明日につなぎたい

老いのときめき

ふるさとを想って―川上さんのあしおと

2018-08-28 18:18:10 | 日記

 1960年5月19日深夜、自民党は、警官隊、暴力団を国会に導入し、翌20日午前0時すぎ、新安保条約承認の単独採決を強行した。安全保障と名はつくものの、実態は日米共同作戦の義務付け、米軍駐留と基地の使用を受け入れる屈辱的な軍事同盟である。国民の反対運動は史上空前の規模に盛り上がったが、そのエネルギ―源は、日本民族の運命にかかわるとの危機感であった。だが、悔しくも新安保条約は国会で批准されてしまった。冷酷な現実を目の当たりにした学生デモ隊が涙して歌ったのは、故郷の歌「赤とんぼ」だった。安保闘争は故郷を守る戦いだったのだ。

 国会議員除名、公職追放の迫害を受けていた川上貫一さんは、安保闘争後の総選挙で見事に返り咲く。64年の委員会や本会議で、アメリカのベトナム侵略戦争と、これに協力する日本政府を鋭く追及した。「政府は、沖縄におけるアメリカの戦争基地をいつまで野放しにするのか、沖縄人民をいつまで見殺しにしておく了見なのか」「一体、池田内閣は、なにからなにまでアメリカに追従しておる。自主独立の心もない」。胸のすく論陣だった。私は、日本の故郷・沖縄を想う川上さんの魂の叫びだと、感動したことを覚えている。

 

 川上さんは正義感旺盛、俊敏な政治家だったが、自然をこよなく愛する文化人だった。達者な書と墨絵で山、川、海の美を表現した。故郷・岡山の山間部を駆け巡った少年期、子どもと遊んだ教師体験、縣、府庁の職員として社会福祉への献身、そして社会矛盾につきあたり、社会主義に目覚めていく。この人生体験が『あしおと』『とおいむかし』という自伝・随筆に収められている。「幾山河越えゆく毎に 山の辺の 夏深む花を 美(め)でてゆくか那(な)」。この和歌は碑に刻まれ、親交のあった西淀病院の庭に建っている。


川上貫一さんを偲びつつ

2018-08-23 14:00:57 | 日記

 今年は、共産党の川上貫一元衆院議員の没後50年目である。1949年、大阪2区から出て初当選。以来、6度にわたる当選。68年、80歳でに亡くなられるまでの20年間、親しくお付き合いさせてもらったのだが、ショッキングな政治的事件にも出くわした。1951年の国会で川上さんが除名されたのだ。川上さんは何を言ったのか。要約すれば「講和条約は米国とだけでなく、米英ソ中・4カ国との全面講和を。講和後には占領軍の即時撤退を。日本の軍事基地化は反対だ」であった。これらは国民的な運動の課題にもなっていた。正々堂々の質問演説だった。

 副議長・岩本信行は「川上君の発言中、不穏当の言辞があったようだから、速記録を取り調べの上、適当の措置を講じる」と言い、吉田 茂総理は「ただいまの議論は、共産主義の宣伝だから」と答弁を拒否した。川上懲罰動議が提出され、川上さんの陳謝を求める。川上さんは応じない。懲罰委員会が設けられる。社会党の猪俣浩三議員が言う。「川上君は信念に基づいて演説した・・(与党)はまず陳謝を要求し、これに服しなかったら除名に持って行こうという計画的なものだった・・・ファッショに対して民主政治の殿堂を守り抜きたい」と。

 猪俣議員は、除名を死刑になぞらえて「自由党(現自民党)は共産党の非合法化を考えているそうだが、法の制定以前に院内において実行しているのではないか」と指摘している。既に廃止されている思想、言論弾圧の凶器・治安維持法が、まだ政権与党の中で呼吸を続けているのだ。自由党の鍛冶良作議員が言う。「川上演説は日本共産党の本旨である、人を惑わしめ、これによって社会を混乱に陥れ、その挙に乗じて、暴力をもって革命を遂行せんとする底意から出たものであります」と。的外れ、噴飯、荒唐無稽の珍論、暴論だった。大阪人は賢く逞しい。川上さんを当選させて直ぐに国会へ送り返した。

 あれから66年後の2017年通常国会(共謀罪国会と名付ける人あり)で、金田勝年法相は「(治安維持法)は適法に制定され、拘留、拘禁、刑の執行も適法だった」と言い放った。あの侵略戦争と国民弾圧に全く無反省の表れだろう。先日、NHKが治安維持法をテ―マにした番組「自由はこうしてうばわれた」を放映した。しめくくりは「国民の自由を奪った治安維持法は戦争への道だった」であった。川上さんはもっと闘いたかっただろう。「人生80、功なきを恥ず」。死の直前まで呟いていた川上さんの声が耳朶に残っている。川上さんを偲ぶことは、戦後史と現代、未来をみつめる深い意味をもっている。


73年目の「8・15」

2018-08-15 19:54:13 | 日記

 今日、8月15日は、戦後73年目の「終戦記念日」である。日本が「連合国」に降伏し、日本の15年に及ぶ侵略と植民地支配が終わりを告げたときだから、まさに歴史的な意味を持つ日であった。当時、私は18歳だったが、どんな衝撃をうけたのか、感慨を持ったのか、鮮明な記憶がない。もちろん、日記のような記録も持っていなかった。正直に言えば、その日も腹ペコを抱えて、雲一つない青空を眺めていた。日射しのきつい、暑い夏の日だったことだけは覚えている。「神国・日本が敗けた」。悔しいとか、平和になる、嬉しい、でもなかった。ぼうっとしていたのだろう。あとで勉強させられた。

 

 今は、ちょっと賢くなっている。何か言わねば、そう思って”あの日”を迎えたときの各界著名人の言葉を調べて見た。焼け跡・闇市派を自称していた野坂昭如は「(8・15に)なんの感慨もなかった」と言いながら『火垂るの墓』を書いて、反戦・平和を願う人々の心を揺るがせた。『戦中派不戦日記』を書いた山田風太郎は、8月15日「戦いは終わった。が、この一日の思いを永遠に銘記せよ」と記した。浅田次郎は、千島列島を舞台にした小説『終わらざる夏』で「昭和二十年八月十五日、人類史上に記念すべきこの佳日・・・」と書いている。

 

 「8・15」は、日本とアジア、もっと言えば、世界にとっても、歴史の画期だったと言えるだろう。人々の生き様、人生にかかわる日ともなっている。作家たちの作品に「8・15」が出てくるのは、それが日本社会に訪れてくる必然の日だからだったのだろう。この流れに抗う悲劇もあった。昭和20年(1945年)8月15日の朝、阿南陸軍大臣が「一死以て大罪を謝し奉る」との遺書を残して割腹自決した。天皇に詫びたのか、戦地で散った何百万の将兵に対してなのか。哀れだが、軍指導部には「8・15」、平和の鐘の音が届かなかったのだろうか。


盆と「祝い日」と

2018-08-13 16:54:09 | 日記

 今日は盆。「盂蘭盆経」という経典にもとづく先祖供養の日である。一般には7月13日に始まり16日に終わるとされていたが、関西では旧暦によって8月に行われるようになっている。私は物心ついた頃から、盆は8月だと信じこんできた。盂蘭盆会は「種々の食物を祖先の霊に供えて、餓鬼に施し、祖先の冥福を祈り、その苦しみを救う」という宗教行事なのだが、殆どの人はこんなこと念頭になく「盆休み」にしてしまっているようだ。わが家とて同然、たまに祖父母や両親の墓参りが話題になる程度である。それも、まだ実行していない。

 

 ぼんやりと盆を迎えた私は、送られてきた『民主文学』(9月号)の頁をめくった。「祝い日」という短編が目に入った。読み始めてあっと思った。私の知り合いが出ている。一見して彼だと思った。その彼の細君が、この小説の書き手だ。彼は高校レベルの養成工としてS金属で働いている。人員不足の夜勤の場で、融けた鉄を浴びて大怪我、会社は体面からか、救急車を呼ばず、自社の専属病院に連れて行く。この企業の徹底した反共ぶりは変質者のようだった。その黒い手は、彼の結婚式・祝いの日にまで伸びてくる。だが、彼、彼女は負けなかった。

 

 彼は、信州の山の絵を描き続けている。苛酷な労働に耐え、露骨かつ陰湿な思想攻撃に屈せず、人と自然を愛し、それを山の絵で表現してきた。「祝い日」は50年前の回想から始まるが、私もその頃から彼と知り合っている。展示会などで顔を合わせたときは、親しく握手を交わす。強く、逞しい鉄鋼労働者は、山好きの優しい画家として成長した姿を見せてくれている。絵心のない私がこんなことを言うのは面映ゆいのだが・・。私の拙いブログも見てくれているようだ。「今日は盆」と冒頭に書いたが「祝い日」を読んで、有難い盆を迎えたような気になった。

 

 


そもそも

2018-08-11 13:37:12 | 日記

 8月8日、翁長雄志沖縄県知事が死去された。多くの人々が哀悼の意を表している。私もその一人である。こんなときの菅官房長官の発言が気に障った。「翁長知事の沖縄にかける思いをしっかりうけとめて」と言いながら「辺野古新基地建設を引き続き推進する」との態度を表明している。これまでと変わったことを言うとは思ってもいないが「しっかりうけとめる」はあまりにも空々しい。「翁長さんの思いをしっかりうけとめる」というなら、政府が進めている新基地建設を断念することしかないではないか。

 

 8月10、中国電力が建設中の島根原発3号機の新稼働を原子力規制委員会に申請したというニュ―スを見て不思議な気がした。今、メチャ暑い。どこもかしこも長時間、ク―ラ―を使っているだろうが、電力不足で騒ぎが起こったという話しは耳に入ってこない。仮にそうなったとしても、電力源を原発に頼ることはなかろう。他にあるはずだ。結局は「せっかく大枚の金を使って造った原発だ。使わんと損だ」という資本の論理が働いているだけではなかろうか。そもそも、絶対安全の原発なんてあるのだろうか。

 

 そもそも思う。時代は変わった。世界・アジアの平和は対話と外交が主である。沖縄・日本に米軍・基地などをおく根拠はなくなっているのだ。辺野古新基地が何で必要なのか、納得できる説明など聞いたことがない。政府筋は、普天間基地の負担軽減のためだというが、時代錯誤も甚だしい。基地そのものが要らなくなっているときではないか。原発と人類は共存できない。福島第一原発事故がそれを証明している。原発の安全は神話にしか過ぎなかった。何故、島根原発新稼働なのか。安全は絶対でなくてはならない。規制委員会なるものは絶対の存在なのだろうか?