碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

キノシタさん

2017-02-10 12:06:26 | 日記風雑感
チェンマイの生活も2年目になりますが、日常は大学との行き帰りで、ほとんど普段の狭い生活範囲の中に暮らしている。日本にいても別段社会活動をするわけでもなく変わらないとは思いますが、「外ごもり」に近い状態ではないかと感じています。チェンマイで暮らす年配の人々にとっては多かれ少なかれそういう傾向がある。別に意識しているわけではないが、人のつながりが少なくなってくると、外から見るとそういう風に見られる。人嫌いではないけど、年をとると、強制される人付き合いは勘弁願いたいと思うのが本音です。ワシは「外ごもり」することが正常というか、普通であって、歳とってまでしゃしゃり出る人の気が知れんのです。

70過ぎて大統領になる奴はちょっと狂気じみている。アメリカはもともとイギリスにいられなくなった者たちが逃げてきた、いわば異端、いわば難民、いわば亡命者、、アウトサイダー・アウトロー達が造った国です。言葉が悪いけど西洋文明のゴミ捨て場だった。本家に対するアンビバレンツな思いは、時々、モンロー主義的な一国主義になったり、反対におせっかいな世界国家を標ぼうしたりするが、その裏にあるのは、プラグマティズム?あるいはニヒリズム?どちらにしても、21世紀になって、一周遅れのファシズムに火をつけるのは勘弁してほしいね。西洋の思想的な根源には砂漠の宗教で洗脳されたせいで、「自然」という概念が希薄で、抽象的な絶対性、論理性に重きを置く傾向がある、あそびがない、粋でない、足らざるを知らない。神には限界性がないから、いつまでたっても、自己中から抜け出せない、そして戦争が唯一の自己解放に思えてくる。ニヒリズムよりファシズムの興奮を、味気ない日常より戦いのロマンを・・・そのような狂気を内包しているアメリカの白人達の支持を受けるトランプです。狂人のまねをしてみせるのも狂人です。どこの国にもこの手の人々はいます。いっそ、世界ファシズム会議とか世界ニヒリズム会議とか開いて、そういう人々一同に会するといいのではないかと考えたりします。みんなニヒルに微笑んで会議は進まないかもしれませんが・・

アメリカ代表  俺のうちに勝手に入ってきて金もうけすんなよな
メキシコ代表  誰のおかげ食わしてもらってる、仕事できねえくせに
アメリカ    便所掃除しかできねえのにでかい口たたくな
メキシコ    おまえら麻薬おぼれる能無しが
アメリカ    ドブネズミめ、俺たちのクソを舐めるのも終わりだぜ
        これからは檻の向こうで、屁の匂いでもかいてな
メキシコ    薬が切れたら、おめえもおだぶつさ
アメリカ    あいにくだな、中国と話をつければ薬はいくらでもはいる
        島一つで100年ぶんはあるぜ
中国代表    沖縄と交換、考えてやってもいい、ついでにハワイもらうある
日本代表    強固な日米安保を前提に未来志向でゴルフをやって、
        戦闘ではなく紛争状態は・・


噺はもどりまして、「外ごもり」万歳、ああ、あこがれの「外ごもり」やったぜベイビー「外ごもり」のはなしは世界平和の核心的要件であり、何を書こうかもう忘れてしまったので後ほどにして、キノシタさんのはなしです。

いつも歩いて大学へ通う道はきまっていて、週に3~4日の通学?通勤?のため、そのコースにある店やコンドーなどはすっかり、覚えてしまった。屋台の果物屋や何軒もあるあげ物屋、バイク修理の店、などの人の顔を思い出せるくらいになった。この路地を通るのは、この路地ぎわにある大きな樹が路地全体を覆って、涼しい木陰を作っているので、歩くのに都合がいいのと、その風情がとてもタイの街の魅力として感じられたからでした。タイの街にいるという実覚がとても好きで、大学がなくても歩きたいくらいの通りなんです。初めてこの通りに来たのは、チェンマイに来て、住むところを探して歩いた最初の日でした。近くの学生寮のような建物に間違えて入って、部屋を見せてくれと頼んだのですが、もちろん断られて、代わりにどこかいいところがないか尋ねたたら、ビッグツリーの近くにコンドーやアパートがあるというわけです。炎天下にそのビッグツリーの場所へ歩いて行くと、なるほど道路沿いに何本かある大きな樹の枝がいっぱいに広がって、木陰のトンネルのようになった路地の風情は、オアシスに思えるくらいでした。その時のビッグツリーという言葉に感動したのを覚えています。そのビッグツリーの木陰に吸い寄せられるように何軒かの屋台が集まってきて商売をしている。その一軒に1m四方ぐらいの小さなテーブルに果物を置いている屋台があり、通るときに買い物をするようになった。店主は元気のいい小柄なおばちゃんで大きなつばのある帽子をかぶり、少しの英語を話した。それで、少しずつ会話をするようになった。
「あんた、毎朝ここ通るけどどこへいくの」
「チェンマイ大学」そういうとおばちゃんは驚いた様子で
「アジャーンかい」
「いや、教授ではない、でもみんなアジャーンっていうよ」
「そう、なにしてるの」
「陶芸」
「ああ、そうですか」と納得した様子で、
「これ買わない」と言ってバナナを差し出した。
「安くして、半額にね」買う気がないので、冗談にいうと
「そりゃむりよ」
「じゃ、またね」
そんな、会話から始まった付き合いだった。ある日、バナナを一房買うことにした。学校まで持っていくには重いし、帰りに寄るからそれまで預かっておいてほしいというと、即座に意味が解ってOKという。けれど、もし帰りが遅れて、閉店する場合は、バナナはそばの樹にぶら下げておいてもらえばいいというと、それならうちの門の前にぶら下げておくと言う。おばちゃんのうちはすぐ目の前の路地を入ったところにあった。大きな飾りのついた門扉がある家だった。お金持ちの家ではないが、決して貧しい家ではなく、門の中には車の車庫もあった。そして、その日は学校の帰りが遅くなってしまって、バナナのことはすっかり忘れてしまっていた。その後何日か雨が降り、ビッグツリーの下を通らない日が続いた。足の怪我もあって、2週間ぐらい大学へは行かなかった。しばらくぶりで、ビッグツリーの下を通ると、キノシタさんがいた。おばちゃんの名前を勝手にそう呼んでいるのだが、キノシタさんは興奮気味に話を始めた。ビッグツリーのある空き地にブルトーザーが入って藪を根こそぎにして整地しているのを指しながら
「カット、カット、みんなカット」と言っていた。後ろの藪を整地するらしい、ゴミの捨て場のようになっていた空き地がきれいになるらしい。少しはきれいになればこの通りはもっと素敵になると喜んだのだが、それは浅はかな勘違いであった。三日後、そのビッグツリーの通りは変わり果てていた。樹齢100年はある大きな樹が何本も切り倒され、輪切りの丸太になっていた。涼しい木陰も、それによりそう屋台もなく、虐殺された樹木の枝と輪切りの赤い胴体が開けた空き地に横たわっていた。まさかあの樹を切り倒すなんて、考えもしなかった。怒りに近い思いがこみあげた。取り返しのつかない暴挙だ。せめて一本ぐらいは残せなかったのか。「かつて人間は樹であった」という詩人の言葉が頭をめぐった。その日、大学では仕事をする気にはなれなかった。コンビニでパンを買い大学にある大きなガジュマルの木の下で、昼飯をたべることにした。リスが登って行った。野犬が木陰に寝そべりながら、こちら伺っていた。みんな木陰が好きなのだ。そこが居場所なんだ。その日以来、キノシタさんには会っていない。先日、家の前を通ったら、門の扉にバナナの入った袋がぶら下がっていた。
















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