明日につなぎたい

老いのときめき

「闇」に勝つ

2006-04-27 17:14:19 | 日記・エッセイ・コラム

  

 朗報、快報である。胸のすくようなニュースが伝えられた。女性というだけで、賃金、昇進を差別してきた、大企業の横暴が断罪されたのだ。住友金属工業(大阪市)の女性社員・元社員4人が、同社を相手に差額賃金などの損害賠償を求めていた裁判で、25日、大阪高裁が総額7600万円の支払いを命じる「和解」が成立、見事な勝利をおさめたのである。内容も、一年前、女性側が勝利した地裁判決を超えている。「企業内に賃金、待遇等の男女格差が適正に是正されたとは言いがたい」「大企業で意識改革へのとりくみがすすむことは社会的にも大きな意義をもつ」との文言の入った「和解勧告」がそれを示している。

  

 私は、去年3月末、地裁判決が報じられたとき「住金女性 誇り高くヤミに挑戦」という一文を書いた。憲法(14条)や、労働基準法(4条)は、男女差別を固く禁じている。「時代遅れ」の大企業がこれを蹂躙してきた。住金の女性たちは、この企業社会の闇、不条理に挑戦した。結果は勝利への第一歩に。その奮闘に敬意を表したのである。いま改めて感じる。男女格差、女性を最低にランクづける「闇の人事制度」を違法と断じた地裁や、今回の高裁判決をもたらした背景は何だったのか。それは基本的人権を明示した憲法の存在ではなかったか。この憲法こそが闇夜を照らす光なのだ。すべての職場に、地域に憲法あり。多くの人がそうありたいと願っていると思う。

  

 4月25日の朗報とはうらはらの、一年前のこの日の出来事を思い出した。死者107人、負傷者555人の大惨事、JR福知山線の脱線事故である。国鉄民営化で、安全より効率優先の低コスト主義、大量の人減らし、過密ダイヤ、苛酷な労働密度、国は規制緩和で、安全対策も事業者任せ。悲劇の温床はこういうところにあった。この26日には、耐震強度偽装の関係者8名が逮捕されたが、この事件の背景も、ルールもマナーも無視した、建設業界の過剰なコスト削減競争と、政府が建築物の安全検査を民間の営利企業に委ねた、その無責任さだとの指摘がある。何故これほどまでに人間を軽んじるのか。憲法の冒涜ではないか。日本の政治は暗夜のなかにある。はやく夜明けを!


愛と平和を謳うー9条の会しんもり

2006-04-23 23:21:08 | 日記・エッセイ・コラム

 

  23日、午後、わが町で「9条の会」が発足した。旭区の一角を東西によぎる旧京街道に面した、こじんまりした「ライブハウス」が会場である。ユニークな企画と宣伝が効いたのか、定刻に満員になった。ざっと50人か。「戦争をしない未来を子どもや孫たちに」。この呼びかけに、とりわけ敏感な世代の人たちが多かったようだ。とにかく区内二つ目の誕生である。この日は、もう一つの町でも同時進行。来月早々に結成するところもあり、計4カ所になる。区内10小学校区をめざしているそうだ。実現すれば、草の根運動にふさわしい体制が整う。楽しみである。

 

 かつての戦争が、どれほど悲惨なものだったか、絶対に風化させてはならない、語り継がねばならない。体験者の思いは切実である。平和憲法の尊さも身に沁みて感得している。前半のトークでは、淡々とした口調でそれが披瀝される。運よく生き残れたという77歳の男性が語った。「米機の空爆から逃れようとした人が、直撃を受けて一瞬のうちに絶命した、その場所を通るとき、今でも手を合わせてしまう」と。この一言が胸に焼きついた。みんなも共感したことだろう。憲法改悪で、自衛隊を軍隊に、日本を戦争する国に、こんなことをやろうとしている輩には、この敬虔な心情が通じるのだろうか。

 

 「愛と平和を謳おう」のタイトルをバックにコンサ-トが始まる。近年、音大を出たという、声楽家、ピアニスト、若い女性のトリオである。会場の雰囲気は、いっぺんに華やぎ、若返る。愛がテーマだと、イタリアのカンツォーネを聴かせてくれた。「オーソレミオ」「サンタ ルチア」など馴染みの曲も。平和の歌は「アメイジング グレイス」、日本の「さとうきび畑の唄」ほか。明るい、一体感が盛り上がる。音楽、とくにライブは素晴しい。参加者の顔は満足そうだった。わが町の9条の会、先ずは元気な第一歩となった。あとは継続である。この日のような、話題を呼ぶ行事ができれば、会の運動は確実にひろがるだろう。


自主、自立を貫け

2006-04-20 17:44:39 | 日記・エッセイ・コラム

 

  この18日、戦後政治のボタンの掛け違い、それが新しい悲劇の始まりだったと書いた。以下はその続きである。根本的な政治路線の間違いは、日本社会の異常ぶりをきわだたせた。それが5年間に及ぶ「小泉政治」に凝縮されているようだ。1、首相の「靖国参拝」に象徴される、かつての侵略戦争を正当化する風潮のひろがり。2、他に例を見ない、卑屈なアメリカへの追従ぶり。3、大企業大もうけ、社会保障切捨て、貧困と格差の広がり。この3点に特徴づけられる。この流れで政界の枠組みがつくられる。二大政党制である。マスコミは、あるときは「小泉劇場」を、あるときは「小沢民主党」を天まで持ち上げる。

 

  先日の続きとして(2)をとりあげよう。2001・9・11.ニューヨークでビル爆破事件勃発。ブッシュ大統領は「戦争だ」と叫び、アフガンへの報復戦争を開始。実に素早かった。小泉内閣は即座に協力表明、「テロ対策特措法」を成立させ、インド洋に海上自衛隊を派遣、給油活動とその護衛の任にあたる。だが、あの事件は戦争ではない。飛行機のハイジャック、器物損壊、殺人の凶悪犯罪行為である。国際的な警察機構で犯人逮捕、裁判にかけて断を下すべき事柄である。報復戦争でテロはなくならない。首相らには、こういう国際社会の道理やルールなど視野にないのだろうか。2003年のイラク戦争もいち早く支持、「イラク特措法」の強行成立で、陸上自衛隊、航空自衛隊派遣の準備に入る。

 

  小泉内閣は、アメリカが先制攻撃を始めるたびに、新しい特別法をつくって、戦争への協力、加担の道を開いてきた。アメリカとの同盟がその根拠だという。ドイツやフランスは、NATOでアメリカと同盟関係にあるが、イラク戦争に反対した。毅然としている。日本とはえらい違いである。ブッシュが戦争の論拠としていた大量破壊兵器はなかった。大義なき戦争ではないか。政府としても責任をとってしかるべきだが何もない。普通なら自壊する。それでも居座れるのは何故?「世におもねらず」「公正、自主、自立」を誓ったはずのマスコミも、すべてとはいわないが怪しい。頼りになるのは国民自身の世論と運動だ。真実はいずれは多数派になる。


ボタンのかけ違い

2006-04-18 16:33:39 | 日記・エッセイ・コラム

 日本の政治、何たるざまか。なにか言わねば。抑え難い気分だ。そのわりに、この表題、軽すぎるのではないか。そう受け取られるかもしれないが、敢えて、この言葉を使ってみることにした。ものごとの出発点・原点を考える場合「ボタンのつけ方」が、世間の親しみやすい「通用句」にされているように思ったからである。ボタンのかけ違いとは、道を誤ったという意味だが、だらしなさとか滑稽さをも連想させる。今の、権力をカサにきた横暴な政治家たちも、後世の人からは、ボタンをかけ違った、それに気もつかなかった、あさはかな、アメリカ好戦派のチルドレンだったと物笑いの種にされるかもしれない。

 最近、区内の平和運動や憲法問題を話し合う会合に出た。自衛隊(滋賀県・饗庭野)の突撃演習や市中行進を映したビデオを見た。「アメリカが日本を守ってくれるの?}という題の分りやすい講義を聴いた。日米講和条約と抱き合わせで締結された「安保条約」が話題になる。この「安保」で日本が守られていると信じている人がいるがどうだろう。いや、アメリカの世界支配の野望だ。日本を前線基地と位置づけ、講和後も、米軍駐留、基地存続のために安保条約を押しつけたのだ。このためにどれほどの税金が使われたことか。墜落事故や爆音、米兵の犯罪、なにも有難がることないではないか。こんな会話だった。

 51年、ときの日本政府は、この「安保」にそそくさと調印。戦後日本の新たな悲劇の始まりだった。60年改定の安保条約第5条で日米共同作戦が明文化され、第6条に米軍基地提供の約束がある。この安保体制下での一つの出来事を思い出す。64年、アメリカは、魚雷艇など持っていない北ベトナムが、米駆逐艦を魚雷攻撃したという「トンキン湾事件」をでっちあげて侵略開始。これに「理解を示した」当時のマスコミも情けない。日本は補給基地に、沖縄・嘉手納は米爆撃機の発進基地とされた。「安保」の「運用」であった。だが、果敢に戦うベトナム人民支援の連帯は強い。10年後、アメリカは敗退する。

 91年の湾岸戦争での多額の財政負担、ペルシャ湾への海上自衛隊・掃海艇の出動。そしてイラクに自衛隊派遣。今、企てられているのは、地球規模での日米軍事同盟体制と基地機能の強化である。日本防衛のためではない。安保体制・半世紀の歴史が証明している。ボタンのかけ違いに気づき、かけ直して欲しいものだ。「締約国は、この条約終了を通告できる。その後一年で終了する」(第10条)。対等で平和、友好の日米関係を実現したいものだ。


私の「医療デー」

2006-04-11 18:24:39 | 日記・エッセイ・コラム

 

  

 今日は、4週に一度の定期診察を受ける日である。出かける前、朝日新聞の声欄に載っていた「看護師の思いを知って欲しい」との投書を見た。大阪の看護師さんからの悲痛な訴えである。「夜勤の仕事に追われて、介助できず、トイレに一人で移動しようとした患者さんが転んでいた。悲しかった」「看護師は身も心もボロボロ」「患者さんにゆっくりと接したい」「休日くらいは家族と一緒に過ごしたい」。この叫びに、私の心は、切なく共鳴する。身近な例を知っているから尚更なのだろう。疲労の蓄積でダウンした訪問看護師の姿を見ている。夜勤の厳しさに娘が悲鳴をあげているというお母さんの話を聞いている。

 

  こんな思いを抱きながら、何十年も付き合っている病院に行く。この日は珍しく待ち時間が短い。予約より10分程の遅れで診察を受けられた。看護師さんが追いかけてくる。アンケートの依頼だった。「『医療の受け手からみたよい看護師』の質問調査にご協力下さい」とある。「日本学術振興会日韓科学協力事業」の助成で、よい看護師を育成するための研究だそうである。看護教育の現行3年制を4年制にして看護技術の向上を、という日本看護協会の主張を思い出し、アンケート用紙を受け取った。しかし、現実の看護師不を何とかしないと、看護師は潰され、医療は崩壊するのでは、私が持った危機感は拭えない。

 

 帰途、地下鉄駅の改札口で、二人の女性から会釈された。残念!私には見覚えがない。時々こういうことがあって失礼する。もしかして、病院に出入りしている介護関係の仕事をされている方では?まったく勝手な想像なのだが、それで思いが病院のみならず、病人を抱えた家庭にまで及ぶ。介抱、看病に必死の家族のことを思い浮かべる。尊い命を守る頑張りに、密かに声援を送りたくなる。そして、ここにも熟練の看護師の優しい手が差し伸べられているだろうか。そんな感慨を覚える。日本の医療は、まさに国民的な大問題である。その一断面を考えさせられた一日であった。