明日につなぎたい

老いのときめき

怒りと軽蔑と

2015-06-28 19:28:54 | 日記

 

 24日夜、身体の一部に異常を感じたので、翌朝行きつけの病院に。主治医から専門医のいる某病院を紹介され送迎車で直行。ひとまずの検査のあと入院ということになった。いろんな器械で詳しく検査される。結果は悪くなかったので退院となったが、私にはとても長い2日間だった。それでも退屈の虫を追い出してくれる大ニュ―スにぶつかった。妻が持ってきた26日朝の新聞だ。「マスコミを懲らしめる」(自民)「沖縄の二紙つぶせ」(百田)の大見出しにびっくりした。

 

 その記事は自民党の若手・中堅議員(安倍応援団)が25日に開いた「文化芸術懇話会」を報じたもの。議員は「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけてほしい」との声を上げる。幅広い国民の戦争法案反対に苛立っているのだろう。講師によばれた作家の百田直樹氏は「沖縄の二つの新聞社はつぶさないといけない。沖縄のどこかの島が中国に取られてしまえば目を覚ますはずだ」。さらに「普天間飛行場はもともと田んぼの中。商売になると人が住みだしたのだ」と沖縄県民への暴言を吐いた。

 

 報道、言論の自由に対する弾圧の意図、沖縄県民への許しがたい侮辱であることは誰の目にも明らかだろう。この日は衆院安保法制特別委員会が行われている。早速イヤホ―ンでテレビ中継を見る。私の関心は安倍首相がこの件でどう答えるかだったが、首相の態度は「党の正式な会合ではない。その方に成り代わって勝手にお詫びすることはできない」だった。仲良し作家と"お友達議員 "からの暴言だが、首相の本心を代弁しているのだから庇うしかないのだろう。ヘンな納得をしてイヤホ―ンを抜いた。

 

 退院後の私の目に入ったのは、百田直樹元NHK経営委員が自分のツイッタ―で、沖縄の二紙(琉球新報と沖縄タイムス)にとどまらず「本当につぶれてほしいと思っているのは朝日、毎日、東京新聞だ」だと言ったとの報道である。安倍自民党ともども、どこまで堕ちていくのか、腹立たしさを超えた軽蔑の念が湧いてきた。なにが文化芸術だ!ジャ―ナリズムを敵にまわした権力者がどんな運命を辿るのだろうか。それを決定づけるのは国民の意思と行動だろうと確信している。

 


みるく世がやゆら」

2015-06-24 13:25:41 | 日記

 

 6月23日昼、私はテレビの前に釘づけ。「戦後70年沖縄全戦没者追悼式」をみつめていた。例年、高校生が自作の詩を朗読する。全く戦争体験のない世代が、祖父母の語りを聴き、戦跡を訪ね、歴史を学び、詩を作って世に訴える。私は、これで希望と勇気をもらったような気になるのである。今回の「みるく世がやゆら」は3年生の男子生徒の詩である。「みるく世がやゆら」とは「今 平和でしょうか」という意味である。その一部だけでもここに記録しておきたいと思った。

 

 「6月23日の世界に 私は問う みるく世がやゆら 戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う 気が重い 一層 戦争のことは風に流してしまいたい しかし忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを 伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを」。彼女とは、70年前の沖縄戦で22歳の夫を失った祖父の姉のことである。孫のように可愛がってくれた彼女も認知症に。―彼女の気持ちを少しでも心にとどめ、寄り添いたい―との思いでこの詩を綴ったそうである。

 

  翁長県知事の平和宣言からは、戦争犠牲者の霊と県民の総意にこたえて、現実に向き合い、恒久平和を求める熱く強い決意が伝わってきた。県民の思いに反して強制的につくられた普天間飛行場の固定化も、辺野古新基地建設もとうてい許容できるものではないと明言する。「国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎(いしずえ)を築くことはできない」は、民意を踏みにじって憚らない安倍政権への痛烈なメッセージのように受け取れた。

 

  安倍首相の挨拶は予想通りお粗末だった。無念、胸塞がる、涙、悲痛の念・・・こんな形容詞だけがちりばめられている。あまりにも空疎だった。戦争法案と基地建設を強行するこの政府と、悲惨な沖縄戦を経て真の平和を求める「沖縄の心」は相いれないのだろう。ある新聞で「慰霊の日 亀裂鮮明―知事に喝采、首相には怒号」との見出しが躍った。テレビの前の私にもこの雰囲気は伝わった。「みるく世がやゆら」。安倍さんたちは、この詩の心が全く分からなかったのでは。


70年前 地獄の沖縄

2015-06-16 12:55:00 | 日記

 

 70年前の沖縄戦、米軍に追い詰められた日本軍は、住民に苛酷きわまる犠牲を強いた。生存者の元上等兵は「一番危ない仕事は住民にさせた」と証言している。米軍陣地への斬りこみも住民が先だった。死ぬのは当たり前、住民の心理も異常化していた。子どもを背負って突入した母親もいる。身を隠す地下壕、ガマ(洞窟)の奥には日本兵、住民は入口だった。米兵は火炎放射器を使って容赦なく焼き殺す。(NHKスペッシャル・沖縄戦全記録・6月13日放送)の一部である。

 

 

 地獄だった。集団自決。泣く子を両親が窒息させる。辛うじて生き残った女性が語る「ビールを呑みながら撃ちまくる、狂気の米兵の姿が離れない」「70年後の今も苦しんでいる。姉と一緒に死にたかった」。「何のために戦ったのか。住民を守らなかった。辛い!」。こんな元日本兵もいる。元米軍兵士も言う「精神異常の兵士が続出。戦争神経症だ」。元米軍曹長(95歳で没)の妻は「夫は悪夢に襲われ泣き叫んでいた。戦場のすべてをみた。もう十分だと言っていた」と語る。

 

 

 私は、この番組からある想いにふけった。あの地獄の沖縄に、悲しみ、嘆き、怒る感性を、本土のどれだけの人が持ち合わせているだろうか。沖縄戦は”大本営”が本土防衛と称した作戦だった。それは凄絶、悲惨この上ない犠牲をもたらした。この悲史を心に刻んでくれているだろうか。しかも沖縄の地獄は終わっていない。土地を米軍に強奪されて基地化し、さまざまの苦痛を余儀なくされている。「70年後の今も」という言葉の重みを受け止めているだろうか。

 

 

 そこまで踏み込まないのは、米国側の映像資料でつくられた番組だから、あるいはNHKだからというのだろうか。「愚かな戦争だった」という元兵士の述懐はあるが、日本軍が県民に加えた数々の非道や、米軍による無差別の殺りく行為を鋭く告発する立場は見えない。記録は事実だといえても歴史の真実を語ったことにはならない。殺し合いをしない、させない、その実践あってこそ歴史は進む。語れる。基地撤去、新基地建設反対を闘っている沖縄県民がその先頭にある。本土からの熱い連帯が求められている。6月23日は「沖縄慰霊の日」とされている。


あんたが行けよ

2015-06-09 12:57:36 | 日記

 

 1929年、著名な評論家・長谷川如是閑が「これは名案だ」と論壇誌『我等』に、外国のある法案を紹介していることを知った。「戦争を絶滅させること受け合いの法律案」というもの。起草者はデンマークのフリッツ・ホルム(自称陸軍大将)。ホルムはこれを各国に配布、採用して実行すれば戦争は絶対に起きないと断言した。その主旨は「戦争が始まったら、男性の元首、首相、大臣、開戦に反対しなかった国会議員などを兵卒として最前線に送り、実戦に従わせる」というもの。日本流にいえば政権に対して”あんたが行けよ”ということになる。しかし採択した国はなかった。長谷川はホルムに「戦争を絶滅させることを受け合いの法律を採用させることを受け合いの法律案を起草しては」との警句を送ったそうだ。

 

 

 この法案を儚い空想だと片づけられるだろうか。日本のある哲学者が「戦争の最前線に送られるのは、国家権力から最も遠い人々、弱者です。国家権力の中枢の人々は、いつも安全地帯にいて命令を発するだけです。常備軍の兵士は常に国家が養っている最初の犠牲者です。このからくりを見破ることが重要です」と語っている。ホルムの着想と同じのようだ。多くの国民もそう思っているだろう。とりわけ70年前の軍隊経験者は、この不条理をいやというほど味わっている。今、集団的自衛権を行使した場合、自衛隊員のリスクは避けられないだろう。安倍総理や閣僚はそれを否定したがる。肯定したら法案が崩れてしまうことを恐れているからだろう。もともと戦闘地域に行く気のないものが自衛隊のリスクを語るわけにはいかないのだろう。

 

 

 『老兵は死なず』。私のことではない。私より一つ年上の自民党元幹事長・野中広務氏(89歳)の著書の題名である。15章『最後の闘い』にある。「わずか半年とはいえ、あの戦争で兵役についた。親しい後輩が特攻隊で行くのを見送り、周辺で多くの人が死んだ。自分は生かされて帰ってきた。そこから私のすべてがスタートした」。あとがきには「残された人生を平和の語り部として歩んでいきたい」とある。09年には永年の宿敵だった共産党の「しんぶん赤旗」のインタビューに応じた。「戦争反対であればどんなインタビューでも受けますよ」。はるか後方からの指揮しか頭にないだろう安倍政権・その周辺の者に、ホルムや、戦争の悲惨を嘗め尽くした人々の志が分かるときはくるのだろうか。


報いるには文化をもって

2015-06-05 12:21:14 | 日記

 1940年(昭和15年)、日本の植民地支配下にあった朝鮮人は、名前を日本名にする”創氏改名”を強いられた。拒否する人は迫害され、わが命まで断つに到る。この犠牲者の娘が日本の侵略の数々をあげながら「報いるには文をもって」と言ったという。私はこの逸話から改めて日本文化の歴史に思いをよせた。日本文化は中国、朝鮮から渡来した文化である。卑近な例だが、私の名前は漢字、つまり中国の文字で自分を表しているのだ。このブログも漢字が一杯だ(当ブログ「”族譜”は語る」08・6・25。書籍「明日につなぎたいⅡ」をご参照ください)。

 

 

 中国から来た仏教も論語も日本の思想文化の拠りどころとされた。それらが時々の権力の支配に利用されたとか、逆に民衆の側から日本の風土に沿って発展させられたとか、日本史は日中混合で進んだといえよう。だが、今の中国を手放しで礼賛する気はない。地球温暖化の原因とされる二酸化炭素の排出量は世界一、軍拡も相当なもの、南シナ海への進出、国内の貧富の格差、治安状況・・伝えられる中国事情は芳しくない。中国も自身の歴史文化を学んだらと思ったりする。

 

 

 70年前の1945年8月15日に出された昭和天皇の終戦証書を見直す。その一部に「朕はここに国体を護持し得て汝臣民とともにあり、神州の不滅を信じ、国体の精華を発揚し、よく朕が意を体せよ」とある。現代風にくだいたつもりだが難解な漢文調で、国家主義(ナショナリズム)への妄執、未練が仰々しい。ポツダム宣言を受諾しての降伏文なのだが、世界征服をめざした侵略戦争だと指摘するポ宣言の主旨を体していない。今の安倍総理は読んでいないというから驚きだ。

 

 

 戦後50年目の村山首相談話の文体は現代文になっている。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました・・・痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします・・・」。これでよい。安倍総理の70年談話など要らない。村山談話には「ナショナリズムを排し」の一言があるが、安倍晋三氏は日中文化の歴史もわきまぇぬナショナリストではないか。