明日につなぎたい

老いのときめき

晩春・三つのこと

2014-04-29 18:22:23 | 日記・エッセイ・コラム

 62年前の1952年4月28日に発効した日米講和条約で、日本の施政権はいちおう返還された。しかし沖縄は本土から切り離され、引き続きアメリカの施政権下におかれた。こんな事情におかまいなく、安倍内閣は去年、この日を「主権回復の日」として式典をやった。どういう神経なのだろう。沖縄の人たちは脳天を殴られたような気持だったそうだ。抗議のための「屈辱の日・沖縄大会」を開いた。県内外から批判が相次いだ。そして、今年は式典なし。「沖縄のことなど深く考えずに開催を決めた後、想定外に厳しい批判が起きて・・・」との政府関係者の話も流れている。菅官房長官は「今後、節目ごとに行う」と言ったが、こんなアホな式典やらない方がいい。歓迎されていないのだから。

 

 琉球新報に沖縄八重山地区・竹富町の記事が出ている。この町は政府から育鵬社版のヘンな中学公民教科書使用を強いられているが、教育はトップレベルだという。「13年度全国学力テストでは、小学校の全教科で県平均を上回り、国語Aは全国平均を超えていた。中学校ではすべて全国平均を超え、国語Aについては全国トップの秋田県をしのいでいる。教師が子ども一人一人に寄り添い・・・学校や地域、行政も連携してしっかり教育を支えている。頑張っている小さな島を強権で押しつぶすような是正要求は断念すべきだ」。痛快な話である。私は政府・文科省に言いたいと思った。ヘンな教科書の押しつけやめろ。教育の主役は誰だと思っているのか。現場の教訓を勉強しろよ。その気がなければ教育を口にする資格はない。

 

 この北国に春はあったのか。原発事故に合った福島を想う。事故は収束どころか進行中である。放射能の放出、拡散が止まらない。土地も空も海も汚染が続いている。6万所帯13万人の避難者、いつ帰れるのか。県の調査によれば、家族ばらばらで生活している所帯は半分近いという。悲しい話である。原発を推進し事故を招いた国は全く無責任、無反省である。原発をエネルギ―政策の基本だとし、再稼働へ、さらに海外輸出への道を進んでいる。炉心がどうして溶けたのかが未解明、使用済み核燃料の処理方法もないというのに。除染を急げ、避難者支援を、万全の健康管理を、原発ゼロへ。この世論が政治を動かす。いつか北国にも春がくる。そう信じて生きていきたいと思う。


はるか南の島に何が?!

2014-04-23 18:31:26 | 日記・エッセイ・コラム

 

 「国を愛する態度を養う」という文言を入れたいがために、ケチのつけようのない前教育基本法の改悪を、与党だけの単独採決で強行したのは、第一次安倍内閣である。2006年秋のことだった。めざすは国家主義の復調、教育の”再生”、その第一歩ではなかったか。日本の教育はどうなる、危ないと不安がった人はさぞかし多かっただろう。だが、安倍お友達内閣の閣僚は、しばしばスキャンダル、不祥事を起こし、数々の暴言を放つ。その挙句、参院選で大惨敗、突如として退陣する。その後、変わり映えのしない政権交代を経て、第二次安倍内閣が返り咲いたが、さっそく暴走が始まる。その一つが安倍首相の執念である教育への支配である。教育委員会制度を骨抜きに、首長の介入を認める法案が上程されている。

 

 私は、こんな流れのなかで沖縄の八重山教科書問題のことを思った。自民党は、2011年の中学教科書採択の際、侵略戦争を美化する育鵬社の歴史・公民教科書の採択を全国各地で推進した。さまざまな複雑な過程があったようだが、八重山地区の石垣市と与那国町は育鵬社版を採択した。しかし、竹富町は不採択、独自に寄付金で文科省検定済みの東京書籍版を購入している。文科省も「地方自治体が自ら教科書を購入し、無償供与することは法令上禁止されていない」としていた。ところが安倍政権になってから違法だと言いだし育鵬社版の押しつけにかかる。前川喜平初等中等教育局長も言う。「文科省において政権交代の後、より強い指導を行うようになったのは事実だ」。権力支配が丸見えである。

 

 育鵬社版は基地問題の記述が殆どないそうである。現実無視も甚だしい。安倍首相たちの歴史認識が働いているのだろう。高校教科書についても触れておこう。1945年、米軍との凄惨な地上戦を余儀なくされた沖縄県民は、日本軍の命令で集団自決させられた。文科省は日本史教科書から「日本軍の強制」という事実の削除を命じた。そして消された。第一次安倍内閣末期の頃の事件である。宮古島、石垣島を含む全県11万人の抗議集会が行われた(07・10・1本ブログ)。歴史の偽造は許されない。教科書は本来、教師・子ども・保護者・住民の意向に基づいて選定されるべきである。権力の意にそった特定教科書の押しつけは許されない。竹富町がんばれ!この声を大きくしたいものである。


御堂筋の抒情

2014-04-17 17:22:53 | 日記・エッセイ・コラム

 

 久しぶりに御堂筋に出た。有名な銀杏並木は健在のようだ。大阪の華やかなメインストリ―トなのだが、抒情の面影を残している。 ”小ぬか雨降る御堂筋・・・あなたは何処よ あなたをたずねて南へ歩く” 『雨の御堂筋』というヒット曲の一節だが、他にも御堂筋の名が出てくる歌曲は少なくないそうだ。全国規模のマラソン大会のコ―スとしても使われている。御堂筋の名は、北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来している。その昔、人々の信仰の場をつなぐ道筋だったのだ。俳人・松尾芭蕉は旅の終わり、御堂筋の中央区久太郎町(現)で没した。

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 江戸時代は細い道だったそうだが、近年の都市計画で拡幅工事が進み、下には地下鉄御堂筋線が走る。戦災復興を経て開発が急ピッチで進む。交通量が激増して今は一方通行の道に。両側にビルが立ち並ぶ。シ―ズンには派手な商業主義のパレ―ドやイルミネ―ションで飾られることがあるが、御堂筋は大阪の歴史・文化の象徴の一つ、庶民が親しんできた情緒は失いたくないものだ。文化を憎悪する維新の会の橋下大阪市長が、財界人に向かって「高層ビルの最上階につくる超高級住宅に、愛人2,3人を住まわせて」と呼びかけた。こんな話を思い出すと御堂筋を汚されたような気になる。吐き気を催す。


思想・良心は曲げぬ

2014-04-13 15:14:17 | インポート

 

 「私が市役所に就職したのは黒田革新府政が誕生した頃の70年代、老人医療費無料化制度が施行され、私はその証明書を出す仕事だった。窓口にくるおばあちゃんが私に手を合わせ『もう嫁に気兼ねせんとお医者さんにかかれます』という。市民がこんなに喜んでくれる。私は地方公務員の誇りを持つことができた。おばあちゃんが言う。『知事選挙では黒田はんでっせ』。それから40余年たった今、橋下大阪市長は業務命令で職員にたいする思想調査をやった。正確に回答しなければ懲戒処分もあるぞ。脅迫だ。特定の政治家を応援する活動などへの参加の有無、誘った人の名前も書けという。あのおばあちゃんのこともか。わが良心にかけて絶対拒否の腹をくくった」。

 

 この話を聞いたのは4月12日『レッド・パ―ジ反対大阪連絡センタ―第3回総会』の場である。市職員が話を続ける。「橋下市長がまた暴言を吐いた。”みなさんは市民に命令する立場だ”と訓示したのだ(2013年4月3日・新規採用職員発令式)。憲法の規定は、公務員は全体の奉仕者である。私たちはどんな目にあわされようとこの立場を貫いてきている。こんな姿が回りの人たちから信頼される。私たちの仲間が増え始めている。あんたたちの組合に入って死ぬまで頑張りたいという人もいる」。聞いている私の胸は熱くなっていった。なお、あの思想調査は思想信条の蹂躙、不当労働行為だとして広く糾弾され、地労委の命令で回答の開封と集計作業は凍結となっている。

 

 レッド・パ―ジは1950年前後、全国で4万人以上と推定される共産党員、支持者を有無をいわせず職場から追放。全くいわれなき不当解雇。労働運動を反共・労使協調へと右傾化させた、戦後最大の思想弾圧、人権侵害事件である。米占領軍とつるんだ当時の自民党・吉田内閣が犯した国家犯罪である。被害者・家族の辛苦は言葉で言い尽くせない。私もこの日、知り合いの被害者何人かと顔を合わせ言葉を交わした。90歳前後の人ばかりだ。名誉回復と国家賠償を求める運動に人生をかけている。生きているうちに、その切実な思いが伝わってくる。いま、広がっている思想・良心の自由のための運動と、レッド・パ―ジ反対の闘いはつながっているようだ。私は市役所はじめ何人かの話を聞きながら、一条の光を見たような気がした。


小保方さんとSTAP細胞

2014-04-10 20:52:35 | インポート

 

 9日午後、テレビの前に座り込んで小保方晴子さんの記者会見の模様を見る。小保方さんのSTAP細胞の論文は、捏造(ねつぞう)、改ざんなど不正があったとする理化学研究所調査委員会の報告に対する反論の場である。私はド素人、中身より感情が先立つ。孫世代の若い女性が無数のフラッシュを浴びながら心情を語る姿が痛々しい。「私の不注意、不勉強、未熟さが多くの疑念を生んだ」と謝りながら、改ざんや捏造は否定し、STAP細胞の存在は真実だと主張した。だが、これでは到底おさまらないらしい。その後のテレビ、新聞の報道、解説を見るが、「科学的根拠がうすい」「説得力がない」「納得できない」などのコメントが目立った。そうかもしれないが、私には前向きの発言ではないように思えた。

 

 STAP細胞は人体の組織や臓器を再生させる可能性をもつものと聞いている。この細胞の発見に希望を託す人も多かったのではなかろうか。小保方さんは記者の質問に答えて「私に研究者としての今後があるなら、STAP細胞が誰かの役に立つ技術にまで発展させていくという思いを貫きたい」「私が実験して幹細胞を見たいという人がいれば、どこにでも行く」「この研究を少しでも前に進めてくれる人がいれば協力したい」「STAP細胞の研究をできるだけ早く進めて、希望を持っている人の思いに少しでも応える態度を示したい」と、科学者としての使命を語っている。私は世の先生たちもメディアも、この発言にもっと注目して欲しいと思った。これこそが前向きということではなかろうか。

 

 理化学研究所は、不服申し立てを受理し、再審査になるだろうが、捏造、改ざん云々の議論はうんざりである。これからSTAP細胞の存在の有無を検証する実験をやるそうだが、これが大事だろう。だが、小保方さんはこの検証チ―ムに加えないらしい。それはおかしい。「STAP細胞作製に成功した。細かなコツをすべてクリアできれば必ず再現できる」と言っている人を除外するというのは科学者の立場ではなかろう。科学の目的は人のため、世のためだろう。難病に苦しむ人々、再生医療に期待する人々の思いに応えたいという学者、研究者を集めて巨大チ―ムを立ち上げたら、必要な予算は国に求めたらと思う。生物の敵である原発の関係予算などゼロでいいのだ。