碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

暗い日曜日

2022-01-21 21:46:00 | 日記風雑感

何年ぶりかの冬のくらしで、ウイルスの悪風と陰鬱なる日々の低音共鳴にいささかの煩悶を感じて窓の外を見るが、それがどうしたとばかり、相変わらずの鉛色の空に覆われている。ダミアの『暗い日曜日』というシャンソンが頭の中でかすかに聞こえ始める。そう暗いのだ。暗い北国の街、なにかしなければこの暗さに取り込まれていくような気に陥っていく。この近くの小さな港町に生まれた淺川マキの暗さも同じ色だ。彼女も『暗い日曜日』を唄ってた自分の訳詩でね。そして出て行った。自分の故郷におさらばして行ったが彼女は暗さを道ずれにしていく決意をしていたと思う。そんなこんなで、ワシもこの街から足を洗って国外へ出たからよくわかる。この街の無意識には暗さがある。それはほの暗いいわば安逸を誘うような陰なのだが、これが曲者なのだとわかる人は少ない。いつの間にか同じ陰色に溶かされていく暗さに気づかないのだろうか。というわけでこの暗い季節に最も暗いところはこの街のどこだろうかと考えてみたわけです。その場所へ行ってみようじゃないかと。毒食わば皿までもというし、虎穴にいらずんば虎子を得ずともいうし、千里の道も一歩から、づらかるときは半歩から ネズミ小僧よろしく ワシは行くけんね。暗黒の街で暗黒を体験しようじゃないか、真っ暗になってやろうじゃないか。淺川マキも歌ってる「私の頭は真っ暗くら~♪」と。頭の針が振れたのだ。おりしも覚悟をきめて行った病院から暗い通告を受けることがなかったので、まだろうそくの火は燃えているらしいから、いいじゃないか、この際その光を振りまこうじゃないかと・・・その前に暗い話はまた横道にいくけど、あの森田童子が2018年に亡くなっていたのだそうだ。68歳でした。そして彼女は作詞家の なかにし礼の姪であったとは、しかも同居していたと言うことは娘みたいなもんですね、知らなかった。そんなこと聞いてないぞワシは、「僕たちの失敗」は失恋の歌ですが、その実様々な失敗や挫折を言外に語っていたと思う。<変わらない僕たちが居た 悪い夢のように 時がなぜていく・・>しびれましたねこの文句。ついでにあのころの暗い系の歌で印象に残っているのは黛ジュンの「雲に乗りたい」ですね。曲自体はメジャーっぽくせめてるが歌詞は自殺願望ですね。これを小菅の刑務所のなかで聞いたら涙が出たとある人が言ってました。暗い系で残っている歌手はすくなくなったね。あとは山本リンダぐらいか?・・もとい、横道、枝道、分かれ道が好きなんで話がまとまらないのですが、ここからは夜咄をするつもりで、夜咄といっても夜にやる落語じゃありません。寒い夜に開く茶席のことです。「夜ばなしや手水の音もなかりけり」手水の水が凍って音も立てないくらいしんとした寒い夜に寄り集まって暗い茶室で温まろうという嗜好なんで、間違っても「夜ばなしや手水の音ももれにけり」なんていうじゃない

 ワシは考えたね、ない知恵を絞って、この街のどこが暗い場所かそれを考えるだけで1週間はかかった。そして八日目には半分あきらめた。けど十日目にひらめいたんですわ。これは宿神(シャグジ)のお告げかもしれない。それを今からお話しようかという段取りでして、テレビとラジオは消してくださいね。猫はいてもいいけど犬はつないでおいてくださいよ。ようござんすか。・・今回はある坂道の話しなんです。その名を<暗がり坂>というのですが、地元の人ならよく知っているという場所ですが、この坂がなぜ暗いのかというと単に日当たりが悪いからだけではないのです。それについてははっきりした言われはないというのですが、そうではないとワシは考えた。独断と偏見を持って考えた。地元の木倉屋の亡くなったご隠居爺さんに聞くのを忘れましたが、さしおいてなんですけど、なぜ暗いのかといえば、その理由のヒントは上にある神社なんです。「久保市乙剣宮」(くぼいちおとつるぎぐう)という神社があって、スサノオノミコトを祭ってある。名前から判断すればこの社のあたりで市が立っていてその守り神であったのだろうと察しがつくのですが、その社(やしろ)の裏側にこの坂がある。

  

ということは、この神社の後戸に連なる道なんですね。この後戸(うしろと)という場所がいささか引っかかる訳でして、ここは社の裏側ですつまり神様が示現している本堂の裏である空間は何を意味するのか、その場所はスサノオノミコトが示現した裏側という象徴性がある場所であり、その空間から神々が生まれ現われてきたというふうに考えるわけです。つまり後戸という概念はスサノオ以前の「日本書紀」や「古事記」以前の空間としてあり、したがって日本国家が生まれる以前に通じる概念空間が後戸という場所です。そこには1万年続いたといわれる縄文弥生時代の神がいたわけで、その神を宿神(シャグジ)というのです。これは柳田國男の説なんですが、この宿神は自然神ですから、精霊といってもいいのですが、時に荒ぶり時に恵みをもたらす力を持っている。その力に神性を感じていた古代の人々が、自分たちの村の回りにつまり異界との境に、祠を建てたり神の象徴をおいたであろう名残が、道祖神や宿神(シャグジ)としてその痕跡を残したというのです。ヤマトの王権はその神性を取り込んでこそ成立することができたのです。中沢新一氏の『精霊の王』によれば<スサノオ神話には国家が生まれる前の状態では、「超越的主権」のあり場所は、自然の内部にあったと語られている。人間の少女の人身御供を要求する、ヤマタノオロチという巨大な大蛇がそのことを表現している。この大蛇を倒すのがスサノオという英雄なのだが、この英雄は天上の神々の世界にいたときには、まるでその世界にとってのヤマタノオロチのように凶暴な存在だった。スサノオはこの性格をもつことで、自然の領域深く入り込んでいく資格を持ったわけである。スサノオは大蛇と戦って倒し、その胎内から王権の象徴である剣を取り出して、土地神の娘と結婚して、地上の王権の基礎を打ち立てたのである。>長い引用で恐縮ですが、ここでヤマト国以前に目を向けることが重要です。この国の天皇制と言うものが持っている二重性に気がつくはずです。我々は見える部分の国家しか議論しないけど、闇の部分にこそ国家の本質的な機能というか権力というものがあるということに気づくだろう。多くの人はその闇を自覚していないのは古代の神が「古事記」「日本書紀」の神々によって隠されてしまったからです。河岸段丘の上にあるこの社(やしろ)の後戸から浅野川へ下る細い道が「暗がり坂」です。坂(サカ)とは境界を暗示しております。サカイ、サク、サケ(メ)サカ(サマ)ソコ スク シュクこれらのサ行とカ行の組み合わせは境界や分離や非連続を現しているのですが、後戸から異界へ下る道こそ「暗がり坂」なのです。河原とはもっとも低い場所でありその下は地中の世界つまり死の世界です。昔は芸人のことを河原者と言っていた。河原者は異界への案内人なんです。日常では見られない技をみせてたとえわずかな時間であろうと現実から飛躍した世界へ連れて行くことができる。その間だけは芸人が主人です。見物人はその僕(しもべ)になるサカサマになる。象徴的なのは「能」です。その中でも「翁」こそ、いまだに原日本の神である宿神(シャグジ)を表現していると言われている。石神(シャクジ)御宿神(ミシャクジ)御左口神(オサクジン)社宮司(シャグシ)社護神(シャゴジ)などの名前で呼ばれるその神々はサ行とカ行から成っている。芸人たちは「ソコ」や「スク」や「シュク」の人々と呼ばれた。彼らの守護神自身も「シュク神」とよばれたのではないかと言うのです。というわけで天皇制国家としては暗闇に押しとどめておきたい神々への参詣路として「暗がり坂」があるわけですね。これに連想するのがギリシャ神話のオルフェウスの話しです。地獄へ通じる洞窟から姫を救い出す話しがちょっと頭によぎります。と言うのも坂下にはもと花街があって秘めたる姫がいるんですわ。そろそろお湯も沸きまして、一息入れて次の話しに参りたいと思います。準備のてまえ、ひとまずお引きとりをお願いいたします。

坂を下れば現代の異界です。あたりは三味線の音が聞こえる茶屋街です。つまり昔の遊郭なんですね。

 

 

 

 

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