明日につなぎたい

老いのときめき

旬の味、食と農にぬくもりを

2006-07-28 21:28:33 | 日記・エッセイ・コラム

 

 これまで、それなりに「政治と暮らし」を語ってきたのに、何故か、いちばん身近なはずの、食糧・農業問題については書いていない。気になっていたことである。そんな矢先、古くからの友人が、去年4月から、ある団体の機関紙に連載しているエッセイ集のコピーを送ってくれた。題名は”旬の味”である。添付の手紙には「農民運動の現場に足をおきながら、全国的規模でものを書かされる難しさを痛感している」とあったが、成る程、どれもこれも、心血を注いだ労作のように思えた。殆どは、彼が住む大阪・泉州の農産物の話から始まる。文章そのものに味がある。そこから、農業への熱い想いと、そして郷土愛が伝わってくる。歴代政府の農政批判は鋭い。教えられた。共感の一声でも。その気にさせてくれたエッセイだった。

 ”旬の味”はいう。「夏の訪れとともに、”泉州水ナス”の浅漬けがブームに(我が家の食卓にもしばしば)。風味は抜群。一気に全国ブランドに。生産農家も作付面積も増え続けているのがうれしい」。「ブロッコリーも泉州の”旬の味”。今年(05年)は豊作だ。アメリカなどから輸入されてくるが、栄養価は国産品の半分以下」。「エダマメの味は鮮度が命、朝採りをその日のうちに。消費者の反応も、絶品や。輸入物とは大違い」。「1978年、” 松浪”(キャベツ)という柔らかい新品種が開発され、これが大阪のお好み焼きの市場を独占する契機となり、今も続いているのが地元の自慢だ」。誇り高き日本農業の数々の生きた事例だと思った。こんな農業、ずっと続けて欲しい。そう考えるのが当然ではなかろうか。

 だが、農業つぶしが続いている。泉州は、タマネギ発祥の地で、最盛期の1960年には、生産量13万トンを超える。ところが2002年には8300トンに激減、存亡の危機にあるという。主因は、超安値の輸入タマネギの大攻勢。05年上半期の財務省貿易統計によれば、レタスの輸入量は前年同期比1・6倍、キャベツ、ニンジンは3倍に急増。適切な価格保障がなければ産地崩壊は止まらない。野菜だけではない。コメも輸入米との苛酷な競争を強いられる。安全確認ズサンなアメリカ牛の輸入再開。まさに亡国農政である。”旬の味 ”が訴えている。「農政の大もとからの転換を」「食と農に”ぬくもり”のある政治を」「”安全な食料は日本の大地から”の原点に立ち、食糧主権を取り戻そう」と。これに呼応する世論と運動の盛り上がりに期待すること大である。


俗説・”漁夫の利”論

2006-07-23 14:55:42 | 日記・エッセイ・コラム

 

 今月中頃、たまたま、7月2日実施の東大阪市長選挙で当選した長尾淳三さんと会える機会に恵まれ、改めて、この選挙の意味を考えさせられることになった。なにしろ、東大阪は人口51万人の「中核都市」、ここで、無所属で出たとはいえ、大阪では著名な共産党員で、前市長の長尾さんが勝ったのである。しかも、4年ぶりに民主市政を取り戻したのである。これまでに、革新・民主市政の復活・再登場などあっただろうか。私の知る限り、今回が初めての「大事件」である。さらに、この選挙が光彩を放ったのは、国民に極度の痛みを押し付けてきた自公政権、これに輪をかけたような市政、この渦巻く悪政のもとでの市民の審判だったことである。新しい政治をめざす良識の健在ぶりを思い知った。

 

 この選挙戦は、長尾さんと、2期目をめざす現職の松見氏(無・自民、公明推薦)、自民前府議の西野氏(無)による三つ巴の激戦であった。結果は、長尾51、821、松見50,842、西野38、151。これを評するメディアの「長尾 漁夫の利で勝つ」の活字が目立った。各陣営の組み合わせという現象だけに目を向けた俗論というべきか。市政の実績や各陣営の政策を検討したのだろうか?突如、高齢者を襲う住民税、国保料の高負担、それをもちこんだのは市である。長尾さんが打ち切ろうとした乱脈な同和行政を続けたのも現市政である。評判がよくないのは当たり前。この「弱味」につけこんだのだろうか、「漁夫の利」を狙ったのは、派閥抗争に明け暮れしている、自民党の一派だったのだろう。現市政の落城は、自らの悪政・失政と長尾陣営の奮闘だったのだ。

 

 1975年の府知事選を思い出した。現職を擁する革新陣営、府政奪還をめざす自民党、反革新の社公民、三極対決の構図だった。黒田革新府政の、医療、福祉、教育、公害対策などの豊かな実績、これにもとづく政策は、「漁夫の利」を狙った他の二陣営をよせつけなかった。大方の予想に反し、政党としては共産党だけが推す黒田知事が再選された。これに懲りたのだろう。79年知事選では、財界のしかけで自社公民の一本化、金づく、力づくで革新打倒の悲願達成。だが、オール与党、馴れ合い政治は、多くの弊害をもたらした。大阪府・市がその典型だ。今は「二大政党論」がもてはやされるが、地方政治ではどうなるだろう。どんな組み合わせも乗り越える力を蓄え、革新・民主府市政の再登場を。東大阪がその夢をふくらませてくれたように思う。


調子に乗りすぎないように

2006-07-13 23:11:25 | 日記・エッセイ・コラム

 

 北朝鮮のミサイル発射にたいして、日本政府が、えらく意気込んでいるように見えた。即座に万景峰号入港禁止などの制裁措置をとり、国連に提出する北朝鮮制裁決議案を主導し、米英などと共同提案、早期採択をめざす。しかし、安保理事会は「制裁」に反対の中国、ロシアなどの動向もあって慎重。中国、北朝鮮の交渉が始まり、その成り行き如何ということか、決議案採決は先送り。流動状態が続いている。「日本は譲らない。最後まで突っ走る」(8日、麻生外相)との強腰はどうなるのだろう。外交熱心はよいことだ。だが、アジアの中でそれが見えない。加えて、かつて国連が認めなかったイラク戦争を支持した日本政府が,今回はなぜ国連にしがみつくのだろう。疑問の声も聞く。

 

 「制裁決議案」の要旨を見た。北朝鮮のミサイル発射は平和と安全への脅威だ。開発、実験、配備、拡散の即時中止と発射凍結、核計画の放棄、作業中止。6カ国協議への即時復帰を求める。そして、国連加盟国には北朝鮮のミサイル、関連物資、技術、資金の移転阻止の措置をとるよう義務づけるとある。気になったのは、文中の「安保理は国連憲章第7章に基づいて行動」という箇所である。第7章は「平和に対する脅威、平和の破壊行為に関する行動」となっている。状況によっては、経済制裁、外交断絶(41条)、それも不十分なときは、武力行動をとりうるとしている(42条)。北朝鮮の出方が懸念されるのだが、同時に、このような決議案に固執すると、国際社会で孤立するのではないかとも思える。

 

 問題解決は外交で。世界中の世論だろう。こんなときに、政府筋から物騒な発言が出て物議をかもしている。「必要なら、限定的な攻撃能力をもつことは当然だ」(額賀防衛庁長官)、「被害を受けるまで何もしないわけにはいかない」(麻生外相)、「何をすべきか、検討、研究は必要だ」(安部官房長官)。撃たれる前に他国の基地に撃ち込む能力を持とう。やられる前にやっつけろ。「先制攻撃論」である。軍拡競争の導火線になりはしないか。もちろん、憲法にも国連憲章(51条)にも明白な違反である。早速、韓国政府から「侵略主義的傾向だ」との批判を浴びる。さすがに与党内からも打ち消し、言い訳が出る始末だ。世界の流れに逆らうな。もっと真剣にアジア外交にとりくめ。そう言いたい。


北朝鮮の無法を正そう

2006-07-08 17:03:15 | 日記・エッセイ・コラム

 

 7月1日、日米首脳会談・「共同文書」について一言だけ触れたが、内心、気負いがなかったわけではない。どの程度かはともかく、続けて書こうという気があった。ところが、ある事件が起こった。それで一瞬、手が止まったのである。何事だったのか。北朝鮮のやったことである。南・北に離されていた家族の対面が28年ぶりに実現した。結構である。だが、拉致事件の真相は疑惑の影をいっそう濃くした。その直後である。北朝鮮が無法にもミサイルを発射、世界を驚かした。やるせない、腹立たしい、もどかしい、そんな気分が錯綜した。マスコミは大騒ぎだが、その論調はどうだろう。どこまで本質に迫れるだろうか。こんなときは、冷静に、黙っていよう。そして一週間が過ぎた。

 

 この機会に朝鮮を想った。全く微かな記憶である。小学生の頃、小柄な私を”悪ガキ”から守ってくれたのは、仲良しの朝鮮人の子だった。終戦後は、平和な日本とアジアを。心の通う朝鮮人の友を得た。その何人かは祖国(北朝鮮)に渡る。悲惨な運命を辿ったと風の噂で聞いた。「金日成崇拝」が押し付けられる。この異常のなかで、朝鮮の友を失ったという人は少なくない。後で知ったことだが、拉致問題もこの頃からだった。怒り心頭に、当然である。同時に、こんな風潮のときこそ、歴史を顧みなければと思った。1910年、朝鮮植民地化以来、日本がどれほど残酷だったか。一事だけあげておこう。関東大震災時の、朝鮮人大量虐殺は、軍隊、警察とともに、住民自身がやったのだ日本人は恥じねばならない。

 

 北朝鮮の、事前通告なしのミサイル発射は、国際ルールにも「日朝平壌宣言」の確認にも違反する無法行為である。直ちに中止し、平和な国際社会の一員となるよう求めるべきだ。すでに6カ国協議という、外交的解決の場がある。日本政府は、このときこそ能動的に、北朝鮮にたいして「平壌宣言」の順守を強く求めていくべきだろう。対米一辺倒の外交でなく、韓国,中国はじめ、アジア各国との連携に力を尽くすべきではないか。なお「平壌宣言」には、核・安全保障問題とともに、日本の朝鮮にたいする、過去の歴史問題の解決も位置づけられているはずである。自らが作った歴史に責任を負う姿勢で臨む、この誠実さこそ、アジア外交の成否を左右するのではなかろうか。


新世紀は軍事同盟やめる時代なのに

2006-07-01 19:47:54 | 日記・エッセイ・コラム

 

 小泉首相とブッシュ大統領が、6月29日、ワシントンで日米首脳会談をやり「新世紀と日米同盟」と題する「共同文書」を発表した。一応、目は通したが、全面的な論評や批判など、おこがましいことをやるつもりはない。だが、余りにもひどい内容なので、黙っているのも気がひける。断片的な感想にとどまるが、一言は触れなければと思った。それは「日米同盟」とは何なのか、地球的規模の「同盟」とは何を狙ったものかである。この機会に、多くの人が、自由に、のびのびと考え、語り合ってはどうか。今は「日米同盟」を絶対視するような世界でも時代でもなかろう。先入観、固定観念にこだわることもないだろう。私の願いは、そんな気運が盛り上がることである。

 

 超大国・アメリカが始めたイラク戦争は、イラクを泥沼化した。内外からの批判の高まり、国際的孤立化は著しい。ブッシュの支持率も低迷。こんなときの首脳会談である。29日の晩餐会で、小泉首相は言った。「米国は一人で悪に立ち向かっているわけではない。常に同盟と共にある。日本は米国と共にある」と。ある新聞は「鳴り止まぬ拍手、ブッシュの目が一瞬うるんだように見えた」と報じている。日米関係がよければ、アジア諸国ともうまくいくという対米一辺倒の小泉外交がもたらしたものは、アジアでの孤立化である。世界とアジアで孤立する日米首脳が合意したというのは、軍事同盟を地球的規模にまで拡大、どこかで先制攻撃の戦争がやられたら共同しようというものである。まさに暴走、狂気の沙汰である。

 

 今朝、あるテレビで日米同盟についての討論があった。某大学教授や、東大阪と東アジアを何度も言い間違える元大臣が、日本の安全のために「日米同盟」は絶対だと大声をあげる。その理由の説明はない。これまでの実際はどうだろう。「安全保障条約」で軍事基地を受け入れたが、米軍の対外侵略の出撃基地にされただけ。自衛隊はインド洋、イラクに出動したが、日本防衛のためだったとは言えまい。今度の「共同文書」では、米軍と自衛隊の軍事的一体化や、米軍のプレゼンス(存在)の持続化が合意され、その「完全かつ迅速な実施」が、アジア太平洋地域の平和と安全に必要だなどとしているがウソ臭い。日米同盟が敵から国を守る「抑止力」だというのは屁理屈に類する。