明日につなぎたい

老いのときめき

戦禍・憲法・メディア

2006-08-21 13:08:47 | 日記・エッセイ・コラム

 夏、恒例の「旭区 平和のための戦争展」が、19,20日に行われた。年毎に、規模も大きくなり、企画も多彩になっている。私が、プログラムを見て、とくに惹きつけられたのは二つの講演であった。郷土史研究家・Kさんの「知られざる旭区の戦争の傷跡」(一日目)、ジャーナリストのHさんの「憲法、核廃絶、メディアの今」(二日目)である。旭区に住みついて20年余になるのに、この町の戦争被害がどうだったのか、思えば、断片を聞く程度で済ましてきている。いわば「知らざる私」であった。その「自覚」が講演に気をそそらせたのだろう。私のメディア観は、どちらかというと「辛口」だ。視野が狭いのだろうか。Hさんが、どんな解明をされるのか、期待を胸に会場に入った。

 

 1945年6月7日、”空の要塞”といわれた米空軍のB29爆撃機409機が大阪を襲った。これで旭区の三分の一、5千軒が焼かれ、当日261人が死亡。高射砲部隊に占用されていた大阪工業大学(当時、摂南工専)も1トン爆弾の直撃をうけ、校舎・設備の大部分を焼失したという。旭区・守口市にまたがっていた集成高女も焼夷弾で全焼、先生一人、生徒七人が散華する。この日は旭区最悪の日。被害規模、町の大小がどうあれ、人の命の尊さに変りはない。Kさんのこの言葉が印象的だった。当局、新聞の発表は、被害は僅少、戦果は誇大。聞くうちに、高度1万米を飛ぶB29にとどかぬ高射砲弾、追いつけぬ特攻機を描写した、神坂次郎氏の「今日われ生きてあり」の一節を思い出していた。

 

 新聞界は戦後、ウソの代名詞とされた「大本営発表」の枠内にあったことを反省し「国民と共に立たん」との決意で再出発した。Hさんの話はここから始まる。そして、今、焦点になっている、憲法、核廃絶、メディアの動向、この三つのキーワードが、どう相互に関係しあっているかが説かれる。「猿ぐつわ はめて 被爆を語らせる」という川柳を紹介しながら、憲法擁護や、核兵器の告発を訴えるにも、さまざまな障害があること、改憲、核抑止力を是とする「論陣」をはる一部マスコミの姿勢も指摘される。だが、最近の世論調査では、多くは社会保障、景気、雇用対策が関心事、改憲は1割以下。憲法を知らない人は過半数だという。運動の宝庫がここにあると言われて、みんな納得したようだ。

 「今回の”戦争展”成功ですね。よかったですね」。こんな声が入ってきた。


「政府見解」と「靖国史観」

2006-08-15 16:51:37 | 日記・エッセイ・コラム

 

 15年間も続いた、アジア・太平洋戦争を語るとき、私は何度か、政府の公式見解(95年・村山首相、05年小泉首相)を引用してきた。何故なのか。最近、政府関係者も、与党議員も、余りこのことに触れた発言をしなくなっているように思えるからである。それどころか、逆に「あの戦争はわが国の自存自衛、アジア解放のために、避け得なかった戦い」だったとまで公言するものがいるからである。テレビで、評論家とかコメンテーターの乱暴な発言を聞くと無性に腹が立つ。この人たちの戦争観、歴史観は、いま焦点になっている靖国神社の主張と酷似している。「政府見解」との”正面対決”かのように見える。「靖国神社と政府の考えは違う」という小泉首相の国会答弁を思い出してもらいたい。

 

 「政府見解」は、「国策を誤り、戦争への道をあゆんで国民を存亡の危機に陥れた」「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」としている。靖国史観の論者は、この見解は本心ではないとでも言うのだろうか。だとすれば、重大な国際的背信になる。この人たちは、日本国民の「存亡の危機」、アジア諸国民に与えた「多大の損害と苦痛」がどれほど悲惨なものであったか、身に沁みているのだろうか。何故、A級戦犯の合祀を支持するのだろうか。国と国との争いに犠牲はつきものだ、戦争を始めて負けた責任はあっても、犯罪ではないなどと考えているのだろうか。それでは、余りにも人の命、人生を軽んじているのではなかろうか。そう思えてならない。

 

 近代の戦争は、凶悪犯罪の合成体のようなものだ。アジアの人々には、殺人、その教唆・幇助、放火、強盗、強姦、傷害、脅迫、住居侵入その他、残忍きわまる凶行が加えられた。大日本帝国は、自国の軍隊にも残酷であった。「大義」なるものを説いて「特攻」を志願させたら「自殺教唆」になるではないか。降伏を認めず「玉砕」(全滅)を命じたり、武器、食料を補給せず、ジャングルを放浪させたら、大量殺人にならないだろうか。国内の「非戦闘員」は、原爆を頂点とする、無差別の空爆にさらされた。飢餓にあえいだ。こんな悲劇を内外で進行させた政治、軍事の指導者は、犯罪者として断罪されて当然ではなかろうか。多くの人が、国のために、勝つためにと、命をかけた。その国とは、戦争とは何だったのか。改めて、深く考えるときではないだろうか。平和のためにである。


戦争を裁くー見て聞いて感じて

2006-08-13 12:05:23 | 日記・エッセイ・コラム

 

 61年前の8月15日、日本は終戦(敗戦)を迎えた。この戦争は何だったのか。政府の公式見解は「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道をあゆんで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々にたいして多大の損害と苦痛を与えました」との発表に示されている(95年、村山首相、05年、小泉首相)。相当の根拠と資料をもとにした上での発言だと推測する。ところが、今になって「あの戦争は自存自衛、アジア解放のためだった」とする議論が目立ってきている。その支柱になっているのが「靖国史観」だといわれる。危険な狙いが底に見える。ならば、もっと深く、正確に、あの戦争、その責任を裁こう。日本人の責任ではないか。

 

 いささか気負いこんでいる矢先、この夏、原水爆禁止世界大会に参加した近所の女性の報告を読ませてもらった。冒頭に「居住で、憲法9条の会が発足し、戦争体験者のリレートークを聞いたとき、聞くだけで受身になっている自分に気がつきました。戦争のつらい想いを年老いた方たちにいつまでも語っていただいていてよいものか・・まず現地に行って、見て、聞いて、感じたい」とある。彼女は、原爆投下の日、火の手が迫るなかで、広島全滅の第一報を通信した15歳の少女、自らも傷つきながら、被爆者の治療にあたり、その記録「ヒロシマ日記」で、世界に惨状を訴えた病院長。この二つの逸話から多くを学び「受身でなく、実際行動を起こすことが私自身の課題」だとしめくくっている。

 

 彼女は、18歳、15歳の男の子の母親で、自身も「戦争を知らない世代」である。その人が「年老いた方たちにいつまでも」と自戒している。優しい。そして前向きだ。立派!報告を見た我が「老夫婦」は感動した。こんな人たち、他にも沢山いるだろう。現場に入って戦争を知り、歴史を学び、新しい歴史を創る、その主役たちが成長していく姿を見るような想いがした。だが甘えるつもりはない。310万人の日本人、2000万人のアジアの人々の命を奪った戦争、その責任を問う証言者の一人である。あの戦争に無反省などころか、正当論までふりまく風潮を黙視する気はない。若い世代の新鮮な知恵と活力に教えられながら、戦争の再現を許さず、平和にむかって微力を尽くしたいと思っている。


悪魔だ!劣化ウラン弾

2006-08-07 15:09:25 | 日記・エッセイ・コラム

 

 一ヶ月ほど前に届いていた「イラクの子どもを支援するおおさか市民基金」からのメールを見直した。「『劣化ウラン弾』ってご存知ですか?アメリカがイラクで大量に使用した兵器で、現在多くの罪なき人々がガンなどの病気で苦しんでいます」とある。劣化ウラン弾は、大量の核廃棄物が原料。鉄もコンクリートも戦車も打ち砕く、物凄い威力の兵器てだ、しかも、放射能被害がひどいと聞いている。数日前に視たテレビを思い出した。何度もイラク入りしたフリーのジャーナリストがゲストで出ていた。この人の持ち込んだ映像と証言に驚愕した。劣化ウランは悪魔だ。よくもこんなものを。不憫さと、憤りが交錯して、一瞬、熱い塊が体内を駆け巡ったようだった。

 

 幼い子どもの背中は、大人のこぶし大の腫瘍で腫れ上がっていた。10歳にもならぬ少女が、痒いのだろう、真っ赤に爛れた腕をかきむしっている。恐るべき皮膚ガンである。2ヶ月の赤ん坊が命を失う哀れな話も聞かされた。6日、「原爆の日」の夜、他局の「スペシャル調査報告・劣化ウラン弾」も視た。アメリカは、湾岸戦争(91年)、コソボ紛争(99年)、そしてイラク(03年~)で、劣化ウラン弾を90万発、300トンも投じたという。全身の痛みを訴え、胸元や腕の腫瘍をもつ人が映される。誤射で劣化ウラン弾を浴びた米兵が苦しんでいる。粉塵を吸うだけで、遺伝子が突然変異するとの研究結果も出ている。しかし、アメリカ軍当局は、根拠薄弱として、被害には消極的、否定的態度だという。

 

 なぜか。威力抜群で安上がりのこの兵器、使い続けたい。その意図があるからだとの説が流れている。国連人道委員会は、劣化ウラン弾は国際法違反だとし、EU連合は使用禁止を求めている。唯一の被爆国・日本の政府もこの際、アメリカに物言うべきではないか。アメリカの核抑止力の傘のもとで安全が保障されている、こんな幻想から一刻も早く目覚めてほしいものだ。イラク・バクダッドは今、戦場そのものだという。何もしなかったと言われる陸上自衛隊は撤収したが、物資を運ぶ航空自衛隊は、米軍の頼りになっているらしい。まさか「悪魔の兵器」までもとは思いたくない。アメリカの顔色など無視して、実のある、人道支援にふみこむべきときではないだろうか。


不愉快なテレビ討論

2006-08-06 16:36:27 | 日記・エッセイ・コラム

 

 6日朝のNHKテレビで「原爆戦没者慰霊式並びに平和祈念式」の中継放送を視る。会場はもちろん、原爆ドームに面した、広い平和記念公園である。みんな善男善女にみえる、参列者数はどれほどなのか、いずれ発表されるだろう。広島市長の挨拶には、核兵器廃を世界に訴える迫力を感じた。二名の小学生が読み上げるメッセージにも、被爆者の想いをこめた平和への健気さが伝わる。小泉首相は3番目だったが、短くて月並み、これでも唯一の被爆国の代表だろうか。そう感じたのは私だけではあるまいと思った。だが、例年のことだから、それほど気にはならなかった。不愉快だったのは、このあとの同局の番組、「日曜討論」だった。

 

 「戦後61年・どう考える靖国問題」「首相参拝は・中国韓国との関係は」というテーマ。この番組のいつもの司会者を挟んで、あちこちの大学教授6人が3人づつ向かい合う。平たく言えば”ハト派”と”タカ派”のやりとりであった。期待したわけではないが、それでもお粗末だ。まともな歴史論争とまではいかない。とくに「タカ派」の議論が不愉快だった。靖国に合祀されているA級戦犯は、戦勝国から一方的に罪を問われたのだなどと、「東京裁判」を非難するが、あの戦争への批判も反省の弁もない。靖国神社がどんな性格のものか、一考してみる姿勢も見えない。靖国は、戦死者を神として祀る神社だとの一辺倒。異論に耳をかさないのか。私にはそう思えたが、どうた゜ろう。

 

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々にたいして多大の損害と苦痛を与えました」。95年、村山首相(当時)の発表した見解である。それから10年後、小泉首相も、アジア・アフリカ首脳会議(バンドン会議)で、この見解を繰り返した。表現や実際の行為がどうあれ、日本政府の公式態度である。靖国神社は違う。あの戦争を「わが国の自存自衛・・自由で平等な世界・・のため、避けえなかった戦い」だと礼賛し、この宣伝に懸命だ。その物証は「遊就館」、リーフ、ビデオ等で十分。戦争とは、その責任は、靖国とは、正面から真実に迫る議論が欲しかった。でなければ犠牲者は浮かばれない。