毎日ベランダに目をやる。鉢植えの向日葵(ひまわり)がうつむいている。陽の射さない雨天続きのためだ。晴れ間がきた。「頑張ってるよ」とばかりに華やかな顔を見せてくれる。どんなに辛くても耐えて明日を待つ。その健気さ、いじらしさに感傷を覚える。「花の命は短くて」は心得ているつもりだが、一瞬、人間の営みと重ねて想ったりすることもある。この向日葵は”父の日”にもらった花。贈り主はボランティアで、2年前の3・11、巨大津波に呑み込まれた岩手県のある街へ。帰ってすぐ、耐えて生き抜く人たちの姿を伝えてくれた。
現地の写真を見せてもらう。建設中の高さ12・5米の堤防、まだ一部だが沿岸のどこまで築くつもりだろうか。13米の津波は川を遡って襲ったというのに。これでいいのか、素朴な疑問を感じた。あのとき、瞬時に街が海と化し、引いたあとは惨憺たる瓦礫の廃墟。今は整地されて雑草が繁る野原に。新しい電柱、電線はできて電気は使える。水道管は当初、地表に這わせて夏には熱い湯のようなのが出たというが今はどうなのだろう。福島原発事故による放射能への不安もあるようだ。子どもが野イチゴを食べかけたらダメだと叱るとか。
仮設住宅は1年延長に。ここの人たちは、いつ元の地に帰れるだろうか。復興には10年はかかるそうである。だが、みんなその日をめざして生きているようだ。学校のグランドは宅地に提供された。生徒たちは瓦礫を片づけてつくられたグランドで野球に興じている。明日の力ではないか。若々しい生命力を感じた。地元とボランティアの人たちとの交流も、お互いに生きる感動を伝えあったのではなかろうか。この記事を書き終えて向日葵を見た。曇天だが元気そうに見えた。耐えればいいときがくる。