昨日(25日)「非核の政府を求める大阪の会」の年次総会に出席した。私は30年前の同会の結成総会の座長を務めた3名の中の一人である。他の2人はもう亡くなられている。何の役にも立たない今の私だが、ただ一人、生き残っている創立者だ、可能な限り顔だけでも出そう、そんな一種の”義務感”で足を運んだ次第である。旧知の人から「お久しぶり、お元気そうですね」などと挨拶されると、それだけで「ああ 来てよかった」と思ってしまう。昨秋の30周年記念の集いのときも、今回の総会も100名前後の満席。まさに隔世の感である。
日本原水協代表の『記念講演』と、同会事務局からの『報告と提案』をたっぷり聴く。その仔細はこのスペ―スではとても無理。一言だけの感想になる。メインは、国連の「核兵器禁止条約交渉開始の決議」をめぐる国際動向と、戦争による唯一の被爆国・日本(大阪)の役割だった。この決議に反対する悪の張本人はアメリカのようだ。「米同盟国・パ―トナ―国」に恫喝を加え、反対に廻らせている。聞くほどに日本政府のだらしなさが頭にくる。だが、核兵器が「抑止力」「安全保障」だとの説は世界では少数に過ぎない。だいじな指摘だ。聞いてよかった。
総会が終わり、馴染みの仲間数名と居酒屋に入る。テ―ブルを囲んでやりはじめたら、どやどやと一団のグル―プが入ってきた。一人の女性が「あらまあ〇〇さん」と私の名をあげ、握手を求めて来た。気分よく応じた。”現役”のときの私を見ていた職場の人のようだ。退職して20年になるのだが、覚えてくれている。会えた喜び、感動を誰はばかることなく、無邪気に表現してくれる。仲間同士の熱さが伝わってきた。「悪い事できへんなあ」と冗談を言って笑われたが、本心は「ああ、来てよかった」。楽しい飲み会だった。
追記 非核の政府を求める会とは「核戦争阻止、核兵器廃絶など『非核5項目』を実行する政府を求める、思想、信条、宗教、党派の違いをこえた幅広い個人、団体の集まり」のことでかす。