明日につなぎたい

老いのときめき

8月の終わりに

2008-08-31 17:19:07 | 日記・エッセイ・コラム

 この8月、いつもの台風が少ないと思っていたら、前半は熱中症の恐怖にさらされる酷暑の連続、後半はゲリラ豪雨で全国各地に土砂被害、誰もが異変を感じたことだろう。自然現象だけではない。日本社会に異変が起こっている。燃油代の高騰である。割りが合わないといって漁師が船を出さない。ストライキである。びっくりした。ガソリン代値上がりの原因は、巨額の投機マネーが原油や穀物の世界市場に流れ込んだことにあるといわれる。農・漁業、中小企業はたまったものではない。”新自由主義”なるものによる規制緩和のなせる業か。

 

 北京オリンピックの月であった。いろいろ取り沙汰されることもあったが、この国際行事は終わった。衝撃だったのは、アフガンで農業、民生支援に活躍していた日本人青年が殺害された事件だ。背景には最悪の治安状況がある。テロにたいする報復戦争で罪なき民間人の多くが犠牲に。これが外国人への憎悪を募らせているという。それでも日本政府は、米軍のアフガン武力作戦を応援する給油活動を続ける。戦争によるテロ対策は明白に失敗。これが分からないのか。周りの声を紹介しよう。「アホとちゃうか」。

  

 福田改造内閣がこの月に発足、途端に太田誠一農水相の事務所費疑惑だ。同氏の政治団体事務所を秘書官の自宅とし、2年間で2345万円の事務所費を計上、しかし家賃を払っていない、専用スペースもない、専任職員も雇っていない、架空の事務所だったという疑惑である。4代目の灰色農水相である。この人物、中国製ギョーザ事件のとき「消費者、国民がやかましいから(安全対策を)徹底していく」との発言で物議をかもしている。「農水省って何をするところなんでしょう」。こんな記事をネットで見た。福田内閣は何をするのだろう。

 

 8月は平和記念の特別の月。”京橋空襲”の犠牲者を祀る慰霊碑の前で手を合わせた。あの戦争目的は何だったのか、支配層が目論んだ降伏は国民のためだったのか天皇制・国体護持のためだったのか、こんなことを改めて考えてみた。戦争体験者の一人としてもの言う場にも恵まれた。各地では原水爆禁止世界大会、”赤紙(召集令状) ”を配る8・15宣伝、平和のための戦争展・・。多くの人が尊い汗を流している。非核・平和、戦争なき世界をめざす運動が根をはっている。


被害者は忘れない

2008-08-26 13:52:32 | 日記・エッセイ・コラム

 

 23,24日は恒例の「旭区・平和のための戦争展  2008」。6回目になる。充実した企画で参加者は延べ400名、これまでの最高だそうである。私は二つの講演「わたしたちの暮らしと平和」「北朝鮮をどう見るか」を聴く。演題は違っているが、両講師とも平和とは何か、その前提は何かに迫っていた。これに挟まれて開かれた「戦争体験を語る会」にも出席した。これまでこの種の集いは10数名程度だったそうだが、今回は40名を越す盛況ぶり。体験者だけでなく戦後生まれの人が多かったからだ。喜ばしいことだ。だが戦後世代といっても60歳前後の人が少なくない。20~40歳台が来てくれればもっと嬉しいのにと想ったのは私だけだろうか。この場は体験を語り,聞き、そして考える会になった。

 

 戦地で肉親を失う。米軍機の空襲に怯える日々。焼け野原になった街。疎開するわが子を見送る親の涙。食料不足で空腹の毎日。航空兵に飛行機なし。学徒動員で軍需工場へ。それでもこの戦争は勝つと信じ、信じこまされ、8・15敗戦を知って大泣き。だが家に明るい電灯がつきほっとする。口惜しさと解放感が入り混じっていた。こんなことが淡々と語られる。激した語調はない。あのときから63年、ひたすら反戦・平和を求めて生きる、冷静に歴史を見る年輪を重ねてきたからだろう。国民を騙し続けた当時の支配層、そのお先棒をかついだマスコミへの怒りと不信は消えていない。世を去り、もの言えなくなった多くの犠牲者に代わって自らの体験を語る。この旭区にも歴史の証言者がいる。

 

 一人の講師が冒頭に言われた。「加害者は忘れる(真実の否定、歴史の偽造)、被害者は忘れない(記憶鮮明、真実を語り継ぐ)」。その実例に南京大虐殺、従軍慰安婦、沖縄集団自決への軍の関与の問題などがあげられた。もう一人の講師は結びに「平和への前提は、暴力の社会的構造をなくすこと、対等・平等であること、敵をつくらぬ中立であることだ」と説かれた。軍事同盟(日米安保)も核抑止力論も敵を想定した中立性を欠くものだとの説にも共感する。だが国民の多くはそうでないようだ。朝鮮問題の認識も含めて、政府の姿勢、マスコミの影響なのだろう。日本政府は膨大な軍事予算を組み、社会保障を削り、貧困と格差を増大させた。これが暴力を生む社会構造だとすれば、政府は相変わらず加害者である。だが忘れさせるわけにはいかない。

 


詩のあるブログ

2008-08-22 15:35:52 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 友人たちのホームページ・ブログが次々と出始めた。開いて見れば、それぞれが日々をだいじにしている様子がうかがえる。社会の厳しさから目をそらさず、変革を志しながら、自然にも親しむ。野山を歩き、花を愛で、史跡を訪ね、句をよむ。そんな”円熟”の人生をめざしているかのようだ。まろやかな語り口とともに綺麗な山の景色や草花などの写真が添えられている。暮らしのなかに詩があるのだろうか。みんな豊かな感性を身につけている。羨ましい。ここまで言うと褒めすぎだろうか。とにかく、今更ながら己の不器用ぶりを顧みる次第である。

  

 いつしか蝉の声が聞こえなくなった。猛暑もピークを越えた。もう秋は目前、詩情をさそう季節がくる。さわやかな涼風と鮮やかな紅葉を連想する。誰もが想うであろう平凡な感懐ではある。こんなとき、ある人物の説に出会った。「詩心は詩人だけが身にそなえたものではなく、詩とはおよそ縁のない人も、体内の奥深い箇所に瞬間的にそれに反応する詩の泉を秘めているのだろう」。”静かな気骨の人”と称された作家・吉村 昭氏(1927-2006)のエッセイ集『私の普段着』からである。平凡な私でも、ある瞬間にでくわしたときは反応する。何度か経験したことがある。この吉村氏の説にあてはまるのでは。ひそかに気をよくした。

 

 問題は文章にリズムをつけることだろう。人は、さまざまの事物を見て聞いて感じて、そして考えたことを書き込んで発信する。その文章に一種の躍動感があり、見る人の心を動かしたら、もうこの人は詩人に等しいといえるのではないか。政治や経済、文化、スポーツ、人との出会いと交流、自然への慈しみ、あるいは未来への想像など、何をとりあげても、それが散文詩的に、叙事詩的な匂いを放っているとしたら、こんな素晴らしいことはない。みんな”詩の泉”を秘めている。詩のあるブログが飛び交ったらインターネットの世界も明るくなる。かなわぬ夢とあきらめず、お互いブログに励みたい。詩とは縁なき私でさえそう思うことがある。


「国体護持」の大罪

2008-08-18 22:56:01 | 日記・エッセイ・コラム

 63年前の8月14日、JR京橋駅南口ホーム(旧国鉄片町線駅)に米軍の1トン爆弾が投下された。日本が降伏した「8・15」の1日前である。犠牲者は身元不明者を入れると7百名に達する。まさに一瞬の大惨事だった。同駅近くに慰霊碑がある。今年もこの前に立って黙祷を捧げた。去年も書いたことだが、当時、戦況は敗北必至、残された道は降伏のみだった。早々に降伏しておれば14日の悲劇も避けられたはずである。痛恨の想いがする。この日に大空襲を加えた米国もえげつないが、ぐずぐずしていた日本政府・軍首脳部の罪は万死に値する。

 

 改めて昭和天皇の終戦証書を見た。「朕はここに国体を護持し得て汝臣民とともにあり、神州の不滅を信じ、国体の精華を発揚し、よく朕が意を体せよ」。現代風に言うとこんな言葉がある。何のための誰のための降伏なのか、抱き続けた疑念と不信感がまた高まる。この夏、東条英機元首相の直筆メモ(1945・8・10~14日)が公開された。「皇位確保、国体護持が否定されるなら1億1人となるも敢然戦うべき」とある。大本営本部は旧満州にいた関東軍兵士や在留邦人をソ連の使役に提供した。この棄民政策も国体護持のためだったと聞く。

 

 私が「国体護持」を嫌悪するのは、その国家観の非科学性・非人間性である。日本を神の国だとする思想、天皇を現人神とする皇国史観である。「大日本帝国ハ万世一系の天皇之ヲ統治ス」「天皇は神聖ニシテ侵スベカラズ」「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」。この明治憲法に明記された絶対主義天皇制こそ近代日本の国体であった。治安維持法は国体の変革を目的にした結社を禁じた。自由、民主、平和の運動も思想も苛酷な弾圧を受け、国民は侵略戦争にかり出される。犠牲者310万人、アジアでは2000万人。国・皇国日本の国体がつくった運命である。

 

 日本の支配層は戦後も国体護持を図ったが新しい時代の流れには抗しえなかった。天皇は神ではなくなった。その地位は主権者・国民の象徴であり、国政に関する権能を持たない(現憲法)。諸悪と不幸の根源であった国体は変わったのである。今では国体という用語もあまり聞かない。だが「日本は天皇を中心とする神の国」と言った首相がいる(2000年、森喜朗)。明白な違憲発言である。今なお過去に無反省な歴史観・国体護持論者が存在している証左だろう。この人たちには戦争犠牲者の心の叫びが聞こえないのか。


爽快  海と野球とジャズと

2008-08-04 21:19:11 | 日記・エッセイ・コラム

 

 普通の人間なら時々スランプ(一時的な不調、不振)に陥ることがあるだろう。こうなったらなんとなく気が晴れない日々が続く。どうすれば抜け出せるだろうか。私の場合に限っていえば「日常」から「非日常」の世界に入ることではないかと思ったりする。大袈裟だろうか。先月末、私、妻、孫の3人でドライブ。もちろん運転は孫。行く先は和歌山方面。涼しい時間帯に釣り場へ。昼は同じ場所でバーベキュー。安珍・清姫で有名な道成寺へ。煙樹ケ浜、日の岬海岸を走る。霞んでいたが太平洋の水平線が壮大。気分は爽快。コンクリートに覆われたヒートアイランドの「日常」からの脱出の一日だった。自然に触れるのが「非日常」とは情けないが、いずれ大阪の現状打開も迫られる。

 

 夜、帰宅して快報を知った。米大リーグ・マリナーズのイチロー選手が、日米通算3000本安打を達成。大記録である。私もワクワクこの日を待っていた一人である。ここに到達するまでの過程でスランプがなかったわけではなかろう。彼は、厳しい自己管理,不断の練習、気力でそれを乗り越えたのであろう。その生き様に感服させられる。イチロー選手は、日本でただ一人、3085安打の記録をもつ張本勲氏や王監督(ソフトバンク)、清原選手(オリックス)ら大先輩の歩んだ道を胸に刻んでいる。これらの大先輩がイチロー選手に送った祝福、激励の言葉も温かだった。それを知った私の心もほのぼのと和んだ。イチロー選手の「日常」はつぎの新記録挑戦になる。世界の野球ファンがそう思っていることだろう。

 

 8月3日午後”第3回旭区平和のつどい”に参加した。「核兵器も戦争もない、平和な世界を」がメインスローガン。集いの後半は大阪レイカーズジャズオーケストラという会人バンドの演奏。私は最近、高校生が活躍するスウィングガールズという映画を観ていたせいかジャズに親しみをもっていた。この日の出演は男女20数名、豪華なステージだった。キャリア3年~10年の差があるそうだが息の合った演奏、練習の成果だろう。インザ・ムード、ベサメ・ムーチョなど馴染みの曲も多く、一曲ごとに盛んな拍手が送られる。私も生の演奏を聴くのは久しぶり、いい気分、まさしく爽快だった。音楽は人の心を明るくするもの、愛と平和を伝えるものだ。そんな感慨を抱きながら帰途についた。