遡ること2015年10月。
NTTレゾナントとBeacon(ビーコン)を活用した観光情報アプリ「日光ガイド powered by goo」をリリース。日光東照宮や日光山輪王寺、日光二荒山神社ほか多数の世界遺産をスマホアプリで多言語解説し、急増する外国人観光客に対応していくというもの。
僕のミッションは、2社1寺と交渉して、世界遺産や国宝、重要文化財に指定されている建物や仏像にビーコンを仕込み、解説原稿を作ること。
NTTレゾナントA氏と頻繁に日光を訪れ、仕事終わりによく呑みに行っていた。
A氏より僕の会話の面白さと、僕が連れてく飲み屋や飲食店のクオリティが高いことから、自社のgooblogでブログをスタートしてほしいと何度も頼まれた。
どこで何を食ったかなんてだれでもやってるブログなんて全く興味ないし、めんどくさいのでその都度断っていた。
ある日、いつものように二人で飲んでいると、ふとした話の流れで「クライアント命令でもブログやらない?」と言われ、広告マンとしてキラーワードを言われてしまい、渋々受け入れることに。
「栃木のグルメブロガーとしてどんなジャンルで?」なんて言われても、やるんだったらオリジネーターとして誰もやっていないコンセプトとコンテンツをと考え、毎日のように掘り続けていたレコードを、どこで何を買ったか覚えるために備忘録としてグログを描くことに。
手掘りのレコードにこだわり、レコードが抜けないと更新しない、ネット通販のレコードも更新しない、言わばレコード掘りの実況中継を垂れ流ししたわけ。
真の掘り師 KING OF DIGGIN MURO氏に敬意を払い、勤務中に掘ることが多かったので、KINMU OF DIGGINと命名。単なる駄洒落とパクリなんだけど。
改めて書きますが、学生時代よりクラッシュ・ポッセの頃から観ていたし、クラスメートのMAZZのライブに付き合わされ、都内のクラブに出かけた。MURO氏をレコ屋でもよく見かけたし、MAZZのアルバムの録音帰りなのか、MAZZ、MURO、BOYKANE3人と渋谷でばったりとか、僕の学生時代の思い出の一部として色濃く残っている。同様にDJ DOC.HOLIDAY須永辰緒さんと今でも仲がいいのはそんないきさつもあって。MISIAの「つつみ込むように」でのMUROのラップは、日本語ラップここに極まれりと涙出そうになるくらい感動したもの。おちょくっているわけでは断じてないってこと。
記念すべきはじめてのグログは2025年11月15日、ハードオフ西那須野店でTIMO LASSYやIDEA6とかクラブジャズを5枚ほど抜いた時。
この時掘ったTIMO LASSYのレコードに、宇都宮にTIMO LASSYが来た時にサインをもらったのも何かの因果。
あの時、須永辰緒さんにDJを頼まれたが、荷が重いので、レコードと一緒に猿も回して、ユッカ・エスコラ御一行様を驚かしたのも昨日のことのよう。インド人もびっくりよろしくフィンランド人をびっくりさせた。
そんなふざけたブログも足かけ10年で1300回の投稿を数えた。
このブログをきっかけに、静岡のサスケくんと知り合い、結婚パーティーにも立ち合い、その付き合いはいまでも続いている。
ラーヤンなんていきなり宇都宮に来て、レコード屋経由で会いたいと押しかけてきた(笑)。宇ち多“でばったり会ったり。
マイメン★野さんとはリサイクルショップとかで間違われたり。
掘ったレコードも数千枚になっているはず。数えてないけど。
振り返ると、結構レア盤掘っていたり、クズいっぱい抜いていたり。
これだけ毎日のように抜いていると、ミラクルも何度か。
亀岡八幡宮の骨董市に行ったら、2組のおじいさんしか出店しておらず、レコードもない。
ひとりのおじいさんにレコード持ってるか訪ねると、自宅兼店舗にあるという。
場所を聞くと旧馬頭町だという。
ある日、馬頭町近くのゴルフ場の帰りに、ふと骨董屋のおじいさんのことを思い出し、帰り道をきょろきょろしていると、洋服と骨董品が並ぶ用品店を見つけた。
ここがそうなのかわからなかったが、お店に入るとあのおじいさんがいた。
僕を覚えているらしく、お茶とみかんで歓待してくれた。
ひとしきり話をして、納屋の2階にあるレコードを見せてもらう。
電気のない埃臭い納屋で隙間から差し込む日光を頼りにシングル盤を掘る。
古すぎて全然僕の趣味に合わない。
おまけに値段を聞くとシングル1枚500円。見当たらないLPに至っては1枚1000円。
納屋のシングル盤を諦めて、再び用品屋の店内に。
またまたお茶をよばれながら世間話。
ふと店内を見るとひとつかみばかりのLPレコードが。
何も買わないと悪いので適当に3枚ほど購入することに。
帰りのクルマの中で、さっき買ったレコードを見るとギョッとした。
コーティングといい、刻印といい、BLUE NOTEオリジナルじゃないか!
ジャズ史に残る大傑作、Cannonball Adderley【SOMETHIN' ELSE】のオリジナルだった。
あるジャズハウスのブルー・ノートコレクションを須永辰緒さんに譲ってもいいと、タツオさんが掘った結果、1枚も購入しなかった。全部再発でオリジナルは1枚もなかったと。横浜や神戸など外国人が大勢いた港町であれば、ブルー・ノートのオリジナルも輸入されて現存してもいいが、栃木の田舎町で、その中でもド田舎の馬頭町でオリジナルが掘れたなんてまた奇跡。
そんな夢を見続けていても、吉田美奈子「恋は流星」は抜けない。
でも、まだまだ可能性があるんじゃないかと夢を見たとて、全然抜けない。
でも、足がリサイクルショップに向いてしまう。
BOB FROM L.A.くんが「ハードオフやめた」と言っていたが、やっぱみんなやめない。
何かあるはずだと、信じてみんな掘っている。
雨の日も
風の日も
暑い日も
寒い日も
給料日も
金なくても
そんな病人のブログが11月18日に閉鎖される。
開設した時のA氏との約束で、gooblogがなくなるまで続けるというクライアント命令はこれにて解除。
やっとやめられる。
って思い、自分のブログを見返してみると、思い出の詰まったレコード人生劇場であった。
国内出張や海外旅行で掘った思い出など消し去るには惜しい思い出ばかり。
また、続けて欲しいとの声も届けられるので、また続けることに。
アメブロに引越しします。
そんなご報告でした。
NTTレゾナントとBeacon(ビーコン)を活用した観光情報アプリ「日光ガイド powered by goo」をリリース。日光東照宮や日光山輪王寺、日光二荒山神社ほか多数の世界遺産をスマホアプリで多言語解説し、急増する外国人観光客に対応していくというもの。
僕のミッションは、2社1寺と交渉して、世界遺産や国宝、重要文化財に指定されている建物や仏像にビーコンを仕込み、解説原稿を作ること。
NTTレゾナントA氏と頻繁に日光を訪れ、仕事終わりによく呑みに行っていた。
A氏より僕の会話の面白さと、僕が連れてく飲み屋や飲食店のクオリティが高いことから、自社のgooblogでブログをスタートしてほしいと何度も頼まれた。
どこで何を食ったかなんてだれでもやってるブログなんて全く興味ないし、めんどくさいのでその都度断っていた。
ある日、いつものように二人で飲んでいると、ふとした話の流れで「クライアント命令でもブログやらない?」と言われ、広告マンとしてキラーワードを言われてしまい、渋々受け入れることに。
「栃木のグルメブロガーとしてどんなジャンルで?」なんて言われても、やるんだったらオリジネーターとして誰もやっていないコンセプトとコンテンツをと考え、毎日のように掘り続けていたレコードを、どこで何を買ったか覚えるために備忘録としてグログを描くことに。
手掘りのレコードにこだわり、レコードが抜けないと更新しない、ネット通販のレコードも更新しない、言わばレコード掘りの実況中継を垂れ流ししたわけ。
真の掘り師 KING OF DIGGIN MURO氏に敬意を払い、勤務中に掘ることが多かったので、KINMU OF DIGGINと命名。単なる駄洒落とパクリなんだけど。
改めて書きますが、学生時代よりクラッシュ・ポッセの頃から観ていたし、クラスメートのMAZZのライブに付き合わされ、都内のクラブに出かけた。MURO氏をレコ屋でもよく見かけたし、MAZZのアルバムの録音帰りなのか、MAZZ、MURO、BOYKANE3人と渋谷でばったりとか、僕の学生時代の思い出の一部として色濃く残っている。同様にDJ DOC.HOLIDAY須永辰緒さんと今でも仲がいいのはそんないきさつもあって。MISIAの「つつみ込むように」でのMUROのラップは、日本語ラップここに極まれりと涙出そうになるくらい感動したもの。おちょくっているわけでは断じてないってこと。
記念すべきはじめてのグログは2025年11月15日、ハードオフ西那須野店でTIMO LASSYやIDEA6とかクラブジャズを5枚ほど抜いた時。
この時掘ったTIMO LASSYのレコードに、宇都宮にTIMO LASSYが来た時にサインをもらったのも何かの因果。
あの時、須永辰緒さんにDJを頼まれたが、荷が重いので、レコードと一緒に猿も回して、ユッカ・エスコラ御一行様を驚かしたのも昨日のことのよう。インド人もびっくりよろしくフィンランド人をびっくりさせた。
そんなふざけたブログも足かけ10年で1300回の投稿を数えた。
このブログをきっかけに、静岡のサスケくんと知り合い、結婚パーティーにも立ち合い、その付き合いはいまでも続いている。
ラーヤンなんていきなり宇都宮に来て、レコード屋経由で会いたいと押しかけてきた(笑)。宇ち多“でばったり会ったり。
マイメン★野さんとはリサイクルショップとかで間違われたり。
掘ったレコードも数千枚になっているはず。数えてないけど。
振り返ると、結構レア盤掘っていたり、クズいっぱい抜いていたり。
これだけ毎日のように抜いていると、ミラクルも何度か。
亀岡八幡宮の骨董市に行ったら、2組のおじいさんしか出店しておらず、レコードもない。
ひとりのおじいさんにレコード持ってるか訪ねると、自宅兼店舗にあるという。
場所を聞くと旧馬頭町だという。
ある日、馬頭町近くのゴルフ場の帰りに、ふと骨董屋のおじいさんのことを思い出し、帰り道をきょろきょろしていると、洋服と骨董品が並ぶ用品店を見つけた。
ここがそうなのかわからなかったが、お店に入るとあのおじいさんがいた。
僕を覚えているらしく、お茶とみかんで歓待してくれた。
ひとしきり話をして、納屋の2階にあるレコードを見せてもらう。
電気のない埃臭い納屋で隙間から差し込む日光を頼りにシングル盤を掘る。
古すぎて全然僕の趣味に合わない。
おまけに値段を聞くとシングル1枚500円。見当たらないLPに至っては1枚1000円。
納屋のシングル盤を諦めて、再び用品屋の店内に。
またまたお茶をよばれながら世間話。
ふと店内を見るとひとつかみばかりのLPレコードが。
何も買わないと悪いので適当に3枚ほど購入することに。
帰りのクルマの中で、さっき買ったレコードを見るとギョッとした。
コーティングといい、刻印といい、BLUE NOTEオリジナルじゃないか!
ジャズ史に残る大傑作、Cannonball Adderley【SOMETHIN' ELSE】のオリジナルだった。
あるジャズハウスのブルー・ノートコレクションを須永辰緒さんに譲ってもいいと、タツオさんが掘った結果、1枚も購入しなかった。全部再発でオリジナルは1枚もなかったと。横浜や神戸など外国人が大勢いた港町であれば、ブルー・ノートのオリジナルも輸入されて現存してもいいが、栃木の田舎町で、その中でもド田舎の馬頭町でオリジナルが掘れたなんてまた奇跡。
そんな夢を見続けていても、吉田美奈子「恋は流星」は抜けない。
でも、まだまだ可能性があるんじゃないかと夢を見たとて、全然抜けない。
でも、足がリサイクルショップに向いてしまう。
BOB FROM L.A.くんが「ハードオフやめた」と言っていたが、やっぱみんなやめない。
何かあるはずだと、信じてみんな掘っている。
雨の日も
風の日も
暑い日も
寒い日も
給料日も
金なくても
そんな病人のブログが11月18日に閉鎖される。
開設した時のA氏との約束で、gooblogがなくなるまで続けるというクライアント命令はこれにて解除。
やっとやめられる。
って思い、自分のブログを見返してみると、思い出の詰まったレコード人生劇場であった。
国内出張や海外旅行で掘った思い出など消し去るには惜しい思い出ばかり。
また、続けて欲しいとの声も届けられるので、また続けることに。
アメブロに引越しします。
そんなご報告でした。