“うばすて山”とは、年老いて働けなくなった者を役に立たないから山に捨てる山のことである。民話では、ある息子は泣く泣く年老いた親を山に捨てようとするが、結局、捨てることができず密かに家の床下にかくまって世話をする。
そして、殿さまが隣の国からいくつかの難題を持ちかけられ、解けなければこの国を攻め滅ぼすと脅されるが、その息子はそれらの難題を、年老いた親の知恵によって見事に解いてみせる。
老人のすばらしい知恵のおかげで国を救われたことを知った殿さまは、老人を役に立たないものと見なす間違った考えを改め、その息子と老人にたくさんの褒美を与えると共に、老人を大切にするようになったという民話である。
先日、これに関連している認知症のビデオを見たが、本人とその家族の実態を見て、明日は我が身のことであり大変勉強になった。
このビデオでは、役に立たなくなった70歳の本人とその子供、孫が出ていた。少子高齢化で老々介護は当たり前の現実があり、自ら介護施設に入所するか、自宅で誰が介護するかは、大きな社会問題になるだろう。老人になれば誰でも“忘れる”ことを自覚すべきで、私も71歳であるからすでに忘れやすい前期高齢者の老人になっている。
さて、現代のうばすて山とは、如何なるものであろうか? 私には道内に3人の子供と4人の孫があり、認知症であるから施設に入るかもしれないが、今のところ世話にならずに済んでいる。
10年前、脳出血を罹患し体が不自由で、週1回の機能回復型デイサービスを利用しており、少しずつではあるが体力もついてきている。この経験を活かして、「当事者が語る認知症」の講演を行なったが、出席者に参考となったかどうかは分からない。人間は生きている限り、他人の役に立つことが大切だと思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員