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鉄道写真の振り返り 2001年 その1

2020-09-19 | 鉄道写真の振り返り
2001年は、春の四国、秋の九州、今思えば遠出した年であった。

まずは春の四国から。「アカメが見たい」という釣り好き・カエル嫌いのダメ友達Sとともに四万十川を目指す。

サンライズ瀬戸、高松に到着
1998年の登場から3年、あこがれの285系サンライズエクスプレスに乗る。B個室シングルで、寝台列車の個室も初体験。快適であった。

この旅行では、小豆島、琴平に寄り道した後、特急「南風」「あしずり」で中村に向かう。「あしずり」はアンパンマン列車であったが、写真に残しておらず残念。中村観光の後、土佐くろしお鉄道で宿毛、バスで宇和島、特急「宇和海」で松山に向かい、松山市内を観光する。

伊予鉄道市内線、道後温泉
道後温泉でひとっ風呂浴びたあと、松山駅に戻るところで撮影。「路面電車なんてめんどくさい」というSの言葉を完全無視し、1日券を片手に市内を巡った。

2001年のもうひとつの旅は秋の九州。日本金属学会での発表が名目だが、私の楽しみはもちろんJR九州の列車である。(往復で乗車したブルートレインの話題は次回に。)

小倉駅で783系特急「きらめき」を待つ
眠い目をこすりながら寝台特急「富士」を降り、「きらめき」で博多(8:52着)に向かう。本当ならば「はやぶさ・さくら」で博多(9:53着)に直行したかったが、11:50からの発表を考慮して一足先に九州入りする「富士」にしたのだ。もっとも、発表当日に現地入りするなんて・・・あまりにリスキーで今の私なら絶対やらない。

787系、たぶん特急「つばめ」だった気がする
当時のJR九州のフラッグシップ。発表の後、熊本を観光するために乗車したが、周遊きっぷゾーン券の南端である大牟田で惜しくもサヨナラ。大牟田からは左に写る815系普通列車で上熊本に向かう。

883系特急「ソニック」と885系特急「かもめ」、博多にて

もう1枚、883系特急「ソニック」と885系特急「かもめ」、博多にて
JR九州を象徴するような風景。両者とも振り子式車両である。

さらに885系特急「かもめ」
当時、885系「白いかもめ」は黄色、「白いソニック」は青色の帯をまとっていたが、今はすべて青帯に統一されているようだ。そんなわけで、黄色帯の写真はちょっとだけ貴重かな?

しつこく885系特急「かもめ」、長崎駅にて
この旅の最後に長崎を訪れる。道中非常に天気が良く、まだ新しい本革シートで眺めた海は非常にきれいだった。

鉄道写真の振り返り 2000年

2020-09-12 | 鉄道写真の振り返り
この年、鉄道でのお出かけとして覚えているのは4月の横浜と11月の京都。前者では鶴見線を全線走破しているのだが、残念ながら写真を撮っていなかった。そんなわけで、晩秋の京都旅(一応学会への参加)の写真からいくつか。

8両時代のE2系J編成、東京駅にて
列車はやまびこ20号と思われ、確か仙台→大宮ノンストップを初体験。このあと、同じく初めての300系ひかりで名古屋に向かう。今思えば、100系グランドひかりに乗っておくべきだった・・・。

叡山電鉄、宝ヶ池駅にて
京都国際会館での学会の合間を有効活用。とことこ歩き、叡山本線と鞍馬線が分岐する宝ヶ池駅へ。この写真は鞍馬線ホーム。

叡山本線、八瀬遊園(現:八瀬比叡山口駅 )駅

八瀬遊園駅のホーム
ドーム型の屋根がいかにもターミナルといった雰囲気を醸し出す。

京都での鉄道ネタはこれぐらいで、この旅行のメインは帰り道の京都→新潟で乗車した「急行きたぐに」。私にとって初めての寝台車の利用であった。

新潟駅に到着した583系、急行きたぐに
国鉄色を残すJR東日本所属の同系列車両と異なり、きたぐにに用いるJRに西日本所属車は独自のカラーリングになっている。


B寝台車車内
通路の両側に蚕棚のように3段寝台が並ぶ。

夜の寝台
確か米原あたりで眠りについたような。


B寝台下段
幅1m超の広々としたベッドで快適に一夜を過ごした。ただ、夜型の私には朝がつらかった・・・。

結局583系で寝台車の利用はこれが最初で最後となった。良い経験ができたなあ。

鉄道写真の振り返り 1999年

2020-09-06 | 鉄道写真の振り返り
1999年は、春休み・夏休みの写真がちょこちょこと出てきた。アルバイトの貯金で少しだけ余裕があったのかもしれない。


お座敷車を連結した特急北斗、札幌駅にて
まずはじめは2月のさっぽろ雪祭り。定期試験最終日に突如思い立ち、同期のU氏とともに太平洋フェリーに乗って北海道へ。フェリーターミナルのある苫小牧から札幌まで乗車した特急北斗(おそらく3号)には、お座敷車(キハ183系6000番台)が連結されていた。改造車ではあるものの、旅行直前に落成したばかりのホットな車両だったようである。

帰りもフェリーを利用するため、札幌から苫小牧に向かう。おそらく札幌14:46発の「スーパー北斗16号」だろう。フェリー出航時刻に対して札幌発が早すぎるのは、二人とも(特にU氏が)体調不良だったため。

札幌駅で発車を待つキハ283系、特急スーパー北斗
北海道内特急の列車愛称から「スーパー」が消え、北斗系統へのキハ283系運用も無くなった今、私の中では貴重な写真なのかもしれない。「北斗」「スーパー北斗」には何回か乗車経験があるが、キハ283系はこの時の1回のみだったはずである。それにしても、キハ281系より先にキハ283系の廃車が始まるとは・・・。

キハ281系、スーパー北斗とのすれ違い
雪祭り期間中の車内はさすがに混み合っていて席を確保できなかったため、仕方なく先頭の貫通扉部で過ごす。せっかくだからとすれ違い列車を撮影。2010年以降、先頭部には安全上入れなくなったので、これまた貴重な記録?

ちなみに、雪祭り見物は十分楽しめたが、泊まりは成り行きという無計画ツアーだったためにいろいろなできごとがあり、今でもU氏と会うたびに思い出話に浸る。


梅が咲く偕楽園から見たスーパーひたち
少し季節が進み、3月、当時水戸在住の従弟を訪ねたときの写真。これも過去の風景となってしまった651系スーパーひたち。この前年(1998年)、あこがれの「タキシードボディ」に初めて乗ったのだった。

高松琴平電気鉄道琴平線
同じく3月、倉敷出身の同期M氏の実家にお邪魔した後、ノープランで四国をドライブ。せっかくだからと金刀比羅宮にお参りすることにし、(おそらく)羽間駅から電車に揺られ琴電琴平駅に向かった。

江川崎駅を出発した予土線の単行列車
つい最近までこの川が四万十川だと勘違いしていたが、実際には支流の広見川のようだ。なお、江川崎駅の次の駅は半家駅という。 


気仙沼線大谷海岸駅
季節は変わり、9月に三陸方面にドライブした時に立ち寄った大谷海岸駅。日本一海水浴場に近い駅 」として知られたが、東日本大震災の津波被害により廃駅になってしまった(BRTのバス停としては存続)。併設された道の駅にはマンボウも居たっけな。

岩泉線岩泉駅
こちらも廃駅となってしまった岩泉駅。龍泉洞観光の帰り道に立ち寄る。この時の帰り道は国道340号線押角峠を通ったが、狭いトンネル(雄鹿戸隧道)にびびった記憶がある。今は、廃止となった鉄道トンネル(押角トンネル )を道路用に拡幅する工事が進んでいるとのこと。


今思えば、結構盛り沢山の1999年。既に20年以上前のことで、車両の世代交代なども確実に進んでいるのに、私にはつい最近のように思えてならない。

鉄道写真の振り返り 1998年

2020-08-29 | 鉄道写真の振り返り
大学生活3年目となるこの年、前半はアルバイトに明け暮れ、後半は改心して勉強をがんばった(当社比)ため、鉄系の写真は「ムダ走り」の5枚のみ。

なぜにムダ走りかというと、目的地での用事も無いのに新幹線に乗ったから。当時発売されていた「ウィークエンドフリーきっぷ」を使い、本来の用事が済んだ後に「まだ半日使えるのに、乗らないのはもったいない」と仙台→福島→盛岡→仙台を往復したのだ。

「ウィークエンドフリーきっぷ」は、JR東日本全線で新幹線を含む特急、急行、普通列車の自由席に土日・祝祭日のうち連続する2日間乗り放題で16,000円也。感覚的には、2010年春をもって発売終了となった土・日きっぷや三連休パスのような大変ありがたいきっぷであった(指定席や他会社線は利用できないが)。最近は、特急乗り放題系のきっぷがめっきり減ってしまったなあ・・・。

時は1998年5月。写真と当時の時刻表を眺めながら、この日の動きを振り返ってみる。

福島駅12番線に停車するE4系

E4系は1997年末の運用開始で、1998年春のダイヤ改正時点では東北新幹線の上下2往復(那須塩原→東京、東京~盛岡、東京→仙台)に2編成併結の16両で運用されていた。私が乗車したのは「Maxやまびこ48号」の仙台(15:32)→福島(15:56)となる。後方には、オリジナル塗装で現役バリバリの200系も見える。

福島駅14番線に停車する200系+400系

Maxやまびこ48号の到着・発車前後のダイヤより、「やまびこ・つばさ137号(15:57着、15:59/16:01発)」と思われる。もっと近くで撮っておけば良かったが、時間的にちょっと厳しかったのかな。


福島駅西口にて

盛岡駅14番線に停車するE3系

福島からは「こまち」に乗って盛岡へ移動。この頃の「こまち」の運行形態は今とだいぶ異なっていた。
・「こまち」はE3系5両編成であった(1998年秋よりE3系6両に増車)
・「こまち」に自由席が存在した(2002年12月より全車指定席に)
・「こまち」に併結する「やまびこ」はE2系8両編成又は200系10両編成であった(1999年12月より全列車E2系と併結)
・200系併結列車の一部で、仙台で分割・併合するものがあった
  →「こまち」編成:仙台~盛岡は無停車で、秋田方面に直通
  →「やまびこ」編成:仙台~盛岡は各駅停車で、盛岡発着
 (1998年12月以降「やまびこ・こまち」は全列車盛岡で分割・併合)
・仙台で分割・併合する列車は郡山、福島にも停車した
 (2002年12月以降、「こまち」の郡山、福島停車は無し)

私が乗車したのは、「こまち49号」の福島(16:30)→盛岡(17:40)であろう。覚えているのは、福島駅で「こまち」の自由席車両に乗り込むも混み合っていて席に着けず、仙台到着時に空いた席に座って盛岡に向かったこと。秋田方面へ向かう方々には少々申し訳ない利用方法ではあったが、仙台→盛岡が45分足らずという速さに素直に感動した。


ツツジが咲く盛岡駅にて

盛岡→仙台の帰りに乗った列車は、残念ながら記録、記憶ともに無い。時間的に、盛岡18:19発の「やまびこ6号」か18:23発の「やまびこ56号」か。おそらく、E2系初乗りとして前者を利用したのではと思うが、この辺が私の詰めの甘さか・・・、残念。

以上、わずか数枚の写真ではあるが、様々な情報が出てきて興味深い。何かと過渡期だったからかな。特に、1日に数本とはいえ福島~秋田を直通できるのは今となってはうらやましい。最近は福島~盛岡ですら乗り換え必須になる時間帯が多く(いわゆる「盛岡やまびこ」の減便)、盛岡・秋田出張が不便になった気がするなあ。

いずれにせよ、当時を振り返るうえで、ちょっとした記録と時刻表の重要性に改めて気づかされたのだった。そういう意味では、貴重なムダ走りであった。

鉄道写真の振り返り 1997年

2020-08-22 | 鉄道写真の振り返り
1997年の春休み、コンビニでのアルバイトの合間に東京へ出かけた。

きっぷは「東京ミニ周遊券」を利用。2013年に廃止された「周遊きっぷ」の前身にあたる「周遊券」は、目的地(自由周遊区間)でのフリー乗車※ができるほか、発着地からの往復に急行列車の普通車自由席を追加料金なしで乗車することができた。

※「ワイド」周遊券では自由周遊区間で特急・急行の普通車自由席を追加料金なしで利用できるが、「ミニ」周遊券は急行のみは可(特急を別途料金が必要)。

当時でも絶滅危惧種と化していた急行列車であるが、春休み期間の臨時列車として急行「津軽」が青森~秋田~山形~仙台~上野で運転されており、仙台(0:57)→東京(5:52)の往路で利用した。この時の時刻表によれば、583系電車で運転された急行津軽はB寝台、グリーン車、普通車指定席、普通車自由席と多彩な編成であった。思えば私にとって初めての夜行列車であったが、残念ながら寝台車に乗るお金は無く(せっかくの周遊券で追加料金を払う考えも無く)、普通車自由席を利用したのであった。

一夜明けた急行津軽普通車の車内
減光されなかったこともあり、私はほとんど眠ることができず。けだるい雰囲気が漂っているように見えるのは私の思い出のせいかな。

上野駅到着
前年のミッドナイトや海峡も、これぐらいの写真を撮っておけば良かったのだが。

そもそも、この時の東京行きはウキウキのお出かけではなかったが、関東まで出てきたからには何か持って帰らねば・・・という私の意地で訪れたのが信越本線横川駅。

信越本線の横川~軽井沢(碓氷峠)は言わずと知れたJR線最急勾配区間で、通過する全列車の高崎側にEF63形電気機関車を補機として連結する特殊な運転を行っていた。同年秋の北陸新幹線開業に伴い廃止されることが決まっていたため、一度見ておきたいと訪れたのだ。この頃はまだ廃止前の大騒ぎのようなものはなく落ち着いた雰囲気であった。

横川駅に進入する金沢行きの特急白山
ボンネット型先頭車の489系。もう少し引きつけて撮れば良かったな。

特急白山のラウンジ&コンビニエンスカー
横川~軽井沢の1区間だけ記念乗車。窓の外では峠の釜めしの販売員の方々が忙しそうにしている。

「ぶどう色2号」に塗られたEF63
横川駅に戻り連結作業を眺める。EF63登場時の塗装を再現した19号機がやってきた。EF63重連を列車後部に連結し、軽井沢まで押し上げる。

EF63を先頭に山を下りてきた特急あさま(多分)


横川駅前の風景
横川~軽井沢間が廃止された今でも、駅前の風景はあまり変わらない?

この後、コンビニバイトがフル稼働となり、鉄系の写真どころでは無くなったのであった。