碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

人を喰った話2

2007-09-01 20:43:30 | 日記風雑感
今は亡き開高健著「最後の晩餐」より

これはもう、食肉工業と言いたいような
発達ぶりである。数百の臼をならべ、良民を
生きながら砕き、碾き臼でひいて骨ごと食べたと
いうのである。カルシウム分の多い、ちょっと
ザラザラ歯ごたえのあるタルタルステーキかハンバーグ
というところ。しかも、この賊を討伐に出かけたはずの
官軍がおなじように良民をとらえ、それを賊軍に
売りつけて金に替えていたという。このあたりの
中国史を読むと常識や感情移入による類推という
通常の作業では、どうにもならず、ただただ、
眼をこすり漢字を読みたどるしかない。
何しろ篭城して糧食がなくなると、ときたま城外に
打って出て敵兵をとらえてきて食べるというほかに、
味方もとらえて食べることがよくあったという
のだから、唸るしかない。人肉の食べ方も
さまざまである、炙はあぶり焼、蒸は蒸し物、
セキ(肉月に昔と書く)は乾肉、エン(酒編に塩のつくり)
は酒漬けや塩辛、羹はシチュー風のあつもの和骨燗は
骨と肉を一緒に焼いて食べるというのだから、
骨付きリブステーキかTボーンステーキのようなものか。
また生きたまま火あぶりにする。袋に入れて鍋で煮る。
手足を縛っておいてそこへ熱湯をかけて皮膚をずるずるに
したうえ、竹箒でその皮膚を引っかいてきれいにするとか、
通行人を捕まえていえのなかに引っ張り込んで肉饅頭に
しちまうとか。時代を追うに従って複雑になり精妙になり、
手がこんでくる。
中略
高位者がおそらく美食に飽いて喫人をやるという例の最も
有名な最初の例は、斉の桓公がコックの易牙に人肉だけは
まだ食べてないよと訴えたのがそれであろう。易牙はそこで
息子を蒸しものにして捧呈するわけだが、
以前に書いておいたように、。中国史で奇怪というか、
方手落ちというか、そこが中国的なんだというべきなのか、
易牙を非難する奴はいても、それをそそのかした桓公を
非難する奴がいないという事実がある。しかし食欲とか、
味覚とか料理という
ものは、それ自体の質と量の魅惑と同時にまぎれもなく
想像力抜きでは有り得ないものなのだという特質がある。
したがって、谷崎潤一郎が”日本回帰”を起す以前の
時期に中国旅行で得た圧倒的な経験から全身的、
全心的な官能を傾注して書いた「美食倶楽部」に見るように
とことん探求をつずければ当然のことながら、
喫人をやってみたいということになろう。
この執念と探究心を抱く者は、地上に国籍を
もたぬものである。皇帝であれ、大臣であれ、
盗賊であれその心性はアナキストのそれである。
もっとも古典的な定義と用語においての無政府主義者である。
かつての孫文は中国人を、盆のうえにばらまかれた
一握りの砂だと呼んだことがあるが、・・・
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