釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

84.『山深く こもりて響き風の音・・・』

2013-06-21 10:50:06 | 釋超空の短歌
『山深く こもりて響き風の音。夜の久しさを堪えなんと思ふ。』
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私は毎朝、散歩をしている。以前より私は、めっきり元気がなくなって歩く歩数もだいぶ減ってしまった。ここ10年程其の散歩を続けているのだが、ときどき出会う犬が三匹居た。

その一匹は飼い犬らしいが、いつも道をウロウロと、ほっつき歩いていた。車が通る道なので危ないなと思いつつ私は其の犬を横目に散歩を続けた。人懐こそうな愛嬌のある顔の犬であった。

二匹目の犬は、飼い主のお嬢さんらしき人が其の犬にリードをつけて、私の散歩の行先である公園の周りを、いつも、ゆっくりと其の犬と散歩していた。

其の犬は後ろ左脚が少し不自由で (おそらく生まれつきの軽い障害だろうが) ビッコをしながら歩いていた。しかし其の犬は其の散歩が嬉しそうであった。

私は此のお嬢さんは心優しい人に違いないと思いつつ、出会ったときは私は黙って軽い会釈したものだ。

これらの二匹の犬は柴犬だが、セントバーナードを連れた50歳代と思われる人とも、よく出会った。この犬は最初出会った頃から、かなりの成犬だったが、ここ数年その老衰ぶりが目につくようになっていた。 

私も20年近く犬と過ごした経験があるので、犬が如何にして老いていくかを知っている。

このセントバーナードも恐らく幼少の頃から可愛がられて育ったのだろう。しかし今や老衰して歩くのも、しんどそうであったが、この犬を連れていた人は、この犬の歩調に合わせていた。其の人は気長に犬が歩きだすのを待っていた。そのようなとき、其の犬の若き頃の跳ね回る元気の姿を思いだしたりしていたのだろう。私がそうであったように。
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ここ数か月、これらの三匹の犬の姿を私は全く見かけなくなった。
いずれも、通りすがりの名前も知らぬ犬たちばかりである。

私は、いちまつの寂しさを感じざるを得ない。