明日につなぎたい

老いのときめき

「活性化」を考えよう

2009-01-30 13:54:37 | 日記・エッセイ・コラム

 

 大阪の活性化ということがよくいわれる。多くの人が職・住を失い、川岸や公園にブルーテントが並ぶ。商店街ではシャッターを下ろしたままの家が目立つ。子どもの給食代が払えない家庭、学費がなくて中退する高校生の話も聞く。銀行の貸し渋りで中小企業が倒産している。消費の落ち込みが甚だしい。こんな有様を見れば誰でも活性化を望む。その道はどこにあるのだろうか。関西財界のプロジェクトによる湾岸開発,高層ビルや高速道路をどんどん増やすことだろうか。それはないだろう。経済の大半は家計が占めているという。家計が温もり暮らしがよくなれば人々の足は消費に向かう。内需が拡大する。雇用が広がる。経済再生につながる。これが活性化ということだろう。

 

 橋下大阪府知事は逆の道をめざしている。大阪府庁舎のワールドトレードセンター(WTC)への移転、その周辺での都市構想のことである。これが「咲洲・夢洲地区(人工島)開発の起爆剤」となり、人、モノ、カネが動く、最大の内需拡大策だというのである。財界の意図の代弁だろう。工事を請け負うゼネコンは潤うだろうが、広範な市民、中小企業にまで及ぶとまではとても考えられない。大体、大阪府の関西空港関連の巨大開発事業も、大阪市の湾岸開発事業も大失敗しているのである。府・市それぞれ5兆円もの借金を背負う主因はこの開発だったのである。それでも懲りずに前途不明の大開発をなぜやろうとするのか。知事は財政非常事態だといって医療、福祉、教育、文化を削ってきている。活性化とはまったく逆ではないか。

 

 今日の貧困は不可避ではなかったはずである。大企業の横暴を野放しにする派遣労働の規制緩和や社会保障の切り下げなどに象徴される自公政治・構造改革がもたらした政治災害なのである。アメリカ依存型で、国際競争力を煽り、労働者をこき使い、内需を犠牲にして外需だけで稼ぐ、こんな歪んだ経済政策なるが故にアメリカ経済危機の大波に脆かったのではないか。その反省も転換の姿勢も見られない。麻生首相の施政方針演説には「安心と活力」の言葉が出てくるが空しいものだ。「景気回復」の言葉はあっても「外需頼みから内需拡大へ」は語らない。国民の痛みが分かっていないのだろう。この政府には活力はない。大阪と日本の活性化のためには府民、国民が連帯して政治を変えるしかない。


「私のひとこと」が光る

2009-01-23 14:38:04 | 日記・エッセイ・コラム

 

 09年1月14日付の旭区平和委員会ニュース(第90号)に感心させられた。会員の皆さんから寄せられた「新年 私のひとこと」の特集である。先ず投稿の数に驚いた。私の計算では70通、もちろんこれまでのダントツの最高記録。A4サイズ12頁のうち10頁を占めている。この会は毎月の例会での全員発言など、一人ひとりの会員を尊重し民主的運営に心がけている。私にはこのニュースがその努力の結晶のように光って見えた。内容も素晴らしい。編集者は字数以外に何の注文もつけていない。一人ひとりが自由に胸のうちを吐露している。あの人、この人の想いが伝わってくるのである。紙面はシンプルだが豊かで多彩、画一化の片鱗も見えない。親しみやすい立派な機関紙である。

 

 「ひとこと」で格別に注目させられたのは、世界と時代を見る目の確かで鋭い変化である。『アメリカ一国中心の時代はいよいよ終わり』『カジノ資本主義、軍事的覇権主義破綻の同時進行』『新自由主義の矛盾噴出』『08年東南アジア諸国連合憲章の発効』『ラテンアメリカの十数カ国も進歩と革新の道へ』『世界は変化、変革へ』『地球的規模で人類の価値観が変わる』『世界平和の新世界誕生の兆し』などなど。この他にも同趣旨のコメントは少なくなかった。アメリカ発の世界不況、非正規社員の大量解雇、麻生自公政権の醜態、オバマ米大統領の就任直前など、年末年始に見た内外の「驚くばかりの激変」を敏感に、かつ賢明にうけとめた「ひとこと」のようであった。

 

 「ひとこと」は、外では、アフガン戦争、イスラエルのガザ攻撃、内では、田母神論文、底知れぬ格差の拡大、公的福祉の民営化など厳しい現実を見て、ショックをうけ、危惧と不安を感じながらも力強く立ち向かう決意を披瀝している。『厳しい社会だが今ほど展望の持てるときはない』『派遣村の活動など運動が世の中を変える』『勇気ある行動に連帯を感じる』『日本でも変革の年、連帯の年に』『革新の灯を燈す為、今年も頑張ろう』『核兵器廃絶へ』『憲法9条、25条を擁護する動きを』。そして『人の命、暮らしを大切にする社会へ、Change、wecanにしたいものです』とある。このニュースで平和委員会運動のイメージが湧いてくるようだ。一言づつでみんなが創り出している。そう感じたのは私だけだろうか。


大阪文化は壊させない

2009-01-17 20:43:32 | 日記・エッセイ・コラム

 

 16日夜「明るい民主府政をつくる会」の新春の集いに出席。オープニングは大阪センチュリー交響楽団の弦楽四重奏だった。意味深長なプログラムだと思った。この楽団は1989年に大阪府が設立。海外をふくむ各地でのオーケストラや室内楽の演奏活動、小学生を対象にしたコンサートや医療機関での室内楽など、広く府民に親しまれてきた交響楽団である。多くの人が大阪の誇りとして更なる活躍を期待している楽団である。ところがその前途に重大な障害が発生した。一年前に登場した橋下大阪府知事が府の財政難を理由に、この楽団への運営補助金削減を打ち出したのである。槍玉にあがったのはここだけではない。ワッハ上方や国際児童文学館、青少年会館なども統廃合するという。文化の切捨てではないか。

 

 音楽の力は大きい。音楽が阪神大震災や新潟中越地震で被災した人たちに立ち上がる勇気を与えたという話を聞いている。私でも音楽に触れて気分を良くしたことなど何回もある。日常の暮らしに欠かせないのが文化・音楽なのである。いま日本社会は、急激な不況に見舞われ生活も経済もきわめて厳しい。地方財政も困難だろう。だからといって福祉、医療はもとより、教育・文化を切り捨ての対象にしてよいのだろうか。多くの人たちは、こんなときだからこそ豊かな心を失わず、子や孫を成長させたいと願う。それにつながるのが公立の施設や交響楽団の存在ではなかろうか。為政者はこのことの意味が分かっているのだろうか。削るべきムダは他にある。そこに求めるべきだ。

 

 新春の集いでの各界のスピーチもこんな想いで耳を傾けた。今年は総選挙が必至だが、大阪では文化をめぐる闘いの年でもある。すでにそれが始まっている。70年代の黒田革新府政時代に頑張った文化人が立ち上がっている。施設の利用者、関係者らが集まって「府立の施設と文化を考える会」という幅広い共同の組織が結成されたと聞く。センチュリー交響楽団のファンクラブもつくられている。「国際児童文学館と府立図書館を考える集い」の計画もある。昨年の9月府議会では国際児童文学館の当面現地存続を求める請願が全会一致で採択された。大阪府民の世論と運動の力が働いたのだろう。大阪文化の破壊は許さない。このエネルギーは新しい文化の創造にもつながる。そんな気がした。


超高層ビル・WTCの怪

2009-01-11 10:58:04 | 日記・エッセイ・コラム

 

 大阪市住之江区の人口島「咲洲」に有名なワールドトレードセンター、日本語でいえば世界貿易センター、略してWTCというのがある。最大の出資者は大阪市、これに三井住友銀行、関西電力、大阪ガスなどが加わる第3セクターである。総事業費1193億円で1995年に竣工。地上55階、地下3階。高さを大阪府のりんくうゲートタワービルと競うため、当初計画(89年)を変更までして256米の超高層ビルにしたという。展望台から眺める夜景は中々の壮観である。だがこれで有名なのではない。あてにしたほど大企業・商社が参入してこない、空き室だらけで赤字に、金利は嵩む、経営破たん、市財政の持ち出し、しわよせが市民福祉に。市の開発行政失敗のシンボルとして名をあげたのである。

 

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  さらに名高い話がある。埋め合わせというのか苦肉の策というのか、オフィスビルであるWTCの空き室に大阪市の部局が大挙して引っ越したのだ。「水道局」「港湾局」「ゆとりとみどり振興局」「都市環境局」。加えて多くの外郭団体が入り込んだ。そして高い家賃(市民の税金)を払う。多くの人が言う「ここは世界貿易センターではない”大阪市第二庁舎”だ」と。大阪市役所の本庁は大阪のど真ん中、北区中之島にある。85年に建て替えた。地上8階、地下4階、実に広々とした豪華な建物である。市当局の”苦渋の選択”だとはいえ、なぜ折角の新庁舎から離れて大阪市の西端になる埋立地に行くのか、理解に苦しまざるを得ない。”島送り”になった部局が本庁に帰れるのはいつのことだろうか。

 

 

  今、これに輪をかけた話題が出ている。橋下大阪府知事が府庁舎(中央区大手前)をWTCに移転させると言い出したのである。現庁舎は交通事情や官公署との関係など住民の便利を考慮した場所にある。災害時にも職員が直ぐに駆けつけられる。WTCの場合、震度5以上の地震になるとここに通じるトンネル、地下鉄、橋は安全が確認できるまで使えないそうである。だが橋下知事は「ここで関西を見渡せば素晴らしい行政ができる」「大阪の行政が変わったという象徴として移転を絶対に実現したい」という。大歓迎しているのは関西財界である。破綻した湾岸開発のテコ入れか関西州の拠点化が狙いなのだろうか。売買価格や移転コストも不明で流動的だが、怪しく、危険な、疑問だらけのWTCではある。


光輝好例者

2009-01-05 14:11:27 | 日記・エッセイ・コラム

 

 1月4日、知人、友人たちの集まりに加えてもらった。2年前に惜しまれて亡くなったS君の三回忌ということなのだが、明るく元気に振舞っていた故人を偲んでか、湿っぽい雰囲気ではなかった。昼食時のそれぞれの自己紹介とスピーチは殊勝だったが、そのあとはあっちでワイワイ、こっちでガヤガヤ、どこからか必ず笑いがおこるようなにぎやかな集いだった。周りを見ると”老”の年齢に達しているのは私一人のようだった。私は自己紹介のなかで、ある友人が年賀状で私のことを「光輝好例者」と書いてくれたことを紹介した。一瞬、ざわめきを感じた。念のため全文を記しておこう。「よき我らが先輩!!今年も光輝好例者でいてください」という励ましである。

 

 私は年齢的にはまちがいなく先輩であるから、若い人からは色々なことを聞かれた。人は常に生き方を模索している。こんな雑談のなかでも、なにかの示唆を得ようとしているからなのだろう。その真摯さを洞察できるのが先輩なのだが。話題は戦中の苦労や敗戦時の想い戦後の歩みや、はては現代の世代間ギャップなどなどに及ぶ。途中で他の話が割り込んだりすることもあってまともに応えられただろうか。私もまだまだ不勉強、冷や汗ものだった。優しく親切なS君だったらどんな話をしただろうか。あとで想った。現代の競争・格差社会の産物ともいうべき人間関係の希薄さである。この克服こそがさまざまのギャップを埋める方途だろう。それに役立つ「光輝好例者」の一人でありたい。

 

 別の”群れ”の話のなかに入った。やっぱり生きざまについて聞かれる。新しい年のせいだろうか。私は読み途中の”飢餓海峡”(著・水上勉)に触れて、敗戦直後の荒廃、そこに生きる人間の哀れさが見事に描かれていることに感嘆し、もっと深く戦後史を学びたいと思わせられたと言った。とにかくこの年齢になっても未知、未経験のことが多すぎる。あれもこれもと言いたいことも限りなく残している。こうした未知、未経験の世界に好奇心や意欲をもって挑戦する、発信する、それが社会の進歩に少しでも役立つと思えば生きることの価値を実感できるのではないか。こんな意味のことを喋った。なにかをやるということは自ら荷物を背負う苦労を伴う。やりとげたら幸せな充足感を覚える。これが人生だとも言った。自分に言い聞かせたのである。