4年前の10月13日の普段通り目が覚めトイレで用を足し、ふと便座を見ると大量の鮮血。
「あぁ…、とうとう俺もこれまでか…」と目の前が真っ暗になり、その足で済生会病院に直行。
義理の兄貴も20代で直腸がんになったし、こんな乱れた生活をしていれば身体だって知らず知らずのうちに悲鳴をあげるというもの。
症状を告げると、救急対応で急ぎ検査をしてくれることに。
採血をして血液検査の結果を待ちながら、今までの人生を振り返る。
決して裕福とは言えない家庭に生まれ、小学校・中学校は特に勉強しなくても成績が良く、将来は画家にでもなって生活したいと思いながら、高校生にもなると徐々に成績も落ち、お笑い番組やオールナイトニッポンにはまり放送作家なるものに興味を抱いていた。大学生になり上京し、ヒップホップとレゲエに出会い、お笑い・プロレス・ヒップホップの構成美にやられてしまいカーリーヘアーに。ずっと金もなかったが美しくもくだらない毎日をすごし、ほかの人よりは少しばかりクリエイティビティの高い人間に成長していく。大してもてるわけでもなく、飛びぬけた才能があるわけでもなかったが、人並みに卒業し就職することになる。入社3日後には、社内で負ける奴はいないと豪語し、約30年経った今でも誰にも負けていない。27歳で加藤紀子似の綺麗なお嫁さんをもらい、台東区谷中で新婚生活を過ごし、長男も生まれ3人で宇都宮に転勤。二人の子宝にも恵まれ、数々の賞も受賞し順調に仕事も進んでいた半面、お世話になった恩師の度重なる急死や妬み、嫉み、僻みによる卑劣な嫌がらせに耐え、それでも多くの出会いと友人に恵まれ、好きなレコードを聴き、好きな酒を呑めたのだから俺の人生もまんざらではなかったと回想した。
検査結果が出たのか、診察室に呼ばれ検査結果を聞く。
女医さんの説明が全然聞こえない…
免疫力が低下?
腸壁が破れて出欠?
女医さんが発する言葉の句読点ですら絶望へのパーツにしか聞こえない。
勇気を持って冷静に聞こう
何癌で余命はどのこらいなのかと
「今日は激しい運動はせず、食事もおかゆ程度に。お酒は控えてください」
えっ?
「緊急を要する事態、つまり癌などの危険性はなく免疫力低下やストレスなどにより腸壁の一部が破れて出血しただけです。お薬の処方もありませんので、ゆっくり休んでください。」
えっ!
大腸がんじゃなかったの?
思わず女医さんに聞いた。
「今夜、山下達郎のコンサートがあるんですけど行ってもいいですか?」
「そんなことはいい大人なんですから自分で決めてください!お大事に!」
と冷たく診察室を追いやられた。
病院に行ったがそれでも出血は止まらず、本当に癌じゃないのか疑心暗鬼になる。
一度自分の人生を振り返り絶望感を味わったせいか全然気分が晴れない。
原付で宇都宮文化会館に向かい、一緒に行くことになっていた友人と合流。
なかなか見れない山下達郎のライブを前に、ロビーはファンの期待感と多幸感に満ち溢れている。
久しぶりに見た達郎のステージはそれは素晴らしく、観客総立ちでステージが進行していく。それでも、全然のれずに座って数々の名曲に聴き入る。いつもよりも一曲一曲が心に染み入るよう。
「蒼茫」を聴いた瞬間、数時間前に振り返った自分の人生とシンクロし、涙がひとすじ流れ落ちた。
あれから4年、今日も何とか生きている。
そして、これから何度この素敵な歌声を聴けるのだろう。
勝手に自分の人生のサウンドトラックとして達郎の曲をセレクトしている。
それくらい青春時代から身近に寄り添っている。
そして今日、4年前の自分に総立ちでリベンジを果たしたい。
思いっきり楽しんでやる!
思いっきり人生を謳歌してやる!
そう。これから宇都宮文化会館に向かう。
そう。山下達郎を観に。
6月10日の振替講演。
待ちに待った。
大学時代の親友 MAZZからも昨晩電話があり、コンサートに来るらしい。
こいつともジャパニーズヒップホップの黎明期を体感したいい思い出ばかり。
貸した金帰ってこないけど
今日はしこたま酒を呑むだろう。
楽しかった今日すら忘れるくらい。