これは寓意といえばいいのか、兆候といえるのか、たんに芸能界のエピソードでは済まない。まして指原個人の問題ではない。若者の意識が変化している。もともと、熱い北九州の風土があるのは差し引いても、秋元路線の破たんです。彼の美意識が否定されたのは明らかで、おじさん世代のアイドル像が下からさされた。大阪の橋本といい北九州の指原といい、(象徴としてという意味で)観念的な美意識より、現実的な快楽(お笑い)に価値があるというふうな傾向が明らかになってきた。日本人の美意識は倫理性とつながっている。その表現としてのAKB48の集団性、つまり、「お互いライバルだけどみんな仲間だからね」という美しい倫理性を売りにしてきたが、ここにきて、矛盾が露呈してしまった。華麗なるパスワークでテレビ画面を埋めてきたが、なかなかゴールのエクスタシーを味わえないサポーターは、組織より個人の突破力に魅力を感じたようだ。関西と北九州の若者のえげつない貪欲さが、東京の美意識を刺した。かつて「欧米か」と言って頭をはたいていた時代はもうとっくに昔になりました。いまや「秋元か」といってさされる時代になったのかもしれない。正規と非正規に選別され、差別された若者の立場からいうと、美しい仲間意識なんて持てというほうが無理だと思う。30%に達する非正規社員のアイドルは美しい人ではなく、隣で笑わしてくれる人が必要なのだ、きっと。明日はどうなるかわからない、だったら笑う(批判)のは「今でしょ」というある意味切ない現実主義があると思う。しかし、それは「慰安婦」をもとめ正当化するような気持ちと紙一重なのではないか。個人の性欲や欲望がいけないというのではない、それを実現する方法はあえて美しくなければ意味がないと、ワシは思うのです。カッコつけるなというかもしれませんが、ただ生きればいいというものではない。「タフでなければ生きられない。やさしくなければ生きる資格がない」というと過ぎ去った時代のおっさんの寝言と聞くかもしれませんが、パンとサーカスに目を奪われないようにしたいもんです。
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