昨29日午前、孫娘の”発表会”があるので小学校に行く。仕事で都合がつかない両親の代役である。演目は音楽劇”オズの魔法使い”。役をあてられた子たちの台詞は一言一句の間違いもなかったようだ。朗読調に聞こえたのはやむをえないだろうと思った。全員が一生懸命、口を大きくあけて歌う。可愛く微笑ましい。稽古を重ねてきた子どもと先生たちの努力をねぎらいたい。退場するときの混雑のなかで、孫の姿を見かけたので大声で名を呼んだ。嬉しそうににっこり、ハイタッチして別れた。とにかく子どもの集まるところに身をおくと自分の気持ちが明るくなる。楽しく平和なひとときの現実であった。カメラを忘れたのが残念。夜、お母さんに謝った。
学校を出たその足で、北区・梅田にある出版社を訪ね、旧知の編集者と話を交わす。用件が早くすんだので時間はたっぷり、もしかしてチャンスがあればと、近くの映画館によってみた。かねてから絶対に見るぞときめこんでいた「ALWAYS続三丁目の夕日」が狙いである。グッドタイミングだった。窓口に立ったのは開演5分前、空席ありという。”敬老パス”のおかげでチケットは千円。映画は前評判通り上出来。涙腺がゆるみっぱなしだった。もちろん悲しいのではない。快い感動で胸がふくらむのである。助け合い、支えあって生きることの素晴らしさが伝わってくる。人情の世界こそ人間の住むところだ。モノやカネに勝るのは人の心だ。よく分かる。政治・カネで汚れ、荒んだ人物には必見を薦めたい。
映画の一こま。”売れない作家”が芥川賞を狙って気力をふりしぼる。慕いよる子どもや恋人の幸せのためだ。近所の人は大人も子どももこぞって応援。候補作品に選考され、三丁目は万歳ムード。だが最終結果は不合格。子どもを奪いにきた大金持ちの父親は「それが才能の限界だ、実力だ」と作家を罵倒する。親友の町工場主が、作品の載った文芸誌を手に立ち上がり「これを読まずにそんなことを言うのか。俺は泣いたぞ」と怒鳴る。並み居る人々が本を取り出し、買って、読んだ、素晴らしい、と賞賛する。この場面が圧巻だった。ブログを続け、それが出版物になるかも、そんな立場の私にとっては羨ましい限りだ。映画というフィクションの世界でのこと、夢のまた夢だとは承知の上である。