昨日から晴天が続いている。昼、ソファ―に座り、温かい陽を背に受けていた。だが、夜が早い。もう暗い。ふと本棚に眼差しを向けた。『人間臨終図鑑』(山田風太郎・徳間文庫)が目に入った。以前、この医学知識のある虚無主義の作家が、人の死をどう扱うのか、興味にかられて読んだことがある。91歳の私は、”同年のよしみ”で「91歳で死んだ人々」の箇所を開いた。渋沢栄一(1840―1931)。西園寺公望(1849―1940)、チャーチル英国元首相(1874―1965)、作家・サマセット・モーム(1874―1965)、武者小路実篤(1885―1976)、白井喬二(1889-1980)の名がが挙がっていた。
渋沢は直腸ガン。術後肺炎で死ぬのだが「医者にも家族にも、病名はおろか病状さえ尋ねなかった」。西園寺は腎盂炎。「時局に対する失望と憂鬱はあまりにも深く、生に対する執着さえ失ってしまったように見えた」。チャ―チルの最後の言葉は「ずいぶんたくさんのことをやってきたが、結局何も達成できなかった‥ウンザリしちゃったよ」。モ―ムの晩年は「絶望と、ほとんど狂気の人であった」。武者小路は妻を見舞った後、脳出血。妻の死後、食事をとらず、ものいわず、世を去った。白井は「亡くなる5日前まで酒を飲んでいた」。誰も順調、円満な91歳ではなかったようだ。
いくら頑張っても死は避けられない。そうでなければ生物の世界は成り立たない。山田風太郎は、この自明の理で人の死を取り上げたのだろう。しかも、死を面白く描いているようだ。読んでいて暗く哀しくなることはない。ウンザリせず、絶望せず、狂わず、生きることがだいじだ。91歳で死んだ先人は、こんな教訓を残してくれたようだ。百代で死んだ人には、野上弥生子、大西良慶らの名が挙がっている。よくぞ死を長く引き伸ばしたものだと感心する。死ぬのは遅いほど値打ちがあるようだ。91歳は90代人生の始まりだと思うことにしよう。