夏、恒例の「旭区 平和のための戦争展」が、19,20日に行われた。年毎に、規模も大きくなり、企画も多彩になっている。私が、プログラムを見て、とくに惹きつけられたのは二つの講演であった。郷土史研究家・Kさんの「知られざる旭区の戦争の傷跡」(一日目)、ジャーナリストのHさんの「憲法、核廃絶、メディアの今」(二日目)である。旭区に住みついて20年余になるのに、この町の戦争被害がどうだったのか、思えば、断片を聞く程度で済ましてきている。いわば「知らざる私」であった。その「自覚」が講演に気をそそらせたのだろう。私のメディア観は、どちらかというと「辛口」だ。視野が狭いのだろうか。Hさんが、どんな解明をされるのか、期待を胸に会場に入った。
1945年6月7日、”空の要塞”といわれた米空軍のB29爆撃機409機が大阪を襲った。これで旭区の三分の一、5千軒が焼かれ、当日261人が死亡。高射砲部隊に占用されていた大阪工業大学(当時、摂南工専)も1トン爆弾の直撃をうけ、校舎・設備の大部分を焼失したという。旭区・守口市にまたがっていた集成高女も焼夷弾で全焼、先生一人、生徒七人が散華する。この日は旭区最悪の日。被害規模、町の大小がどうあれ、人の命の尊さに変りはない。Kさんのこの言葉が印象的だった。当局、新聞の発表は、被害は僅少、戦果は誇大。聞くうちに、高度1万米を飛ぶB29にとどかぬ高射砲弾、追いつけぬ特攻機を描写した、神坂次郎氏の「今日われ生きてあり」の一節を思い出していた。
新聞界は戦後、ウソの代名詞とされた「大本営発表」の枠内にあったことを反省し「国民と共に立たん」との決意で再出発した。Hさんの話はここから始まる。そして、今、焦点になっている、憲法、核廃絶、メディアの動向、この三つのキーワードが、どう相互に関係しあっているかが説かれる。「猿ぐつわ はめて 被爆を語らせる」という川柳を紹介しながら、憲法擁護や、核兵器の告発を訴えるにも、さまざまな障害があること、改憲、核抑止力を是とする「論陣」をはる一部マスコミの姿勢も指摘される。だが、最近の世論調査では、多くは社会保障、景気、雇用対策が関心事、改憲は1割以下。憲法を知らない人は過半数だという。運動の宝庫がここにあると言われて、みんな納得したようだ。
「今回の”戦争展”成功ですね。よかったですね」。こんな声が入ってきた。