明日につなぎたい

老いのときめき

91歳まで生きた人々

2017-10-27 20:28:26 | 日記

 昨日から晴天が続いている。昼、ソファ―に座り、温かい陽を背に受けていた。だが、夜が早い。もう暗い。ふと本棚に眼差しを向けた。『人間臨終図鑑』(山田風太郎・徳間文庫)が目に入った。以前、この医学知識のある虚無主義の作家が、人の死をどう扱うのか、興味にかられて読んだことがある。91歳の私は、”同年のよしみ”で「91歳で死んだ人々」の箇所を開いた。渋沢栄一(1840―1931)。西園寺公望(1849―1940)、チャーチル英国元首相(1874―1965)、作家・サマセット・モーム(1874―1965)、武者小路実篤(1885―1976)、白井喬二(1889-1980)の名がが挙がっていた。

 

 渋沢は直腸ガン。術後肺炎で死ぬのだが「医者にも家族にも、病名はおろか病状さえ尋ねなかった」。西園寺は腎盂炎。「時局に対する失望と憂鬱はあまりにも深く、生に対する執着さえ失ってしまったように見えた」。チャ―チルの最後の言葉は「ずいぶんたくさんのことをやってきたが、結局何も達成できなかった‥ウンザリしちゃったよ」。モ―ムの晩年は「絶望と、ほとんど狂気の人であった」。武者小路は妻を見舞った後、脳出血。妻の死後、食事をとらず、ものいわず、世を去った。白井は「亡くなる5日前まで酒を飲んでいた」。誰も順調、円満な91歳ではなかったようだ。

 

 いくら頑張っても死は避けられない。そうでなければ生物の世界は成り立たない。山田風太郎は、この自明の理で人の死を取り上げたのだろう。しかも、死を面白く描いているようだ。読んでいて暗く哀しくなることはない。ウンザリせず、絶望せず、狂わず、生きることがだいじだ。91歳で死んだ先人は、こんな教訓を残してくれたようだ。百代で死んだ人には、野上弥生子、大西良慶らの名が挙がっている。よくぞ死を長く引き伸ばしたものだと感心する。死ぬのは遅いほど値打ちがあるようだ。91歳は90代人生の始まりだと思うことにしよう。


自民党 は沖縄で連敗した

2017-10-23 13:17:03 | 日記

 22日、安倍政権・さよならの日ならず、遺憾ながら「自民党大勝」だった。だが、私が注目していた沖縄は違った。小選挙区1、2、3区で、辺野古新基地建設に反対する「オ―ル沖縄」の候補者が当選、前回(2014・12)の選挙で全滅した自民党は、今回はどうだろうか。4区は未だ開票途中で不明。前回、沖縄タイムスは「沖縄のマグマは衆院選でも噴火し、溶岩流となって地上に流れ出した」と論じていたが、この流れは今も続いているようだ。沖縄が対米従属の坩堝(るつぼ)である限り、自民党は勝てないのだ。日本の未来を暗示している。

 

 私は、先日(21日)の記事で、投票に行く人たちに「沖縄を大切な選択肢にして欲しい」と訴え、自、公両党には「もう、ええ加減に米軍基地信仰の悪夢から覚めたらどうや」と言わせてもらった。選挙期間中、これらの党が沖縄について一言でも語ったことがあっただろうか。私には聞こえなかった。何も言わなかったのだろう。正直ではない。「米軍基地建設を推進しています」「米軍駐留費も負担しています」と言って、有権者の審判を仰ぐべきではなかったか。言えば沖縄の自民党のように負ける。それを恐れていたのだろう。

 

 有権者が、どこの誰に投票するかは全くの自由である。民主主義の鉄則である。自民党などに投票するのも、その人なりの考えあってのことだろう。同時に、その結果、自民党が多数を占め、沖縄に更なる苦悩をもたらすことになる。それを指摘するのも自由である。自公政権は、米国の強権に屈し、法廷の裁きにも従わず、基地反対運動には機動隊をもって鎮圧に出る、日本人の政府がやることか。それだから、自民党は沖縄で連敗するのだ。基地なき平和な沖縄なら、自民党は本土並みの選挙結果を得るかもしれない。嬉しくはないが・・・。


さよならの日に

2017-10-21 14:55:49 | 日記

 明日、22日は総選挙の投票日。自公・安倍政権の政治に「さよなら」を告げるチャンスにしたいものだ。戦後70余年を経たが、この政権は史上最悪だろう。得手勝手な憲法解釈で、数に物言わせて、安保法制(戦争法)、特定秘密法、共謀罪・・・数々の憲法違反の法律を強行してきた政権である。首相夫妻のお友達に特別の便宜を与える「森友・加計疑惑」は目に余る政治の私物化だった。首相は、この政治を批判する人たちを指して「こんな人たち」と露骨に敵意を示した。大阪の人は言っている。「えぇ加減にせえや」「もうやめたれや」。

 

 私は、投票に行く人たちに、沖縄問題を大切な選択肢にして欲しいと思っている。自公両党には「沖縄基地の存在を、なるようにしかならない運命」だと思っているのか。「狂信的な理性を失うほどに信仰」しているのか。信仰の相手は誰か。米軍か。それを問い質したいと思っている。米軍基地撤去、辺野古新基地反対は沖縄の民意である。これまでの国政、地方選の結果が明白に示している。自、公には「もう、ええ加減に米軍基地信仰の悪夢から覚めたらどうや」と言いたい。有権者は、沖縄の心を念頭に投票してもらいたいと願っている。

 

 先日(19日)、沖縄を眼中に入れない諸政党を指して「あぁ無情」と書いた。もちろん、有名なミュージカル「レ・ミゼラブル」に因んだわけではないが、今、改めて「レ・ミゼラブル」を想った。過去の悪事を捨てて誠実に生きようとするジャン・バルジャンの波乱の生涯を描いた、感動的な作品である。背景にフランス革命という巨大な歴史の流れがある。そこでの人間の生きざまが浮かんでくる。政界にある人も寸暇を割いて観る価値あり。明日は、政権が過去のものとなる一日、沖縄に転機をもたらす、新しい歴史の一頁になればと願っている。


あゝ 無情

2017-10-19 15:34:38 | 日記

 選挙管理委員会から配られてきた「選挙公報」(比例代表・近畿選挙区)を見た。私の大きな関心は『沖縄問題』を、どの党、候補者が取り上げているかであった。二つあった。日本共産党「オスプレイの訓練中止・配備撤回、低空飛行訓練の中止を」。社民党「辺野古新基地、オスプレイ配備撤回」。どちらも憲法の項の中に位置づけている。他に探したがもうない。目立ったのは自民党「この国を、守り抜く」。希望の党「守るべきものはしっかり守る」だった。沖縄を埒外において何を守ろうというのか。

 

 最近、沖縄・東村高江で、米軍ヘリが炎上、大破した。機体の一部で放射性物質が使われていたという、まさに大事故だった。だが、日本の警察の立ち入り調査は一切なし、海上保安庁も原因究明に関与できなかった。屈辱的な日米地位協定が楯にされているのだ。沖縄には日本の主権がない、日本国憲法が通用しないのだ。こんな重大問題を突きつけられているのに、安倍政権は「負担軽減」の口約束を繰り返すだけ。選挙になっても、自民党、公明党や維新、希望の党には、沖縄は眼中にないようだ。あゝ無情!。

 

 これらの党に言いたい。歴史を知れ。第二次大戦(アジア・太平洋戦争)で、沖縄は本土決戦の防波堤にされた。凄惨な戦場となり、4人に1人が亡くなった。米軍の無法な占領支配下におかれた。71年の本土復帰後もそれは変わらない。基地あるが故の数々の事故、米兵の犯罪が発生するわけだ。本来、日本政府は、基地撤去、米軍撤退を求めるべきなのだ。だが、実際は逆。すすんで基地を提供、新建設までやっている。安全保障のためではない。沖縄は米国の侵略基地なのだ。主権放棄も極まれり。この総選挙で厳しい審判を受けるべきだろう。


「逃げるが恥」では?シンゾ―さん

2017-10-17 13:49:02 | 日記

 去年の今頃だったか。「逃げるが恥だが役に立つ」というテレビ・ドラマが大人気だったそうだ。私も、ときたま見ていたような気がする。当然、ドラマの内容などまで覚えているわけはない。ところが、一年後の今になって、鮮烈に思い出すことになる。但し「逃げるが恥だが役に立つ」というタイトルだけである。そのきっかけは、安倍総理の「逃亡解散」であった。この人、臨時国会を開いて、いきなり解散の挙に出た。森友・加計学園問題の疑惑解明、追及から逃げたのである。それで、このタイトルを思い出したのである。

 

 安倍昭代夫人が小学校長だったことのある森友学園への国有地大安売り、安倍首相の親友が理事長の加計学園の獣医学部新設、二件とも最高の権力者の「ご意向」による政治の私物化だと疑われている。政治家として、人として恥ずべき行為だというしかない。この真相がバレるのを恐れて逃げるのは卑怯だ。せめて「逃げるが恥」だと思うのなら救いもあるだろうに、それもないようだ。逃げれば自分に「役に立つ」と思うだけなのだろうか。この人「我が生涯、恥多き人生」だと省みる殊勝さはゼロのようだ。

 

 選挙戦も終盤だが、安倍首相たちは「森友・加計」疑惑については口を閉じたままである。選挙で勝ちさえすれば、国民の信任を受けたと称して幕引きを図るのではないか。クロでもシロだと言い切って逃げるつもりだろうか。それは自らの恥の上塗りである。国民に「役に立つ」はずはない。それが分からぬ人間が、いつまでも政権の座に身を置く姿は見たくない。ウソの多い、力づくの政治はうんざりである。真実から逃げない、国民の役に立つ政治へ。正直で、ぶれないのは共産党である。安倍晋三が心底、恐れているのは、この党の躍進だろう。