまで思い出すから怖いです。

この漫画は、わたし(1971生)より若干お姉さんの、たのきん時代(そんな時代はないけど)に中学生だったグレ山グレ美とその仲間たちの話。
冒頭のスケキヨ先生のエピソードでは、「あ~、あるあるネタか~」と期待値が下がったのですが(それでもかなりおもしろいんだけど)、
みんなで聖子ちゃんカットに執念を燃やすあたりから盛り上がり、
いじめられっ子の若林千恵ちゃんがヤンキーに変身する顛末には、目頭が熱くなりました。あの話はすごすぎる。
ただの懐古ネタ漫画ではなく、ドラマティック(日常こそがドラマであるという意味で)でふくよかな作品です。

それにしても、
わたしもグレ美ちゃん同様、携帯電話がない青春時代を送れたことが本当に幸せだったと思います。
友達同士でいるために一番大事なのは、適度な距離を保つことだから。

「桜の森の満開の下」近藤ようこ

2009年04月24日 | 漫画とそれに関するもの
《4/19読了 原本/坂口安吾『桜の森の満開の下』 小学館 2009年刊 【日本の漫画】 こんどう・ようこ(1957~)》

「夜長姫と耳男」に続く、"安吾原作シリーズ"第2弾。
ってことは第3があるのか?
ってことは、次はあれかなこれかな?と期待が膨らみます。

あとがきで、近藤ようこ自身も言う通り、「桜の森―」はよく知られた作品の割に、いわゆる「意味」がわかりにくい。
わからないのにこんなにおもしろい。

でも、すぐに作品の「意味」を「読解」しようとすることこそ、学校国語の悪い影響であって、
そんなの軽くシカトしとけばいいんじゃないかと思いました。

漫画の方は、「わからないのにこんなにおもしろい」原作をそのまんま描いてあって、
おかげでキャラクターや話のスジが明確になった分、原作への「なぜ?」が一層つのる、という幸せな相乗効果を生んでいます。
「夜長姫―」には時々見えた"漫画家の解釈"が、「桜の森―」には全然登場しませんでした。
結果、怖いほどの透明感を獲得したと思います。


同郷の小説家と漫画家の、本当にうれしいシリーズです。