釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

78.風の音しづかになりぬ・・・

2013-01-03 14:29:07 | 釋超空の短歌
『風の音しづかになりぬ。夜の二時に 起き出でゝ思ふ。われは死ぬなずよ』
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今から、そう、40年以上も前になるか、ラジオから聞こえてきたものだ。
ウクレレ漫談のまき・しんじ(←字忘れたヨ)が例の声でヤッてたよ。

♪みずはら ひろし は 低音の魅力
♪ふらんく ながい も 低音の魅力
♪まぁーき しんじは は テイノー(低能)の魅力

♪あ~あ、やなんちゃったぁ おどろいたぁぁぁ~
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私は、昔より、どういうわけか、この歌?がすきだった。

数年前だったか、まき しんじ がテレビに出た。
私は驚いた。なんと老けたことかと!!

私は、この漫談家が全盛の頃(昭和40年頃かな)、
若い彼をテレビで見て知っているからだ。
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彼は今も健在だろうか。
若い頃を私が知っている人たちが次々と亡くなっていくように
私には感ぜられる。
時間というものの早さと、その残酷さを思わずにはいられない。

私の部屋の窓から雲一つない青い空が見える。

雑談:『みるい』という方言

2013-01-03 14:06:53 | その他の雑談
私は遠州の片田舎に生まれた。
この地方に『みるい』という方言がある。
この方言に関して、ちょっと良い話があるので紹介しよう。
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もう随分昔のことです。私が故郷を離れてから、だいぶ過ぎていた頃ですから、昭和四十年あたりだと思います。その頃の或る日、私は何気なくラジオを聞いていました。
『敗戦前後の忘れ得ぬ体験談』という趣旨の番組でした。その番組で、在る女性が『みるい』の体験談を話始めたのです。そのラジオ番組を、ボンヤリと聞いていた私は、思わず聞きいりました。上記したように『みるい』とは我が故郷の方言だったからです。その女性の方の体験とは以下のようなものでした。
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あの敗戦直後、この女性が、幼い子を連れて、静岡県の田舎に疎開してきたそうです。どういう理由で、その田舎に疎開してきたかは覚えていませんが、ともかく、この若い母親とその幼い子が、見も知らない土地にやって来た。来たものの、見知らぬ土地故、道端で途方にくれていたそうです。当時のことですから食糧難はあたりまえのことで、この親子も、その例外ではなかった。腹を空かしている我が子を連れての見知らぬ土地への疎開ですから、随分と心細かったそうです。

そんなわけで道端で途方にくれていたとき、その土地の人らしい、お婆さんが、ふと通りかかった。そのお婆さんは、その若い母親と幼子の事情を察したのでしょう。幼い子に近寄り、なにがしかの食べ物( おそらく饅頭か何かだったんでしょう )を差し出したそうです。そして、こう言ったそうです。『まだ みるいんだからねぇ』と。そう言って立ち去ったそうです。

その女のかたは、都会育ちでしたから、この『みるい』という言葉は知らなかった。しかし、そのとき、その言葉の意味を彼女は真に理解できたそうです。
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勿論、私は『みるい』という言葉の意味を知っています。標準語に直せば『未熟』という意味になるでしょう。しかし、この『みるい』には、単に『未熟』だけではないニュアンスがあります。このお婆さんが使った『まだ みるいんだからね』の『みるい』には、『まだ成熟しきれていない者に対する慈しみ』とも言えるニュアンスがあります。 この若い母親は、此の知らない方言に、このニュアンスを感知し、この『みるい』という言葉が忘れられず、『いつか、お会いして、あのときのお礼を言いたい。』と語っていました。
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方言というものは、いわゆる標準語では表現しきれない、微妙さ・繊細さが、ニュアンスとして言葉の奥に沁みこんでいるものです。現在、全国津々浦々、標準語がゆきわたったことは勿論良いことです。しかし、是非、残しておきたい方言も全国津々浦々に在るに違いない。言葉(方言)というものは、それが使われる人たちの実生活に密着した大事な文化財と言っても過言ではないでしょう。その一つの例が、若い母親が耳にした『みるい』だったのです。『みるい』だからこそ、彼女は、その言葉が忘れられなかったのでしょう。

雑談:ゲーテの言葉

2013-01-03 13:31:46 | その他の雑談
森鴎外の『妄想』というエッセーに、ゲーテの言葉が引用されている。ドイツ語がドイツ人より達者と言われた鴎外であるから鴎外自身の日本語訳だろう。

『いかにして、人は己を知ることを得(う)べきか。省察をもってしては決して能(あた)わざらん。されど行為をもってもってしてはあるいはよくせん。汝の義務を果たさんと試みよ。やがては汝の価値を知らん。汝の義務とは何ぞ。日の要求なり。』

鴎外は『妄想』で、自らの精神史を省みて、自らの死についての思いを語っている。
この『妄想』は鴎外が49歳のとき書かれていて、60歳で亡くなっている。だから鴎外の晩年の言わば独白と言ってよいだろう。

この『妄想』で、鴎外は既に『死を怖れもせず、死にあこがれもせず、自分は人生の下り坂を下って行く。』と書き、更に『その下り果てたところが死だいうことを知っている。』と言い切っている。

そして、死が『自我』の消滅ならば、『西洋人の言う自我』を鴎外が理解出来ないことに対して『残念だと思うと同時に、痛切に心の空虚を感ずる。なんともかともいわれのない寂しさを覚える。』と書いている。

こういう文脈の中で、上記のゲーテの言葉が『妄想』で引用されている。

今日においては鴎外の感じていた『痛切な空虚さ』を理解するのは大変難しいことだと思う。歴史的にもそうだし、知的深度においても、今日の我々凡人たちには、鴎外の孤独がいかばかりのものであったかは先ず理解できないだろうと私は思う。

上記のゲーテの言葉引用の直後に鴎外は以下のように書いている。

『日の要求を義務として、それを果たして行く。これはちょうど現在の事実をないがしろにする反対であろう。自分はどうしてそういう境地に身をおくことをことができないのだろう。』と。

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ここから、私は鴎外の『妄想』から離れてゲーテの言葉を考えてみる。
『汝の義務とは何ぞ。日の要求なり。』を考えてみる。
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私の部屋の窓から隣接した農家の畑がよく見える。私は、時々、その農家の人たちが畑仕事をしているのを見かける。時には暑い日も、あるいは寒い日も、その人たちは黙々として畑仕事をしている。そういう姿を見ていると、ゲーテの言葉が身にしみて理解できるような気がしてくる。この人たちは、まさに『汝の義務を果た』しているのであり、それのみが、この人たちの『日の要求』であって、断じて『省察』などではなく、『行為』以外のなにものでもない。この人たちは己を知っているのだ。

私はどうか? 労働とは、およそ無縁な、又、省察とは更に無縁なPC遊びに呆けている。要するに私はゲーテの言う『行為』とは、およそ無縁な生活をしている。つまり『日の要求』が私は皆無であり、従って『汝の義務』も果たしていない。果たすべき『日の要求』が根本から間違っているのだ。己を知り得ないのは当然といえる。今更言つてもせんないことである。しかしながら鴎外とは桁違いの次元の低さの私の『空虚さ』ではある。
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『いかにして、人は己を知ることを得(う)べきか。省察をもってしては決して能(あた)わざらん。されど行為をもってもってしてはあるいはよくせん。汝の義務を果たさんと試みよ。やがては汝の価値を知らん。汝の義務とは何ぞ。日の要求なり。』