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鉄道写真の振り返り 2005年 その4

2021-02-23 | 鉄道写真の振り返り
9月、再び「土・日きっぶ」で長野旅。メインの目的地は黒部ダムだが、いつものようにちょっと寄り道。

湯田中駅に停車する長野電鉄2000系電車
湯田中駅といえば、構内配線の関係で3両編成の列車が「ミニスイッチバック」するのが特徴であった。写真後方の3両目がポイントにかかった状態で停車しているが、坂を登ってきた列車は写真の右後方からこのポイントを通過した後、ホームを写真手前側に少し行き過ぎてからいったん停まり、バックして所定の停車位置に収まるのだ。これを体験したかったのと、長野電鉄オリジナルの特急車2000系に乗っておきたかったために寄り道したのだ。
使用したきっぷは「日帰り「楓の湯」クーポン」。湯田中までの乗車券(特急も利用可)と湯田中駅に隣接した(ほぼ構内?)温泉をセットにしたお得なきっぷ。「「楓の湯」ご利用の際は、必ず入館証明印を受けてください。証明印がない場合は、帰りの乗車の際に通常の運賃との差額をいただきます。」、すなわち「風呂に入らないと割高になりますよ」という利用条件がおもしろい。

さて、その後松本から大糸線に入りわさび農場へ、そして翌日は扇沢から黒部ダムに向かう。確か今は無きトロリーバスの写真も撮ったはずなのだが・・・どうにも見つからない。悔しいので特に面白みの無いダムの写真をどうぞ。


帰りはのんびりと新宿経由で。


白馬駅で発車を待つスーパーあずさ
当初の予定では黒部ダムでゆっくり観光し、信濃大町から新宿に向かう予定であったが、あいにくの天候でダムに長居する雰囲気でもなかったため、早めに下山して信濃大町~白馬をムダに往復したのであった。
ここから新宿までおよそ3時間半。E351系のダイナミックな走りを楽しむ。


さて、この頃「土・日きっぷ」の次にお世話になったのは「周遊きっぷ」だろう。前年の北海道や山陰、この年の万博見物も周遊きっぷを利用している。周遊きっぷは、定められたエリアで特急・急行の自由席が乗り放題となる「ゾーン券」と、そこまでの運賃が割引となる「ゆき券」「かえり券」のセットであった。割と自由に行程が組めるので重宝していたのだが、2013年に廃止されてしまった。確かに、みどりの窓口に周遊きっぷを買いに行くと、かなりの確率でものすごく時間がかかり・・・駅員さんにとってはレアきっぷだったのかもしれない(個人的には、かなりわかりやすくスマートに感じていたのだが)。

ということで、10月に広島を訪れた際も、周遊きっぷ、広島・宮島ゾーンのお世話になる。

広島駅に停車する新幹線0系電車

同じく広島駅に停車する新幹線100系電車
0系も100系も短編成化&塗装変更によりオリジナルの姿では無いが、私の中では貴重な記録。

新岩国駅にて
錦帯橋を見物するために広島~新岩国の1区間だけ新幹線を利用。ゾーン券が新岩国まで使えたのだ。

新岩国では、通過する500系の写真なども撮ったが、いかんせんコンパクトカメラでは限界があり、ちょっと残念な結果に。そんなこんなもあって、次回からはデジタル一眼レフカメラが登場。

鉄道写真の振り返り 2005年 その3

2021-02-18 | 鉄道写真の振り返り
2000年代最初の10年間に最もお世話になったきっぷといえば、やはり「土・日きっぷ」だろう。JR東日本の概ね山形・宮城以南エリアと伊豆急行線、ほくほく線で新幹線・特急の自由席乗り放題(指定席も4回まで利用可)という何ともありがたいきっぷ。特に、東京をまたいで長野、伊豆方面への旅行が非常にお得に感じられ、姉妹品(?)の三連休パスとともに何度も利用した。

この年も、8月、9月と二度にわたり長野を訪れる。

8月の旅では、初日に善光寺・松代・川中島、2日目に千畳敷カール・松本城を訪れる。赤湯から臨時の始発に乗り、長野には10:20着。当時としてはびっくりするぐらい早く着く印象であったが、今は「かがやき」の利用で10:00前に着くこともできる。ただし、土・日きっぷの手軽さは無くなったけれど・・・。

長野電鉄須坂駅に留置される10系OSカー
長野電鉄オリジナルの車両で、割と新しいイメージであったが、車種の統一を図るとかでこの時既に廃車→留置となっていた模様。「須坂」の行き先表示も有り、今にも動き出しそうな雰囲気。

須坂駅で発車を待つ3500系
上記の10系が廃止となった原因となった車両?元は営団日比谷線向けの3000系で、譲渡により大量に入線+路線が縮小した結果、レア車両である10系が追い出された?今はこの3500系も引退間近。

廃止となった屋代線松代駅
木造の駅舎とホームの屋根、「駅長」の看板、改札口には駅員さんもいる、これぞ正しい駅といった雰囲気。


松代城跡から屋代線を眺める
なんてことの無い写真だが、もうこの光景を見ることはできない。それはそれとして、乗降ドアの窓の小ささが印象的。

この後、バスで川中島に寄った後、長野駅にすいすいっと戻る。長野電鉄(須坂)経由の往路は、だいぶ遠回りであったのだ。

松本駅に並ぶ381系&383系特急しなの
2日目の観光も終わり、松本駅で列車を待っていたところに381系の臨時「しなの」がやってきた。

JR東海としては最後まで残った381系P2編成
JR化直後の小中学生の頃はカラフルな新塗装にあこがれたが、今になると、この形には国鉄色が似合う。

E351系特急スーパーあずさ
短い4両の付属編成が入線。既に引退して過去のものに。

ところで、山形から松本に向かう場合、新幹線で長野を経由した方が新宿経由より早く着く。特に、土・日きっぷでは新幹線・特急が実質乗り放題のため割高感も無く、効率重視の必要もあってこの旅では往復とも長野経由となった。
でも、個人的には「あずさ」利用の方が自然な感じがするなあ。

鉄道写真の振り返り 2005年 その2

2021-01-17 | 鉄道写真の振り返り
2005年の春から初夏にかけてのお出かけ写真。PENTAX Optio S4iとCONTAX TVS DIGITALを何となく使い分けながら撮影。

まずは、5月連休のお出かけ写真。

阿仁合駅に停車する快速「弘前お城とさくら号」
秋田内陸縦貫鉄道内陸線とJR奥羽本線を直通し、角館~弘前を約3時間半で結ぶ臨時快速列車。こんな便利な列車があるなんて!と、この旅ではメインの扱い。車両は当時の急行「もりよし」用のAN-8900形。前から2列目に陣取り、前面展望を楽しむ。

JR鷹ノ巣駅3番ホームで発車を待つ
内陸線鷹巣駅からJR鷹ノ巣駅への入換(転線)作業が終わり、いよいよ弘前へ向かう。内陸線内はのんびり走っていたAN-8900形だが、奥羽本線内は見違えるような快足ぶりで、まるで「本当はこれぐらい走れるんだぜ!」と言っているかのようであった。

函館の夜景
この時は、弘前での桜見物の後、函館にも足を延ばした。全く鉄道と関係ないのだが、1996年夏のフィルムの無駄づかいを思い出しながら夜景を撮影。

函館市電
これまた1996年にも撮影した函館市電の710形車両。この719号車は今も現役。

789系特急「スーパー白鳥」とキハ400形500番台お座敷車
理想としては、弘前→函館で直通の臨時特急「さくらエクスプレス」を利用したかったが、きっぷを確保できずやむなく断念。泣く泣く(?)往復とも「スーパー白鳥」を利用する。
1996年に快速「海峡」の写真を撮り損ねた反省を踏まえ、しっかり記録しておく。

青函トンネル 吉岡海底駅
北海道新幹線開業に伴い駅としては廃止となった吉岡海底駅。この頃は竜飛海底駅とともに見学可能でったため、是非にということで訪問。


鳥海山をバックに走る快速「きらきらうえつ」
連休も終わり、いよいよ暖かくなってくるが、鳥海山には雪が残る。485系改造の「きらきらうえつ」も2019年に引退してしまった。


続いては、7月の万博見物の往復で利用した寝台特急「日本海」などの写真をいくつか。「日本海」は大阪~青森・函館を結んでいた寝台列車で、2005年当時は1日2往復が運転されていた。私は万博見物の往路で日本海2号の鶴岡→敦賀を、復路で日本海3号の大阪→鶴岡を利用した。

敦賀駅で切り離されたFE81 106
「日本海」を牽引する電気機関車が敦賀(敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室 )所属のため、途中敦賀で機関車交換が行われる(往路の2号、復路の3号ともに交換があった)。早朝5:07、眠い目をこすりながらホームに降り立ち、機関車交換を見物する。


新たな牽引機を待つ24系客車
私が利用した「日本海2・3号」はJR東日本所属の24系客車で、すべて開放型のA・B寝台からなる硬派(!?)な列車。「あけぼの」や「北陸」のようにB個室が連結されていたら、もう少し使い勝手が良かったのではないだろうか。

敦賀駅で発車を待つ419系電車
早起きが苦手な私は、本来なら京都まで日本海を利用したいところであったが
、旅費をケチるために敦賀で下車し、敦賀→米原を普通列車で移動。419系は、東北地域を走っていた715系1000番台と同様に583系寝台特急形電車を改造したものだが、交直流切替装置を残したことと、だいぶ長生きしたことが715系との違い。

419系の車内
元特急形のゆったりとしたボックスシート。窓の外に見える看板がこの時の状況を物語っている。私が訪れた2005年当時敦賀駅は交流区間にあったが、2006年秋に北陸本線・湖西線の交流/直流切替箇所が変更となり、米原・京都方から敦賀までが直流区間となった。そんなわけで、米原まで419系に乗ったのは、貴重な体験かな?

ちなみに、この後私は名古屋まで移動するわけだが、
 敦賀→(普通列車)→米原→(ひかり)→名古屋 7:15着
 敦賀→(日本海)→京都→(のぞみ)→名古屋 7:23着
ということで、到着時間はほとんど変わらない。
睡眠時間1:30を取るか、料金の差額を取るか・・・。今なら確実に前者だな。

日本海3号、鶴岡着
復路は始発の大阪からのんびり鶴岡まで乗車。「いなほ」や「あけぼの」を含め、青森行きの表示はごく当たり前の風景だったのだが・・・。


日本海3号は鶴岡から立席特急券で利用できたため、数人の乗客を加えて発車。これに乗れば9時前に秋田、昼前に青森に到着できるわけで、昼行列車としても便利だと思うんだけどなあ。

鉄道写真の振り返り 2005年 その1

2021-01-02 | 鉄道写真の振り返り
前年に購入したデジタルカメラPENTAX Optio S4iとともに、春のお散歩。


仙台駅で発車を待つ583系「水戸観梅号」
梅の季節の定番列車であった水戸観梅号。往路は仙台→赤塚→偕楽園と「スイッチバック」的な運転で偕楽園まで送り届けてくれた(指定券は仙台→赤塚で発行)。時は2005年3月初旬、このお出かけのメインは梅見物の帰り道に立ち寄った日立電鉄。

日立電鉄線鮎川駅で発車を待つ常北太田行き
2005年3月末で営業を終える日立電鉄線に最初で最後の乗車。常磐線で鮎川駅の脇を通り過ぎるたびにそのうち乗りたいな~、などとのんきなことを考えているうちに、廃止が決まってしまったという典型的なダメな例。廃止間際に乗りに行くのは趣味では無いのだが、でも乗らないままでは後悔しちゃうかもと念願の訪問。


平泉駅に入線する「こがね黄金めぐり2号」
ジョイフルトレイン「こがね」により、平泉(15:08)→仙台(19:27)を大船渡線・気仙沼線経由で結んだ。3月20日頃のちょい旅。

先頭車の展望スペース
「こがね」はキハ58系改造車。2003年に再改造されるまでは「グラシア」と呼ばれていた。先頭車はフリースペースとなっていて、誰でも前面展望が楽しめた。運転士さんは落ち着かないだろうけど・・・。

客室内
通路が端に寄っていて、座席は1+2列で並んでいる。しかも
○○  ○
○  ○○
○○  ○
○  ○○
のように千鳥で配置されていて、座席を斜めに(45°、135°・・・)回転させると、最大6名がロの字形にボックスを作ることができる優れもの(?)。ただ、4名グループだと逆に使い勝手が悪そうな気も。
前方(奥)は運転席・展望スペースで、客室から前面展望は楽しめない。


一ノ関駅で小休止
大船渡線に入るべく、一ノ関でしばらく停車。「こがね」は米坂線などを走ることもあって身近な存在であったが、乗車したのはこの1回のみだった(2010年に引退)。ついでに、津波で被災した気仙沼線廃止区間も、これが最初で最後の乗車となってしまった。時間的に景色がほぼ見えず、ただ通り過ぎるだけとなってしまったのが非常に残念。


ところで、前年(2004年)にOptio S4iを購入した私であったが、使っていると画素数や感度に余裕が欲しくなるもので、デジタル一眼レフを買うために貯金しようと思い立った矢先、ブランドと値段につられてこんな物を買ってしまう。


CONTAX TVS DIGITAL

京セラが販売していた、高級コンパクト(?)デジタルカメラである。2003年2月の発売なので、Optio S4iより約1年前の製品であるが、Optioより大きい1/1.8インチの500万画素CCDを搭載しており、カール・ツァイスのT* レンズを搭載。価格は定価(税抜き)で128,000円也。
少しさかのぼって1990年、高級コンパクトカメラとして発売されたCONTAX T2(もちろんフィルム)は、チタン製外装やサファイヤ製シャッターボタンなどバブル期らしい装備を備え、定価120,000円であった。同じようなコンセプトで同じような価格の TVS DIGITALに期待大!?

そんな TVS DIGITAL(新品)を、私は税込み37,800円で入手した。いくら外装が良くても、今以上にハードウェアの進化が早かったこの時代、価格の下落は仕方ないよな。加えて、京セラのカメラ事業の先行きも不透明であったし(購入から1ヶ月後に撤退発表)。とはいえ、S4iよりは隅々まで良く写る印象で、当時の37,800円としてみれば十分な性能であったように思う。 

フィルムカメラであるT2の中古は今も10万円程度の高値が付くこともしばしば。アナログ機器の強さか。TVS DIGITALもオークションで2万円程度の値が付くこともあるようだが・・・、飾っておく分にはなかなかの存在感ではある。フィルムカメラ同等に存在感のあるサイズを活かして、中身だけAPS-Cサイズのセンサーに入れ替えできたら良いのになあ。

ということで、TVS DIGITALで撮った写真がこちら。

福島駅に停車する快速「お花見白虎号」と「仙台シティラビット」
白虎は仙台~郡山~会津若松で運転された臨時列車で、2005年4月は583系でお花見白虎として運転された。鶴ヶ城の桜は開花直後といったところで、ちょっと残念であった。
今や583系だけでなく719系0番台も定期運用は終了。加えて、2021年3月のダイヤ改正では仙台シティラビットも廃止か・・・。何の面白みも無い写真だが、記録として割と価値のあるものになってしまった。

鉄道写真の振り返り 2004年 その2

2020-12-19 | 鉄道写真の振り返り
11月は何かと忙しく、久々の更新。

さて、この年の夏、はじめてデジタルカメラを購入する。PENTAXのOptio S4i、当時のズームレンズ搭載機としては最も小型・軽量の機種であった。確か、CASIOのEXILIM と部品を共用していたような。レンズ沈胴時に一部のレンズを光軸からずらして格納する「スライディングレンズシステム」を採用していた。
撮像素子は1/2.5型のCCDで、有効画素数は400万画素。レンズは焦点距離が35mmフィルム換算で35~105mm相当となる3倍ズームであった。

Optioを購入後、早速あちこちに持ち出して便利に使い始めたが、当時のデジタルカメラに対する知識不足もあって、今となってはフィルムカメラを併用すべきだったなあと思うことも多い。
まず、ベース感度がISO50であったこと、そして、これ以上の感度での画質劣化が激しいこと。すなわちシャッター速度が稼げないので、鉄道の写真を撮るには非常に厳しい。
そして、画素数も正直厳しかった。一応400万画素機であったものの、それなりの画質が得られるのは200万画素相当(1600×1200)→L版プリントまでといった感じ。
それでも、当時のスキャナでフィルムを読むよりクリアな感じがしたので、まあいいかなと思っていたけど、PENTAX FILM DUPLICATORを使い始めた今となっては・・・。

後ろ向きなことばかり言っていても仕方が無いので、写真を眺めてみよう。
(いずれの写真もSilkypixで画質調整しています。)


福島駅に停車する200系
このカラーリングも、割と好きだったなあ。

9月に地元の友人と出かけた山陰旅行から何枚か。

寝台特急日本海のB寝台車
初めて乗った開放型客車B寝台。低感度でも何とかぶれずに撮れて満足。

急行銀河
京都駅で日本海を降りた後、スーパーはくとを待つ間にやってきた銀河。感度を上げて(といってもISO200)撮ったため、画質的にはかなり厳しい。

特急スーパーはくと
京都駅で日本海を降りたのは、1号車自由席の最前列にゲットするため。当時の1号車は確か喫煙席で、通常であれば避けるところだが、前面展望のためならば致し方ない。京都→鳥取のダイナミックな走りを堪能でき、満足満足。

急行だいせんで運用されるエーデル北近畿車
だいせんは2004年10月に廃止されたようなので、この時(9月)は最末期であったのだ。


出雲市駅で発車を待つ寝台特急出雲
24系25形客車で運転される「出雲」と285系電車の「サンライズ出雲」が選べた時代。この旅では前後の日程の都合でどちらにも乗れなかったが、今思えば無理にでも乗っておくんだったなあ。(入場券を購入してホームから撮影)

ロビーカー代わりに連結されていた食堂車

米坂線小国駅に停車中のキハ52+キハ47
坂町行きの普通列車。次の越後金丸(当時は交換可能駅)で上り列車と交換するのだが、小国駅で時間調整といったところか。

キハ52の車内
キハ110はともかくとして、キハE120やGV-E400より座り心地が良い座席だったなあ。

村上駅に停車する115系電車とキハ47
キハ47は引退し、115系も風前の灯火(?)。

繰り返しになるが、今となっては貴重な思い出となる列車たちを、いわば非力なデジタルカメラで撮っていたのは、何とももったいない感じがする。この後数年間、カメラの性能向上↑と撮りたい列車の消滅↓の追いかけっこが続くのであった。