十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

直木賞候補“河崎秋子作家”

2022-06-25 05:00:00 | 投稿

河崎秋子作家が書いた「絞め殺しの樹」が167回の直木賞にノミネートされた。著者は北海道別海町に生まれで、現在、43歳。 2002年、北海学園大学卒業後、ニュージーランドで1年間、綿羊の飼育技術を学び、帰国後は酪農のご実家を手伝いながら、綿羊の飼育や出荷をしてこられたそうである。

1年前、彼女が書いた“肉弾”の本を読んだ。 この本には、物質文明に酔う人間と北海道にいる熊と鹿と犬などの野生動物のことが書かれていた。本の主要人物は、大学時代に駅伝に取り組む青年であったが、駅伝に取り組む前は引きこもりであったらしい。自分にとっては、大学時代にスポーツに打ち込んだ経験や犬を飼っているので、大変に考えさせられる本であった。

この本は、釧路高専の副校長先生だった方が、十勝プラザで年に1回開かれている市民大学講座で説明したもので、2019年に大藪春彦賞を受賞している。同年に十勝に転居し、執筆活動に専念している。

彼女は本を何冊も書いており、いずれも何らかの賞を受賞しており、そろそろ直木賞を受賞するかもしれないと講師が言っていた。今回のニュースを聞いて、是非、直木賞を取ってもらいたいと思っている。他に十勝の作家では、池田町出身者の西條奈加さんが、「心淋し川」で第164回直木賞を受賞している。この川は、東京都文京区千駄木を流れる川である。

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“任地を愛せよ”という言葉

2022-06-24 05:00:00 | 投稿

私は71歳であるが、全国を転勤するサラリーマンであった。会社の上司に言われた言葉がある。それは、“任地を愛せよ”という言葉である。この言葉の意味するところはいろいろとあるが、次のように考えている。

  • その土地の歴史を知ること
  • その土地を支えている産業を知ること
  • その土地の人と人脈をつくること

狭い日本であるが、文化や風習にはその土地特有のものがあるので、それを知ることが大切であるということだろう。私は同じ都市に、3回も赴任した経験がある。おかげで“灯台もと暗し”と言われるように、その土地の誰よりもたくさんいろいろなことを知っているかも知れない。そして、多くの人との人脈を作ってきた。おかげで、その人たちと今でも交流がある。

大切なことは、どんな土地にも住み続けていかなければならない地元の人がおり、その土地に対してプライドや愛着を持っているということだろう。歴史や産業を知るためには、その赴任地に必ずある博物館などをお勧めしたい。

私が3回も赴任した都市とは、釧路市である。釧路は冬が暖かいが、夏は半そでのシャツを着たことがないほど寒かったが、今は最高気温が30度以上にもなるそうである。

ここにも地球温暖化の現象が見られている。30年前、水揚げ日本一を連続11年間も誇っていた釧路であるが、庶民の魚であるサンマをはじめとして、魚がまったく来なくなってから久しい。私が釧路にいた時、サンマ一匹が20円であったことを懐かしく思い出している。

また、飲み屋街にはキャバレー”銀の目”や“ホンコン”があったが、今は炉端やスナックなどの飲み屋自体が少なくなっている。人口が20万人以上あった釧路であるが、15万人台になろうとしている。ただ、地球温暖化で北極海航路が出来れば、ヨーロッパに行くための燃料費が安くなるので、日本の物流基地として変貌を遂げる話もある。

                            「十勝の活性化を考える会」会員


国会議員の資質

2022-06-23 05:00:00 | 投稿

国会議員の資質が問われている。 自民党の静岡県選挙区で比例区当選を果たした“吉川赳衆議院議員”が、18歳の女子大学生に飲酒をさせホテルで一緒に過ごした上で現金4万円を支払ったと「週刊ポスト」に報じられ、自民党を離党した。岸田総理「進退は説明責任を果たすなかで自ら決定すべき」といっている。

選挙に詳しい静岡大学の教授によると、「県内でも議員の不祥事が相次いだが、多くの議員は説明しているとして、自らの口で事実関係を説明することは最低限必要なことである。」と語っている。

SNSのタイムライン上にも怒りの声が溢れる。「何の説明も無く、このまま議員に居座るつもりか」、「即刻辞任させない」と。 比例で復活したのに辞職しないのが理解できない。吉川議員は離党したのに、議員を続けるということに問題はないのか。  2021年の前回選の惜敗率は48%。比例復活は自民党の力あってのこと。制度上、議員を続けることは可能だが、有権者への説明はつかないと思う。地元の有権者に対して誠実に向き合うためにも、まずは公の場で、しっかりと説明責任を果たすことが必要である。

ある建設会社の役員の人が、こんなことを言っていた。「国会議員になると、お金が湯水のように入ってくるので辞められない。」と。吉川赳 衆議院議員にも同じことが言えるのかも分からない。日本の政治は、すべてが金次第なのであろうか。日本の政治が、なぜ三流なのかが分かったような気がしている。

「十勝の活性化を考える会」会員」

     


とかち愛

2022-06-22 05:00:00 | 投稿

先日、日本銀行帯広事務所長が地元新聞に、“とかち愛”のことを投稿していた。

彼は、十勝の最大の強みは、熱意ある人の前向きな取り組みを地域全体で応援する気風だと感じたという。(脚注:記事参照)

お世辞が半分としても、十勝住民としては嬉しいことである。私も全国各地に住んだ経験から思うのであるが、「十勝モンロー主義」に見られるように十勝住民は結束力が強い。

十勝は1883年(明治16)、依田勉三をリーダーとして晩成社27人によって開発されたが、その様子は彼の俳句、開拓の はじめは豚と ひとつ鍋全てをものがっている。即ち、十勝を開墾した人々の苦労とそのたくましい精神、そして、結束力を詠んだ俳句である。晩成社の人々は、ひとつ鍋を突っつきながら希望を胸に前を向いて進んでいったのだろう。

モンロー主義とは、アメリカヨーロッパ諸国に対する相互不干渉を提唱したことを指し、第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年議会で行った年次教書演説で発表したものである。

「十勝モンロー主義」は、他地域の人からやゆされる時もあるが、今の日本にも期待されるものと思っている。すなわち、その心はとかち愛と同じように“地産地消”である。ウクライナ戦争をきっかけに世界の食糧問題が発生しており、農業は大切である。参考までに、日銀帯広事務所長の記事は、次のとおりである。


日高山脈の国立公園化

2022-06-21 05:00:00 | 投稿

 

日高山脈は北海道の中央南部にある唯一の山脈で、狩勝峠側の佐幌岳から襟裳岬までを南北に貫く長さは南北およそ150 km。「北海道の背骨」といわれるほど地形が険しく、山脈を横断する道路は、狩勝峠のある国道38号線、日勝峠のある一般国道274号線、天満街道のある国道236号線である。

日高山脈は、氷河の痕跡であるカールが見られる日本では数少ない山脈で、登山道はあまり整備されておらず登山をするのは容易ではない。日高山脈は、山の斜面を氷河がスプーンですくったようなくぼ地になっている日本では数少ないカールを見ることができる。カールを見ると、1965年に起こったカムエク(1979M)での北大山岳部の雪崩遭難事故を思い出す。

これは、登山隊6人がカムエク十ノ沢での露営中に大規模な雪崩に巻き込まれ、全員が死亡した事故である。6人は決して危険な場所に雪洞を掘っていたわけではなく、国内最大級の雪崩に巻き込まれたのである。

春の雪融けを待って再開された捜索で、全員の遺体を発見した。そして、奇跡的に即死を免れた山岳部リーダー澤田義一氏が、テントのすき間で4日間にわたって書き綴った遺書がポケットから発見され、大きな反響を呼んだからである。遺書の最後には、母親宛てに「先に死んでいく、私の我がままをお許しください。」と書かれていた。

趣味が登山であったため日高の山にも多数登ったが、“北海道の山登りは日高に始まり日高で終わるといわれるほど、手付かずの自然が残る魅力一杯の山々といって良いだろう。

環境省は、2年後の2024年をめどに国立公園化を目指しているが、国内最大規模となる見通しである。その魅力の一番は、日高山脈の成り立ちだろう。北海道の山の多くが火山なのに対し、日高山脈はヒマラヤ山脈や北アルプスと同じく、およそ1300万年前の造山運動によって生まれた褶曲山脈でとても険しい。

山ができる原因には、大きく分けて2種類ある。ひとつは噴火で、二つ目は地中深くに埋まっている巨大なプレートが衝突した場合で、日高山脈は、ユーラシアプレートに北米プレートが入り込むように衝突によって作られた山脈である。

3年前、国際女子アイスホッケー大会が帯広の森アイスアリーナで開催された。参加チームは、アメリカ、カナダ、スイス、チェコ、スウェーデン、フィンランド、ロシア、日本の8チーム。カナダチームの関係者は日高山脈の山並みを見ながらとても綺麗な山脈と言っていた。カナダにはロッキー山脈があるが、日高山脈も負けず劣らずに綺麗だったのだろう。ただ、日高山脈はヒグマも多く毎年のように人身事故が起きているので、入山にはくれぐれも注意が必要である。

「十勝の活性化を考える会」会員

注)日高山脈(十勝側より)

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)