碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

入学式のこころ上野千鶴子

2019-04-15 11:01:17 | 日記風雑感

東京大学の入学式のニュースを見ました。祝辞を述べていたのが、上野千鶴子氏でした。今や女性学の御大です。昔、彼女の著作をよんで、結構面白かったのを記憶しています。女性学という学問が世の常識(男性的な常識)を引っ剥がしてみせてくれた。それこそ目の鱗が落ちたような新鮮な認識を与えてくれた。単に表面的な女性差別を糾弾するだけではなく、思想的な深さを感じておりました。つまりケンカの仕方を知っているのです。最先端は常に異端です。時代が時代なら、魔女狩りで火あぶりの刑になっている。今もその傾向がないわけではないが、こんなことをいうと誤解されるかもしれないが、全共闘世代のおっさんが保守化せざるを得なかったなかで、最後?の闘志を見せてくれる人です。さらに言うなら、全共闘世代の知的遺産の一つであると思うわけです。これからは、人口減少という「女性のNO」の意味が経済的レベルで大きな影響をもってきます。政府はあわてて移民政策に舵をきったが、「お金の問題じゃないのよ」という声が聞こえてくる。女性が働く社会はどう変わっていくのか、単に労働力として見ている政府の認識ではうまくいかない、女性の最大の武器である出産は国家がコントロールすることはできないのです。極端なことを言えば「出産スト」をやれば国家なんて20年でなくなるのです。国家主義者であっても其れを無視することはできないわけです。右から左まで政治家の中で上野千鶴子氏のヤバさを本当に知っているのは少ないと思っております。それは、既存の政治的な言語(保守とリベラル)で語ることができないからです。昔なら保守革新という言い方ですが、性の問題を政治の言語だけで語ろうとすることが不毛であるということです。ましてや、単に政治的な党派の利害だけで語れば、大きな誤りを生むことになる。慰安婦問題がこじれるのは、政治的な問題として語る限り解決はないのです。それは韓国の支援団体の政治的思考を容認する韓国政府と日本の政府の争いになって、本質的な部分はとうになくなってしまっていて、女性の人権と口にするけどそれを口実にして階級闘争、もっと言うならスターリニズム型の運動を民族主義的に展開しているわけで、方や日本の政府は、これ幸いにとナショナリズムをあおって、政治的な利益を得たいと思っているので、お互い出来レースをやっているのです。それでまじめな日本のおっさんは韓国はけしからんとか思うのです。一度女性の眼で見てみるとどうなのよという発想がない。そんなことは意識の中には全く出てこないのです。それこそが重大な女性差別であるということに気付いていないのですね。東大で入学式に上野千鶴子氏が祝辞を述べるということが、まだ日本の民主主義を保障していると言えるかもしれないが、上野千鶴子氏を取りこまねばならなくなった情況になってきたということかもしれません。アジアの視点から見れば、女性学はどう評価されるかわかりませんが、西洋の近代以降の思想的な系譜を受け継いでいる最先端の異端としてしか見られないのでしょうか。タイのオカマのお姉さんたちはどう考えているのかね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ソンクラーンの日々 | トップ | ボランティア事始め »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記風雑感」カテゴリの最新記事