明日につなぎたい

老いのときめき

耐えて花開く

2013-06-27 11:44:20 | 日記・エッセイ・コラム

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毎日ベランダに目をやる。鉢植えの向日葵(ひまわり)がうつむいている。陽の射さない雨天続きのためだ。晴れ間がきた。「頑張ってるよ」とばかりに華やかな顔を見せてくれる。どんなに辛くても耐えて明日を待つ。その健気さ、いじらしさに感傷を覚える。「花の命は短くて」は心得ているつもりだが、一瞬、人間の営みと重ねて想ったりすることもある。この向日葵は”父の日”にもらった花。贈り主はボランティアで、2年前の3・11、巨大津波に呑み込まれた岩手県のある街へ。帰ってすぐ、耐えて生き抜く人たちの姿を伝えてくれた。

 現地の写真を見せてもらう。建設中の高さ12・5米の堤防、まだ一部だが沿岸のどこまで築くつもりだろうか。13米の津波は川を遡って襲ったというのに。これでいいのか、素朴な疑問を感じた。あのとき、瞬時に街が海と化し、引いたあとは惨憺たる瓦礫の廃墟。今は整地されて雑草が繁る野原に。新しい電柱、電線はできて電気は使える。水道管は当初、地表に這わせて夏には熱い湯のようなのが出たというが今はどうなのだろう。福島原発事故による放射能への不安もあるようだ。子どもが野イチゴを食べかけたらダメだと叱るとか。

 仮設住宅は1年延長に。ここの人たちは、いつ元の地に帰れるだろうか。復興には10年はかかるそうである。だが、みんなその日をめざして生きているようだ。学校のグランドは宅地に提供された。生徒たちは瓦礫を片づけてつくられたグランドで野球に興じている。明日の力ではないか。若々しい生命力を感じた。地元とボランティアの人たちとの交流も、お互いに生きる感動を伝えあったのではなかろうか。この記事を書き終えて向日葵を見た。曇天だが元気そうに見えた。耐えればいいときがくる。


都議選の明暗

2013-06-24 16:18:38 | 日記・エッセイ・コラム

 自民党圧勝が面白くない。投開票日の6月23日は、68年目の「沖縄・慰霊の日」。だが、今なお、米軍基地によるさまざまの被害、米兵の犯罪が続いている。県民の反対を抑え込んだ辺野古新基地建設の推進、8月には12機のオスプレイが追加配備されるという。こんな惨い犠牲を強いてきたのは自民党政治。それが何故?もう一つ。福島原発事故を招いた政治責任を問われ、事故はまだ収束していないのに世界一安全だと称して他国に売りこむ、政調会長は「原発事故で死者は出ていない」と妄言を吐く。この党が何故?アベノミクスが”追い風”だったのか?。

 一方、痛快な結果も出た。共産党の躍進である。8議席から17議席へ、第3党となる。今朝の朝日新聞社説も書いている。「共産党が議席を倍以上に増やしたことは注目に値する。反アベノミクス、原発ゼロ、憲法改正反対を明確に打ち出し、政権批判票の受け皿になったことは間違いない・・・政権に対峙(たいじ)する迫力が必要なのは、都議選での共産党の戦いぶりを見ても明らかだ」と。見るも無残に大敗した民主党や、不振をきわめた維新の会など”第3極”は自民党政治と対峙する勢力ではない。それを見抜かれたのだろう。

 毎日新聞の社説は言う。「今回の選挙では共産党が大きく伸ばし、都議選初陣のみんなの党も堅調だった・・・野党でも政策の輪郭が明確な政党が健闘したといえる。安倍内閣に向かう対立軸をきちんと示せるかどうか、参院選で野党が負う責任は重大である」と。みんなの党の堅調なるものは、維新の会への幻滅が生み出したのではないか。私は一瞬そう感じた。この党も維新の会と同じく保守党の一翼である。いくら改革を口にしても、自民党政治の枠内のもの。参院選は自共対決の土俵で戦われることを期待しよう。

 

 固い記事になったので以下はおまけ。「松井知事が橋下市長の慰安婦発言を庇う、おかしい!」「(府政と)関係ない話やないか!」「最後まで聞けや」「いま言ったん誰や」「オレや」「おう、議場出たら待っとれ!」「待っとろやないか」。本会議終了。「おう。待っとったで」「済んだことや。もうええやないか」。相手の腰をなでる。「勝手に腰触るなや!」。5月27日の大阪府議会での公明、維新議員のやりとりの一幕。「議会の品位もあったものではない」というサンデー毎日の記事から拝借した。衆院選では両党協力関係だったが・・・。


兵たちの証言

2013-06-19 16:48:50 | 日記・エッセイ・コラム

 「従軍慰安婦制度は必要だった」という橋下発言の半年前、2012・12・13に出された『日本軍将兵の証言、手記に見る慰安婦強制の実態』という資料を見た。中国、東南アジア諸国に動員された軍人たちが、朝鮮人、日本人の慰安婦と交わったときの生々しい証言、手記を集めたものである。みんな騙されて慰安婦にされたと泣いていたとある。騙した業者(女衒)が軍から罰せられたという事実は見えない。「せんべい布団の上に仰向けになった女性の姿を見たとき、私の心に小さなヒューマニズムが燃えた」が僅かばかりの救いに思えた。

 戦況は悪化の一途。前線では食糧も武器も補給されない作戦を強いられた。兵士たちは銃弾を浴びることもなく、飢えて病んで死んでいった。日本軍人の戦没者230万人の過半数は餓死、病死だった。死線をさまよう兵士たちが欲しかったのは何だったか。誰でも分かることだろう。橋下氏らはどうなのだろう。「あれだけの銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中・・どこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」と知ったかぶりのことを言う。見当違い。残酷な侵略戦争の悲惨が分かっていない。分かろうとしないのだろうか。

 最後の戦場となった沖縄に、中国から”第32軍”が移動してきた。この軍の管理、監督下に置かれた慰安所は、沖縄全体で136ケ所。一般女子保護のためというのが軍の説明。朝鮮から連れてこられた女性が数百人。女工にするとか、やはり騙されて慰安婦に。市民の手で建てられた宮古島のアリランの碑には「日本軍による性暴力被害を受けた一人ひとりの女性の苦しみを記憶し、全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない世界を祈ります」が12ケ国語で刻まれている。この心、日本政府に通じているだろうか。

 「・・慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した・・多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題である・・」。1993年の河野官房長官談話の一部である。このとおりだ。『実態』が証明している。橋下氏らが談話には国家が強制した事実が記されていないなどとむしかえすのは何故だろう。戦史をふくむ間違った歴史認識からくるのではないか。あの侵略戦争を自衛のためだと改ざんしたいからなのだろうか。安倍総理の「日本を取り戻す」と言うのもきな臭い。


ある男の品格

2013-06-16 14:51:08 | 日記・エッセイ・コラム

 漫才師・西川のりお氏の”橋下評”を14日の毎日新聞で見た。「この先、都構想も、市営交通の民営化も、全部 Ing(進行形)で終わるでしょう。完全にやりとげたことはこれまでもほとんどない。(だが)発信力はもっている・・おばちゃんがキャーと言える見栄えと若さ、石原慎太郎と渡り合い、総理大臣に会う。こんなヤツ今までおらんかったやんけ。現時点でもそう思っている人多いと思う。でももうちょっと冷静に・・大阪に何してくれた?と思うかどうかでしょう」。私の要約ではこうなる。この評の是非を問うつもりはない。

 早速、橋下徹氏が例のツイートで反撃に出る(15日)。「府政、市政は何一つ完了していない」といわれたのがよほど頭にきたのだろう。「任期中になんでもかんでもは困難」だと弁明しながら、めざすは「大阪に人が訪れる気になる環境づくり、その切り札はカジノを内包する統合型リゾートだ」と本音をぶちあける。そして、府政、市政、教育の改革を実行してきたことをあげ「これまで全く改革できなかった敬老パスにも3千円の負担を求める改革を完了した」という。私も先日、3千円を払ったばかり。これが改革になるのか。唖然とした。

 15日に放送されたテレビ大阪の『たかじんNOマネー!』(VTR)を見せてもらった。何人かのコメンテーターと橋下氏を交えた従軍慰安婦問題についてのトーク番組である。とにかく橋下氏がぺらぺらよく喋る。彼はこれまでの発言に反省することはないと言い切る。「従軍慰安婦制度が国家の意思によるものとの事実は確認されていない」。これ一点張りの主張を繰り返す。「日本がホロコースト(ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺)と同じだたと云われていいのか」とまくしたてる。問題のすりかえ、責任転嫁、彼の巧みな作戦のようだった

 どんな問い方をしたのかは不明だが、視聴者の電話投票では8割近くが橋下発言問題なしだったとか。これを受けて橋下氏が「有権者は冷静。小金稼ぎのためのコメンテーターとは違う」と侮辱発言。一人のコメンテーターが憤然として番組からの降板を宣言、生放送の場から退席というハプニングが起こった。橋下氏はしばしばツイートで持論を批判する大学教官らに「バカな有識者」「変な化粧のオバハン」「役立たず」などの悪罵を放つ。品性下劣の自己証明だ。社会は閉塞しているが、誰がつくりだしたのか上滑りの世相も。こんな人物にも支持が集まる土壌がまだあるのだろうか。


哀れ!食べさせられなくて・・・

2013-06-10 21:19:28 | 日記・エッセイ・コラム

 

 痛ましさ、哀れさ、やるせなさ。暗い現実にも向き合おう。先月24日、大阪市北区のマンションで、28歳のお母さんと3歳の男の子が遺体で見つかった。ガス代の請求書の封筒に「最後におなかいっぱい食べさせられなくてごめんね」と書き残されていた。2月頃に餓死したそうである。周辺の人たちは気がつかなかったとか。いつからか子どもの声が聞こえなくなっていたというのに。電気、ガスは止められていた。おそらく料金滞納だったからだろう。集金者は異常を感じなかったのだろうか。生活保護の申請もしていない。何に絶望して死の道を選んだのだろうか。

 

 3年前の夏、大阪市西区のマンションで、3歳と1歳の姉弟が餓死する事件があった。幼児虐待事件だと大騒ぎだった。児童相談所などが通告を受けてすぐに立ち入り検査をすれば、子どもの命は守れたのではないかと指摘する向きもあった。だが、児童福祉司の人数不足など事態に即応できない体制上の問題もあるのでは。私もこんなことをブログに書き込んだことを記憶している(『公務員への期待』2010・8・22)。行政は相談、申請にくるのを待つだけでなく、温かい訪問者であってほしい。住民からどんな情報も入る役所であってほしい。そんなこと不可能だと片付けられたら、孤立死、孤独死は後を絶たないだろう。

 

  こんなときなのに、行政の責任者である橋下大阪市長は「従軍慰安婦は必要だった」とか「在日米軍に風俗営業の利用を」と言って世間を大騒ぎさせた。松井知事はその発言を庇った。さらに両人は、米軍の大型輸送機オスプレイの訓練場に八尾空港をとまで言い出した。本土で沖縄の負担を分かち合うためだそうである。暴言を補う失地回復策だという説もある。危険物を分散したら負担軽減になるのか。負担は分け合うのではなく無くすことではないか。貧しいがために幼い子まで命を落としている。知事、市長たるもの、有害無益の空論をやめて、この現実に目を向けろ、やるべきことを考えろと言いたい。