明日につなぎたい

老いのときめき

”オッペケぺー節”の伝統

2009-11-24 17:56:15 | 日記・エッセイ・コラム

 

 「権利幸福嫌ひな人に、自由湯を飲ましたい、オッペケペーオッペケポーペッポー、固い上下の角取れて、マンテルズボンに人力車、意気な束髪ポンネット、貴女に紳士のいでたちで、うはべの飾りは好いけれど、政治の思想が欠乏だ、天地の真理が分らない、心の自由の種を蒔け、オッペケオッペケペッポーポー」。明治20年代、中江兆民の書生をつとめ、大阪の落語家の弟子でもあった川上音二郎が、自由民権思想と社会風刺をからませて歌ったオッペケペー節、その歌詞の一例である。この俗謡は一世を風靡、明治時代の流行歌だといわれたそうである。私はとくに音二郎を勉強したわけではない。だが、この一事を見て感ずることがあった。社会を見つめ、庶民を思い、真実を語れば喝采をよぶ。その”芸”の伝統は生き続ける。

 

 22日の夕刻「日本共産党街頭トーク」をやるとの知らせがあった。型にはまった演説会ではなさそうだ。ところは京阪電車・京橋駅前。漫才師の経験もある清水ただし大阪市議(参院大阪選挙区予定候補)はハッピ、ハチマキのたたき売り姿。大阪市議,府議を相手に盛んにつっこみ、市政、府政の問題点を聞き出す。市,府議が軽妙に大阪弁でしゃべる。つぎの相方は山下芳生参院議員、青年時代は素人なのに政治漫才のボケ役が抜群にうまかったことを思い出した。後期高齢者医療制度、雇用対策、普天間基地問題などがやりとりされる。笑いと拍手が絶え間ない。それほどの打ち合わせはやってないらしい。だが、人の心を大切に、政治信条に確信し、わが意を伝える、その研鑽・努力の積み重ねがあれば即興も可能なのだろう。

 

 現代社会の矛盾に正面から向き合い、話芸をもって「自由民権の思想と社会風刺」の活躍を続けている集団がある。笑工房という。13日夜「笑って笑って元気もりもり団結寄席」に出かけた。漫談『あこがれの労働三権』。落語『政やんのリストラ』『21世紀は組合だ』『ストップ・ザ・医療破壊』が演じられる。それぞれの演者が憲法や労組法、労基法の条文を暗誦しながら基本的人権を、民主主義を語る。聴衆の爆笑を誘いながらである。原作者の苦労も並大抵ではなかろうが、語り手の政治・社会を見る眼の確かさ、主題への自負、芸への心意気を感じる。民衆の中で培われた文化はどの世界でも新鮮に生きている。そう思うと心強い。


『坂の上の雲』で一言

2009-11-18 13:06:57 | 日記・エッセイ・コラム

 「司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか」(牧 俊太郎・近代文芸社)を受け取った。著者は私のかつての同僚である。読みかけのものを中断して早速に読ませてもらった。念の入った中々の力作である。著者は司馬氏が「ミリタリズム鼓吹の誤解を生むから映像化を拒否した」ことの根源を探索。そしてこの書が「NHKドラマ『坂の上の雲』を見る予備知識の一助となり、また若い人々の日本近現代史を学ぶきっかけとなれば、これほどうれしいことはない」と結んでいる。全く同感である。同時に私自身も刺激された。”明治という時代”をもっとみつめて見よう。この本の前に、明治前半期の自由民権運動を主題にした長編小説「梟首の島」(坂東真砂子・講談社文庫)を、相当のめりこんで読み始めていたこともあって、その気が増幅したのかもしれない。

 

 このスペースでは明治を語るどころか書評すらできない私だが、当時の民衆の息吹にもっと目を向けてはと思っている。幕末、世直しを叫ぶ都市貧困層のうちこわしや、年貢、小作料の引き下げを要求する農民一揆が全国に拡がり幕藩体制を揺さぶった。明治維新後の自由民権運動、明治文化の開花、今も輝く数々の名作の多くは20代の青年の手によるもの。天皇を頂点とする明治政府は封建制度の改廃、欧米との交流、産業政策など近代化の道を進めた。同時に富国強兵をめざし徴兵制が布かれる。改革の不徹底、逆コースが民衆を疲弊させ不満をたぎらせる。言論、出版の自由が奪われる.日清、日露戦争で戦勝国とはなったが、多数の犠牲者を出した民衆は泣いた。明治は「栄光と暗黒のともにある時代」(関川夏央氏)だった。

 

 8月初旬のあることを思い出した。横浜市教育委員会がタカ派で名高い「新しい歴史教科書をつくる会」主導による中学歴史教科書(自由社版)の採択にあたって、教育委員長が「自由社の教科書は深みがあり、例えば日露戦争の記述には愛情がある」と言ったことである。私は同教科書を見たうえでブログに批判を書いた(8月5日)。「深みも愛情も見えなかった。底の浅い戦争賛美というしかない。民衆の姿が見えない、40万人もの死傷者、国民生活は疲弊のどん底、反戦の声と運動、これらは全く無視されてしまっている。まともな歴史の記述ではない」と。横浜市教委の人たちが『坂の上の雲』を読んでいたかどうかは知らない。いま読むなら牧氏が論じた「『坂の上』と『レイテ戦記』(大岡昇平)との目線の違い」や「なぜ、反戦。非戦を描かなかったか」などをお奨めしたい。「目からウロコが」の期待はムリだろうか。


黙ってられない

2009-11-15 15:54:31 | 日記・エッセイ・コラム

 

 今は黙って見ていよう。日米首脳会談、オバマ大統領の来日・演説、来年度予算編成のための「事業仕分け」等々。多くの人たちが何かの期待感をもって注目していることだろう。こんなときに疑義を挟んだり異を唱えるのはいかがなものか。余計なことは言うまい。こういうわけで暫く沈黙していた。こらえきれなくなったのは9日夜の民放テレビ「TVタックル」を見てからである。テーマは普天間基地問題、前日には沖縄・宜野湾市で基地撤去を掲げた県民大会が敢行されている。先ずこの模様を映し出すのが当然なのだろうがそれはない。評論家、ジャーナリスト、大学教授たちの議論は日米同盟の重要性を強調することに終始。熱が入るほど沖縄の現実から離れていく。このお歴々、沖縄の苦悩など眼中にないのか、そんな気がしてきて腹の虫が騒ぎだした。

 

 普天間基地の米軍機が飛ぶたびに、隣接する小学校の児童が耳をふさいで座り込む。この映像を見ると痛ましく切なくなる。日米同盟絶対論者に聞きたい。この子たちの犠牲によって日本、アジアの平和と安全が守られているとでも思っているのか。これからも耐え忍ばせるつもりなのか。日本はアメリカがしかけたベトナム、イラク、アフガン戦争を支持し協力してきた。沖縄はその最前線基地にされてきた。日米同盟の名においてである。日本はこれらの国々から攻められた事実は全くない。日米同盟とはいったい何だったのか、検証してみる気はないのか。これは鳩山政権にたいしてもいえることである。永久に米軍・基地の存在を認めるつもりなのか。そうでないというなら基地撤去を求めてオバマ大統領と正面から交渉すべきではないか。

 

 予算編成、「事業仕分け」に首をかしげたくなる。約5兆円の軍事費に殆ど手をつけない。大企業・大資産家優遇税制もそのまま、政党助成金は頬かぶり。とにかく聖域が多すぎる。やるなら徹底して全省庁を洗うべきだろう。宮内庁・皇室費も例外にすることはない。弱いところはしめつけるが抵抗の強いところは避ける、こうなると医療、社会保障部門などが削られる恐れが出てくる。時間もかかるし法改正も必要な大仕事だが、徹底してこそ国民向けの財源確保、国家財政の健全化が実現する。内実の分からぬ素人が何をといわれるかもしれない。しかし国民の圧倒的大多数は素人である。このことを考慮しない”専門バカ”であってもらっては困る。


はばたく子どもたち

2009-11-09 17:14:38 | 日記・エッセイ・コラム

 

 11月8日(日)のひととき”少子高齢化社会”から抜け出たような気分になった。子どもが舞台に上がっている、その下には出番待ちの子どもが、見まわしたら客席にもいる。多分その親、保護者なのだろう、大人たちも若い。日頃あまり浸ったことのない若々しく賑やかな雰囲気、そのなかに私はいた。孫娘が学童保育所の友達と一緒にケン玉をやるというのでやってきた「福祉まつり」(於・城東区)のことである。何人かの旧知の人に出会って挨拶を交わす。「まつり」の熱気にあたったせいだろうか、みんな明るく元気そうだった。気分爽快、季節はずれのポカポカ陽気もあってビールの量も普段よりも上回る。陽射しを避けてテントのなかで知人たちと昼食。話題は「子どもはいいですネ」「元気をもらえます」だった。

 

 プログラムに中学生の吹奏楽がある。妻も私もそれが楽しみだった。開演まで時間があるので「縁日どおり」をぶらついた。各方面の福祉施設や学童保育所をはじめ40カ所もの模擬店が並ぶ。雑踏というにふさわしい人混み、ここでも子どもたちが目立つ。食べ物、飲み物を売り込む甲高い声、あまり混雑を好まない私なのだが、この日の喧騒は苦にならなかった。むしろ手作りの「まつり」の楽しさを味あわせてもらった気になる。吹奏楽は期待どおりだった。客席も一杯になっていた。総勢50人余の中学生の持つ楽器が陽光でまぶしく光る。中高年層への気配りなのだろうか。”ど演歌エキスプレス”というのを演奏してくれた。熱い拍手が送られる。中学生も輝いていた。夫妻ともに感動した。

 

 翌朝、本棚にあった「はばたく子どもたち」という本を取り出して見た。前日の余韻がそうさせたのだろう。著者は石井郁子さん(教育学者・元共産党衆院議員)。登校拒否・不登校問題を扱った論稿集で10年も前に発行されたものである。私が傍線を引いていた箇所に見入った。「不登校の子どもたちもいつかは歩きだすということです。納得して感情や気持ちが落ち着いたら自分で行動をはじめる。これこそが自己回復力です・・あるきっかけで歩きだしたり、交流しはじめたという例はたくさんあります」とある。当時、不登校だった知り合いの子のことを案じていたから、ここに注目させられたのだろう。その後の経過は石井さんのいうとおりだった。子どもは巣立ちはばたくのだ。そう思えるのが楽しい。


”シベリア訴訟”が問うもの

2009-11-07 16:31:52 | 日記・エッセイ・コラム

 

 昨夜の旭区平和委員会の主な討論は、シベリア抑留被害者が起こした国家賠償請求訴訟にたいする京都地裁の判決(10月28日)についてであった。原告の主張は「満州方面(中国東北部)に動員されていた関東軍兵士たちは、第二次大戦直後、シベリアに抑留され、極寒、飢餓のもと苛酷な強制労働に苦しめられた。それは当時の日本政府(大本営・関東軍司令部)が『国体護持』のために、兵士たちを労働力としてソ連に提供する棄兵・棄民政策によるもの。この事実はロシアで発見された日本側の資料に示されている。政府の責任は明白だ」というもの。地裁判決は「戦争損害は国民が等しく受忍すべき」「他の戦争被害と区別できない」「国が将兵をソ連に引き渡すことを申し出ていたとまでは言えない」と原告の主張をすべて棄却した。

 

 相変わらずだと思った。第二次大戦の日本軍戦没者は230万人、その過半数は無残な餓死、病死、野垂れ死にだったといわれる。武器、食糧の補給なき絶望の戦闘、降伏を禁じられて玉砕(全滅)を余儀なくされた戦場がいかに多かったことか。無補給、現地調達が作戦だとされれば現地での残忍な略奪をよぶのは悪の必然。これがどこまで裁かれただろうか。残虐で無謀な戦争を始めた国の責任は問われなくてすむのだろうか。東京、名古屋、大阪などの空襲被災者らが国に謝罪と補償を求める訴訟を起こしている。国の態度は「国の存亡にかかわる非常事態のもとではひとしく受忍しなければならない」である。敗北必至なのに終結を遅らせ空襲を招いた責任はどうなるのか。仕方がなかった、受忍しろですむことだろうか。

 

 「シベリア抑留の損害を他の戦争被害と区別できない」という京都地裁の言い分にこだわる。60万人以上もの日本人の運命を外国に売り渡したのはここをおいて他にないではないか。判決はこれを否定するが、原告側は大本営・関東軍総司令部がソ連のワシレフスキー元帥に出した報告書などで棄兵棄民政策の事実を指摘している。これを認めたらどうなるだろうか。日本は『国体』のために人道も人権も捨て去る野蛮な国だったことを内外に告白することになる。だから他の戦災と区別しない作意が働くのだろう。原告団の平均年齢85歳。この闘い、戦争とはいったい何なのか、その残酷、非情を世に問う大きな意味を持っている。