釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:世界遺産と糞尿譚

2013-06-26 09:31:01 | その他の雑談
富士山とその周りのモノが世界遺産に登録されたそうである。

其の当事者達では喜ぶ人もあれば心配する人もある・・・なんてことをテレビの報道番組で言っていた。

私は静岡県生まれだから富士山には馴染みがあり、中高生の頃、朝、通学駅から富士山がよく見えた。なるほど綺麗な山だった。しかし私は登山した経験はない。遠くから其の美麗な姿を眺めていただけだ。

以下の話も随分昔みたテレビの報道番組だが、当時も富士山登山者は相当の数だったようで、登山道には登山者達が鈴なりに歩いている映像が映されたものだ。

この番組でのテーマは、この膨大な数の登山者達による富士山での『落としモノ』、ハッキリ言えば膨大の量の糞尿の始末についてであった。

この番組では、この始末はボランティアの若者達がやっているとのことだった。

彼らは肥え桶を天秤棒の前後に釣るし (今や全く見かけなくなくなったが、昭和20年代の前期でも、お百姓さんは此れを担(かつ)いでいたものだった) その前後の桶に登山者達の糞尿を満たし、険しい登山道を歩いて下山し、然るべき処へ捨てていたそうだ。

呑気な物見遊山の登山者達の膨大な糞尿の始末という、文字通りの『尻ぬぐい』をボランティアとして無償で実行している若者達を紹介した番組であった。

何事においても、そうだろうが、『美麗』な表面の裏には『醜態』も存在するのであって、その『醜態』を、私を含めてのことだが、人々は忘れがちであるし又眼を避けがちである。

余談だが或る人が言うことに、如何なる美人でも、その美人が『落しもの』をしている姿を想像すると幻滅するそうだ。

思えば、糞尿・糞尿と、人は汚いものの代表のように嫌うが、実際のところ己の腹には其の糞尿が毎日生産しているのだから、それを忌み嫌うというのは「おかど違い」ではあろう。

***
 
富士山の世界登録を聞いて私は昔みたテレビの糞尿譚を思い出すのであった。

ところで、最近は、この登山者達の膨大な量の『尻ぬぐい』はどのように処理しているのであろうか? 

まさか、今でもボランティアの若者達が、それを肥え桶に入れて天秤棒で担いで下山して処理しているのではあるまい。