十勝の活性化を考える会

     
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アイヌ文化

2022-06-13 05:00:00 | 投稿

 

アイヌ文化とは、アイヌ民族が13~14世ころから現在までに至る歴史の中で生み出してきた文化である。岡山大学教授 瀬川拓郎氏によれば、アイヌ文化期をニブタニ文化期というほどアイヌ文化が、北海道平取町二風谷に残っている。

アイヌと聞くと、北海道の大自然の中で自然と共生し、太古以来の平和でエコロジカルな生活を送っていた民族というのが一般的なイメージだが、これは歴史的事実を無視した全くの誤解である。

アイヌ民族は、文化や生活習慣の違い等の非合理的な理由により長らく差別を受けてきた。現在、地球温暖化が大きな問題となっているが、アイヌ民族はかつて自然を大切に生きており、その文化や生き方を学ぶべきであろう。

本州では弥生文化が定着したあとにも従来の縄文の伝統を守りつづけ、弥生文化に同化しなかった人々、それがエミシ(アイヌ)だったのである。もちろん、弥生文化に同化していった人々もたくさんいたのも事実である。

エミシとは、勇敢な人や荒ぶる人の意味である。エミシは、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方東北地方)や、北方(現在の樺太・北海道)などに住んでいた人々の呼称といわれる。

大和政権の支配地域が広がるにつれて、この言葉が示す人々と地理的範囲は変化した。近代以降は、北海道樺太千島列島カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語母語とするアイヌを指している学者も多い。

エミシにはアイヌ説と非アイヌ説があるが、いずれにせよ大和民族とそれ以外の二つに分けて考えた方が理解しやすいもしれない。古代のエミシ社会という表現は古文書にたびたび書かれているが、初めてエミシという言葉が登場するのは、万葉仮名で書かれた日本書紀の中の歌にある。そして、古文書を読んで分かったことは、大和朝廷側の人たちは、“エミシをやっつけた”と書き、エミシ側に立っていた人たちは、“大和朝廷にやられた”と書いている場合が多い。つまり、その地域を統治している権力者側の立場で、歴史書は書かれているのである。

これで分かることは、歴史書とは“正史”が積みあげられて書かれたものであるが、その国や地域に支配的な影響力を持っていた権利者などによって作られたものである。そのため正史は、勝利者側の歴史書で正確性が保証されたものではないということである。

このエミシという言葉と関連して、江戸時代にいた“サンカという言葉がある。サンカ定住することなく狩猟採集によって生活し、明治時代に全国で約20万人、昭和に入っても終戦直後に約1万人いたと推定されている。岩手県出身の知人に聞くと、サンカは当地でも住んでいたそうである。

「サンカ」という言葉が現れたのが江戸時代末期の文書で、北海道の名付け親でもある探検家 松浦武四郎の著書の中に、「サンカに命を救われた」との記述があるが、彼ら自身がサンカと名乗ったわけではない。

また、アイヌという言葉が「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、大和民族とアイヌとの交易が増えた18世紀前後と言われている。ある時、白老アイヌの彫刻家が、平取町二風谷アイヌ文化博物館の作品を見て、そのレベルの高さに驚いていた。

アイヌ彫刻の作品には、熊、フクロウ、アイヌ文様などいろいろあり、また、地域によっての違いや特色があり一概にはいえないが、アイヌの聖地といわれる“ニブタニ”の作品レベルの高さにはかなわないだろう。

国の同化対策や北海道旧土人保護法などによって、当時のアイヌの人々が体験した差別や偏見は、今の時代でもまだ残っている。そうした根深い問題とは反対に、アイヌ語をはじめアイヌ彫刻の技術やアイヌの人々の文化は、徐々に失われつつあるように感じている。

先日、北海道白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)に、初めていってきた。日曜日だけに、全道各地からかなりの人が見物にきていた。

ウポポイには、民放テレビ“情熱大陸”に出ていたアイヌ木彫家“貝沢徹氏”の作品もあったが、この施設によってアイヌ文化が少しでも理解が深まればと思っている。

貝澤徹氏は、アイヌ文化を守り続けるために日高管内平取町二風谷で木を彫り続けている。二年前の7月にオープンしたウポポイにも、アイヌの入れ墨をした女性を描いた木彫作品が展示されていた。その作品が下の写真である。注目してもらいたいのは、放映されたテレビの下部に書かれていたテロップである。

テロップには、「だから僕は僕なりの役割でやっていくし」と書かれている。テロップにあるように人間は誰しも役割を持っているので、その役割を粛々と行なっていけば良いのでないかと思っている。人間の役割は一人一人違っているが、その役割を各人が十二分に果たした時、組織や国は無限の力を発揮すると思う。現在、新型コロナ禍や戦争で世界中が混乱しているので、そのことが特にいえるのではないかと思っている。

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