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鉄道写真の振り返り 1992年

2020-07-18 | 鉄道写真の振り返り
1989年の後は当然1990年、1991年と続くのだが、どうにも写真が見つからない。板谷峠のスイッチバックの乗り納めなどに出かけたはずなのだが・・・。そんなわけで、とりあえず1992年に飛びます。
1992年の写真として、すでに山形新幹線開通直前のつばさ号SLべにばな号の記事をアップしているので、その他の写真をいくつか。(今回の写真は、すべてポジです。)

はじめに、仙山線を走る455系。

作並駅に進入する仙山線下り快速列車

今度は発車シーン?
先頭がぶれてしまって残念。

秋の山寺駅付近を走る

仙山線撤退から20年近くなるが、仙山線=455系のイメージが強い。小学生の頃(概ね東北新幹線上野開業後)、地元の置賜を走る奥羽本線の普通列車はディーゼルカーや電気機関車牽引の客車列車であり、電車は特急でお目にかかるのみであった(はず)。そのため、山形駅で見る455系電車は、「ちょっと違うところに来た感」があって新鮮であった。元急行形の車内は、一部ロングシート化されていたとはいえ、山形~仙台間を通しでのんびり乗るには好適だったように思う。
「のんびり」と書いたところで、この頃はノンストップ快速で仙山間が最速51分、普通の快速でも1時間程度だったことを思い出した。今は昼間のA快速でも1時間10分程度かかってしまう。ある意味、今の方がのんびりしているということか・・・。


お次は陸羽東線堺田駅にて。おそらく、何かのついでに立ち寄ったものと思われる。

堺田駅に進入する上り列車
この頃は、まだ交換設備があった。

新庄方にはキハ23が連結
私はキハ23(キハ45系)を見た記憶が全くなかったのだが、写真が残っていてびっくり!

この翌年、1993年も写真が見つからないので、次回は1994年に飛ぶ予定でございます。

鉄道写真の振り返り 1989年 その2

2020-07-13 | 鉄道写真の振り返り
1989年秋ごろの写真が見つかったので、せっかくだから追加しよう。

長井駅の側線にたたずむYR-880形
フラワー長井線開業1周年のイベントで、綱引き的な何かがあったような・・・。



最上川橋梁を前面展望で
「ミステリートレイン」と称したイベントに当選し、荒砥に向かう車中で撮影したもの。当時は全く意識しなかったが、一応スピード感のある写真になっていたのだな。

ところで、前年(1988年)10月25日のフラワー長井線開業当日、早速荒砥→長井で乗車したが、この時印象的だったのが、運転台が半室構造でデッキが無く、前の景色がよく見えたこと。特に、貫通扉のところから見る前面展望は最高であった。(今はロープが張ってあって入れないみたい。)いずれにせよ、全室運転台の国鉄形ディーゼルカーに慣れた私にとってYR-880は画期的な車両で、左右非対称のドア配置とともに、帰宅後さっそくレゴブロックで真似てみたのだった。

今泉駅にて
何を狙って車両が半分切れた写真を縦位置で撮ったのか、いまいちよく分からない。ただ、米坂線ホームにキオスクがあったことを示す、多少有意義な(?)資料かもしれない・・・

赤湯駅にて、特急つばさを待つ
これもなぜ縦位置で撮ったのかよくわからないが、私がコニカC35で動いている列車を撮った写真では最もまともな一品。4番線(現3番線)には小豆色の50系客車が停まっている。山形方に機関車が連結されていないから、米沢・福島方面行きが特急を待避しているのかな?

いろいろ思い出を振り返る上でも、このころの時刻表が手元に欲しくなる・・・。

鉄道写真の振り返り 1989年 その1

2020-07-11 | 鉄道写真の振り返り
この年のトピックスとしては、まず、祖父母とともに四国まで旅行したこと。4泊5日の旅だったが、実質四国にはほとんど滞在しておらず、往路東海道新幹線・瀬戸大橋経由で一気に四国入りした後、高松→小豆島→赤穂→大阪→敦賀→福井→上越と少しずつ戻ってくる行程であった。

旅のメインは、やはり瀬戸大橋。快速マリンライナーのグリーン車最前列を確保してくれた祖父に感謝か。さらに、初めて乗った東海道新幹線0系の食堂車でハンバーグを食べたことも良い思い出。次の機会は100系の2階建て食堂車!と期待が膨らんだが、チャンスは訪れず食堂車は無くなってしまった。

写真は、フィルム2本分あったと思うのだが、1本目の大阪までの写真が見当たらない(プリント、ネガとも)。ということで、多少残念ではあるが旅の後半(2本目)となる福井からの写真をいくつか。


おそらく475系電車(クハ455)、福井駅にて
当時、東北の電車はクリーム地に緑だったが、北陸は白地に青で、ヘッドマークが付いていることがうらやましかったのかも。

福井駅に入線する485系白鳥13号(これは自信あり)
上沼垂(かみぬったり、現:新潟車両センター )所属のグレードアップ改造車。先頭車は1500番台だったのね。内装も、座席部が1段高くなっていたり、電光案内表示器があったりと、地元を走る同じ485系つばさとの格差にびっくりした記憶がある。

直江津駅で遭遇した485系、(スーパー)かがやき号
旅行の前年(1988年)に運転開始された特急列車。新幹線接続に特化して、長岡~金沢間で運転された。その割り切り感(?)が新鮮に感じられた。

思い返すと、この旅では同じ日に特急雷鳥13号で福井→直江津、特急白鳥で直江津→村上と、2001年以降系統分割・廃止された(すなわち直行できなくなった)列車を効率よく利用している。これは、爺さんさすがと言うべきか、昔はそれが普通だったと言うべきか。


もうひとつのトピックスとしては、転校した友達を訪ねてクラスメート4人で宮城県に出かけたこと。この時、おそらく初めて東北本線に乗ったが、普通列車なのに特急みたいな顔の車両が来た!さすが東北本線!?と興奮。なぜか狭い出入り口や、なぜか2つある(ように見える)トイレなど、当時としても不思議に感じたものだが、これが寝台特急用電車583系を近郊形に「やっつけ改造」した715系(1000番台)であることを知ったのは、だいぶ後のお話。


おそらく大河原駅にて
715系の一ノ関方は大柄な車体断面そのままに運転台を後付けしたため、しょくぱんまんのようなデザイン。


福島駅の新幹線ホーム11番線から見下ろした在来線ホーム
この写真にも715系が2編成写っている。よっぽど印象深かったのだろうか。特急みたいな顔をした黒磯方先頭車の写真が無いのが残念。


最後に、もう1枚。


スイッチバックが健在だったころの板谷駅
奥羽本線名物の4連続スイッチバックの中では、最もアクセスしやすかった板谷駅。かなり広々とした構内だったのだな。後方にはジークライトの工場も見える。

このころのネガはいずれも劣化していて、今回の写真では空がマゼンダ寄りになっているが、これの修正を試みると他のところが・・・と、なかなかうまくいかない。もう少し勉強せねば。

※1989年の写真が追加で発掘されたので、その2に続く・・・

鉄道写真の振り返り 1988年

2020-07-05 | 鉄道写真の振り返り
当分新ネタが望めないのと、ネガフィルムのデジタルデータ化の動機付けに、過去の鉄道写真を振り返ってみようと思う。

これまで、多少ジャンル別にまとめることはあったものの、時系列での整理はしてこなかった。今になって昔のフィルムを眺めていると、何となくその頃の記憶が思い出されてきて、それを書き留めておくのも良いかな、と考えた。

まずは、私が小学生だった頃の写真から。この頃の出来事は・・・1987年春に国鉄がJRとなり、1988年春には青函トンネル・瀬戸大橋が開通、1988年秋には地元の長井線が第三セクター化されフラワー長井線が開業。

フィルムの劣化(青系の退色?)により写真のところどころが黄色味がかっていますが、なにとぞご了承のほど。(画像処理で多少修正しています。)



1988年春頃の赤湯駅にて
当時の2番線(今は線路が撤去されている)にキハ22とキハ40の二連、奥の5番線(現4番線)にキハ22の単行が停車中。朱色(首都圏色、朱色5号)に塗られたこれらの車両、特にキハ22にはかなりお世話になったなあ。車両側面にはJRマークがあるが、まだまだ「国鉄」の雰囲気が漂う。


1988年秋、フラワー長井線開業直前の長井駅にて
長井駅に到着する荒砥行き普通列車。小さい頃の思い出としては、この2色に塗り分けられたキハ58(多分)が一番印象深い。


1988年秋、フラワー長井線開業直前の荒砥駅にて
上の長井駅の写真と同日のもの。JR長井線の「乗り納め」として、祖父、弟ともに長井~荒砥を往復した。長井線廃止よりも、フラワー長井線開業のワクワク感の方が上回っていた記憶がある。

当時私が使っていたカメラは、「サンタさん」にもらったコニカC35FD(当時で10数年落ちの中古)。シャッター速度優先AEを搭載したマニュアルフォーカス機であった。それなりに気をつけてピント合わせをしたつもりだが、歩留まりはいまいち・・・。今も保管してるが、後玉にカビが発生してしまったのが残念。

他にも数枚鉄道関係の写真があるが、いずれも人物込みで駅舎を撮ったもので、車両の写真は多くない。当時でも鉄道好きではあったけど、車両にさほどのこだわりが無かったのかな?鉄道を利用することが少なかったので、乗る方に集中していたのかもしれない。