明日につなぎたい

老いのときめき

大阪の闇事件

2016-07-30 11:21:49 | 日記

 明日の都知事選を気にしながら話そう。30年前は大阪市役所も闇の中にあった。覚えている人はどれほどだろうか。市財政局の課長代理が514万円の公金を、架空のナイトクラブの口座に振り込ませ、競馬、株、ホステスへの贈り物、自分のマンション代に使っていた。この事件には市会事務局、市長室、環境保健局も関与していたといわれる。建設局の元課長は、高級料亭に与党市会議員らを接待、店に出させた商品券、ビ―ル券を現金に換え、自分の口座に振り込んでいた(400万円)。ツケは市土木技術協会という外郭団体にまわしていたという。

 

 市の各局理事者は与党市議を、座るだけで2万円、一晩で20~30万円もするキタ、ミナミの高級料亭、クラブに接待する。「夜の勉強会」と呼ばれていた。議員だけの豪勢な飲み代も必要経費で落とされた。懇親会の名で労組幹部の接待にもまわされている。腐敗は悪臭を放つ。市民は怒った。マスコミも動く。「市民オンブズマン」「市役所見張り番」の人たちが監査請求、損害賠償を求めた。「大阪市公金詐取・不正事件 黙ってへんで市民の会」が幅広く結集された。市役所の中にも市政刷新をめざす新しい労働組合が結成される。昇格、昇任などでの差別に屈しない勇気と良心の発露だった。

 

 しかし、市幹部と自、公など与党、労組との癒着、馴れ合い、この構造的体質は根強い。職員36人の処分だけで幕引きが図られたと聞く。だが、闇の市役所にも光が射し込んだ。浄化能力を発揮したのは、市民と心ある職員であった。この間の経緯は『大阪市役所のナカは闇(初村尤而・日本機関紙出版センタ―)』が詳しい。あの時期、大阪市は「行革大綱」を策定し、保育所、保健所、病院などを見直すとしていた。市民サ―ビスの切り捨てにつながる。闇も晴れた2011年に登場した橋下市長は、これに輪をかけたような「保守的改革」を強行した。自民党も舌を巻く維新政治の出現だった。


"でたらめ"で溜飲さげる

2016-07-27 11:26:45 | 日記

 

 猛暑が続いている。それでも少しは運動をと、近所を歩きまわる努力もしているが、大方はク―ラ―の利いた部屋に閉じこもっている。体調もすぐれないし、気分も晴れることがない。思考力も乏しくなっている。ここから抜け出すのに何かないだろうか。ひとときでも、奇想天外、デタラメ、妄想の世界に入るのも一興ではないか。そんな思いで本棚にある『真田忍侠記』(津本 陽・講談社文庫)と『真田幸村の遺言―覇の刺客』(鳥羽 亮・祥伝社文庫)を手にした。NHK大河ドラマ『真田丸』とは異次元の物語である。

 

 前者の主役は猿飛佐助と霧隠才蔵。舞台は豊臣と徳川が争った大坂夏の陣。佐助と才蔵は、家康のボディガ―ド・服部半蔵と家康自身の命を狙う。「佐助は、半蔵の首が6発の鉛弾をうけ、宙にはじけ飛んだのを見た」「白小袖を鮮血に染めた家康が・・あおむけに倒れている。首がなく、血糊りには銀蠅がたかっていた」。徳川の重臣たちは、家康の死を隠し、家康と瓜二つの農家の老爺を見つけ出して替え玉とし、徳川秀忠がその面前で戦勝の謝辞を述べた。佐助たちは、戦争のドサクサで男に襲われる女性を救う。真田幸村の遺骨をもって故郷・信濃に帰った。

 

 後者は、真田幸村が大坂夏の陣に臨み、わが子の大助に託した「真田一族の手で豊臣家の再興を果たせ」との遺言が実現したという話である。大助は生き残った秀頼を守って紀州(和歌山)に潜み、さまざまの智謀、術策を用いた。藩主・徳川吉宗は、秀頼の嫡孫にあたる豊臣吉頼であった。秀吉の直系である吉宗は後に徳川8代将軍となり、徳川の血を政権の座から一掃する。私は、この2冊のデタラメを2回読んだことになるが面白かった。もともと小説というのはウソなのだ。だが、どこかで読者の心を響かせるものがある。それでいいではないか。


情けない子分

2016-07-23 11:38:37 | 日記

 

 7月22日に起こった沖縄の「事件」、無性に腹が立った。防衛省沖縄防衛局が沖縄本島北部の東村高江に予定されている、米軍ヘリ着陸帯(ヘリパット)建設を再開し作業を始めたことに関わることだ。工事反対を訴える沖縄の人たちは、全国から動員された機動隊によって強制排除された。民間警備会社まで駆り出されていたと報じられている。米軍属による女性暴行・殺人事件をきっかけに派遣されたという「沖縄・地域安全パトロ―ル隊」の防衛省職員も、実はヘリパット建設現場の警備業務についていたという。怒り心頭である。

 

 現場から遠く離れているから、私の想像は逞しくなる。80年代後半に話題をさらった地上げ屋のことだ。建築用地を手に入れるため、地主や借地、借家人と交渉して土地を買収する者だ。強引な手口で暴力団が出てくる場合もあった。それを思い出したのだ。防衛省職員や警察官を地上げ屋扱いする気はないが、強引な米軍基地建設の経過をみると、この話が浮かんでくるのである。国家権力による暴力で土地も海も暮らしも壊されていく。政府のやっていることは、超々大型で陰湿な”地上げ屋手法”ではないか。心底から軽蔑する。

 

 米日関係は親分と子分である。親分の米軍は、沖縄の本土復帰前に「銃剣とブルト―ザ―」で土地を強奪し、基地を建設した。子分の日本政府もそれに習ってか、住民の抵抗を暴力で排除する。沖縄の民意は多くの選挙で明白である。それを見ない、聞かないで、暴力に訴える。日本は民主国家でないことを世界に見せつけているようだ。情けない、恥ずかしい。安倍政権は、何のために、どこの誰のために、こんなヤクザまがいの愚を重ねているのか。親分に尻尾を振っている無様な姿を鏡に写して見てはどうか。

 

 


猛暑の19日は優しかった

2016-07-20 11:46:41 | 日記

 昨日、相変わらずの猛暑だったが、妻の買い物につきあい、京阪京橋まで出かけた。書店を漁ったあと、昼食に天ザルを喰ってから、久しぶりにお馴染みの大型ショッピングセンタ―に入る。知らぬうちに店名がIEON(イオン)に変わっていた。イオンの拡張、どこまで続くのか。独りでつぶやいた。お目当ての雑貨類を買ったが、品質が良くなったとか、値段が安くなったとかなどとは思えなかった。平凡なショッピングだった。帰りの電車、そんなに混んではいなかったが、妻に席を譲ってくれる人がいた。気が和んだ。

 

 夕方、孫から電話「これから時間とれるから梅田で待ち合わせよう」。妻ともども3人で家電量販店に入る。スマホのコ―ナ-で、かなりの時間をかけて説明を聞く。話してくれる女性の胸にある名札を見ると中国人の名だった。隣に立っていた青年も中国人のようだった。日本語、専門の知識、技術の習得。そして客との応対・・・えらいことやなあ。「家族への仕送りか。いつか国に帰って自立するのだろうか」。感心する孫と顔を見合わせた。受け答えする(できる)のは孫だけだった。

 

 品物を手にするまでの時間を夕食にあてた。「おじいちゃん、齢いくつや」「10月生まれやからもうすぐ90歳やな」「ブログ続けるやろ」。こんな会話があった。買った品物に孫が丁寧に透明のカバ―を貼ってくれた。JR京橋で別れた。夫妻の目は優しい孫の背中に向いていた。見えなくなるまで。今日は何という日だろう。帰りのJRでも京阪電車でも、私たちに、にこやかに席を譲ってくれる人がいた。身内も他人も優しい。90歳がスマホに挑戦する勇気をくれたようだ。自信はゼロ。どうなるか見当はつかない。

 

 


忘れない

2016-07-18 11:11:39 | 日記

 

 この5月、沖縄で、夢も希望もある20歳の女性が命を断たれた。暴行され、首を絞められ、ナイフで刺され、遺体は雑木林に捨て去られた。米軍の軍属、元海兵隊員による凶行であった。時がたっても忘れられない。「笑いなさい 泣きなさい」と明るく歌っていた子だったのだろうか。突如、愛しい娘を奪われた肉親は、想像を絶する悲しみの淵に突き落とされた。あの残忍な凶悪犯を抱えた在日米軍、多くの国民の反対にもかかわらず、犯罪の温床・基地を提供している日本政府の責任を問い詰めたい。日本人ならそうあるべきだろう。

 

 今回の参院選で野党統一候補が、安倍内閣の現職大臣を破って当選を果たした。沖縄県民の強烈な反撃であった。そこには、人間の尊厳を冒涜され命を断たれた、あの若き女性の魂がこもっている。日本人なら当然、そう思うだろう。だが”本土”では、必ずしもそういえる選挙結果ではなかった。安倍総理も与党も憲法を口にしなかった。持ち出せば「憲法なき沖縄」も当然、論争点になっただろう。そうなれば、基地・沖縄の人々の魂に揺さぶられたであろう。それがなかった。逃げられた。有権者の意識にどれだけ沖縄があっただろうか。

 

 私は、本土に復帰した70年代以後、本島だけだが何度か沖縄を訪ねている。そのたびに自然の美しさと、土地の人たちの優しさに触れた。沖縄は人の心を豊かにしてくれる日本の島である。その記憶をもったまま人生を過ごしたいと思っている。それだけではない。基地あるがゆえに起こされる残酷な悲劇を絶対に覚えておくつもりである。ある有名な作家が「沖縄を永久基地化するような政府をつくった日本人として、沖縄に渡るのが恥ずかしい」と言った。その心も大事に受け止めたい。90歳直前の一人の人間の感慨である。